第4話 人肌の温もり
その夜、夢を見た。
暗い場所にいた。地面は湿っていて、足元に何か柔らかいものが絡みついていた。根だ。無数の根が、私の足首を、ふくらはぎを、ゆっくりと這い上がってくる。
逃げようとした。でも体が動かない。
根は温かかった。冷たくない。人肌のような温もりで、私を包み込むように——
「——おいで」
声が聞こえた。誰の声でもない。でも懐かしい。骨の奥に染み込むような、深い、深い声。
「おまえは——」
——目が覚めた。
天井が見える。薄緑色の朝の光。寝汗でパジャマ代わりのシャツが背中に張りついている。
心臓がうるさい。
夢の内容はもう半分溶けかけている。でも、足首の感触だけがまだ残っていた。温かくて、優しくて、恐ろしいもの。
時計を見ると、まだ五時だった。
◇
早すぎる時間に家を出た。母さんはまだ寝ている。書き置きもしなかった。したところで気にしないだろう。——いや、それは言い過ぎかもしれない。母さんは母さんなりに私を気にかけてくれている。ただ、その気にかけ方と、私が欲しいものの形が、いつも少しだけずれている。
通学路の巨樹の根に腰を下ろした。ひんやりとした朝の空気が、頬に、指先に染みる。朝もやの中で、巨樹の幹は灰色から淡い紫に見える。
私は手のひらを幹に当てた。
——どくん。
感じた。昨日教室の窓から見たのと同じ、脈打つような振動。微かだけど、確かに。それに——冷えた手のひらに、じわりと温もりが広がった。
手を離して、もう一度当てる。
——どくん。
……どくん。
間違いない。規則的なリズム。まるで——
「心臓みたい……」
呟いた声が、朝もやに溶けて消えた。
当たり前だ。木に心臓があるわけがない。でも、この振動はなんだ? 地下を流れる水脈の音? 根を通る養分の流れ? 科学的な説明はいくらでもつくはずだ。
でも、この温かさは何だ?
夢の中で足首に絡みついた根と同じ温度。人肌の温もり。木の幹が、こんな温度であるはずがない。
「……なんなの、あんたたち」
巨樹は答えない。ただ薄緑の葉を揺らし、光を落とし、この街を覆い続けている。百年前も、二百年前も、もっと昔から。この世界が始まった頃から——いや、この世界が始まるよりも前から。
教科書にはこう書いてある。
「巨樹群はこの大陸の最も古い自然物であり、人類の文明よりも遥かに古いとされる。その起源は現在も解明されていない」
解明されていない。
その一文で終わりだ。それ以上のことは誰も研究しない。疑問に思わない。巨樹は「そういうもの」として受け入れられている。疑問を持つこと自体が、誰の頭にも浮かばないのだ。




