第3話 脈打つもの
教室の窓の外に、巨樹の幹が見える。
授業中、私はよくその幹を見つめている。灰色の樹皮。ゆっくりと脈打つような——脈打つ?
私は目をこすった。
気のせいだ。木は脈打たない。でも、ときどきそう見えることがある。まるで、あの巨大な幹の中に何かが——誰かが——いるみたいに。
「——ハンナさん。ハンナさん?」
「はい!」
「この問題の答えは?」
「……すみません、聞いていませんでした」
教室に小さな笑い声が広がる。先生のため息。隣の席の生徒の冷たい視線。
いつものことだ。
いつものことなのに、今日はなぜか、胸の奥が軋んだ。
◇
昼休み。
約束通りツムギと一緒に食べることになった。レンも当然いる。屋上につながる階段の踊り場——三人のいつもの場所。
「ねー聞いてよ、今朝ミラがさー」
ツムギが楽しそうに話す。レンが笑う。私はサンドイッチを小さくちぎりながら、聞いている——ふりをしている。
「ハンナちゃん、それ美味しい?」
「え?……うん、まあ」
「ハンナちゃんっていつも同じの食べてるよね。今度、私が作ってきてあげよっか?」
「いいよ、そんな。悪いし」
「えー、遠慮しないでよー!ね、レンくん、ハンナちゃんに言ってよ」
「ハンナ、ツムギの料理うまいぞ。食っとけ」
「……そう」
二人が息を合わせるように笑う。
私は笑えなかった。
悪意のない優しさ。善意の包囲網。それが私をどんどん小さくしていく。あなたたちの輪の中に、私の形をしたスペースはない。分かっている。分かっているのに、ここにいることをやめられない。他に行く場所がないから。
——ふと、窓の外を見た。
巨樹の枝が風に揺れている。あの巨大な樹冠の向こうに、何があるのだろう。この街の外、巨樹の森のさらに奥。誰も行ったことのない場所。
そこになら、私の居場所があるだろうか。
「ハンナ」
レンの声。私は視線を窓から戻した。
「——なに」
「いや……」
レンが少しだけ眉を寄せた。困ったような、心配するような、あの表情。
「なんでもない。サンドイッチ、ちゃんと食えよ」
「……食べてるよ」
ちぎったまま食べていないサンドイッチを、口に運んだ。味がしなかった。
◇
放課後。
ツムギがレンを誘って帰っていくのを、私は教室の窓から見ていた。ツムギが何か言って、レンが笑って、二人が並んで校門を出ていく。レンが一度だけ振り返った。教室の窓を見上げるように。
——私を探した?
いや、たぶん気のせいだ。
西日が巨樹の幹を赤く染めている。赤い光の中で、樹皮がまた脈打って見えた。今度ははっきりと。
どくん、と。
心臓みたいに。
あの巨樹の中に、何がいるのだろう。
あの巨樹は、何で出来ているのだろう。
誰も問わない問いが、今日も私の中でだけ、静かに膨らんでいく。
第1章 根のない花 了




