第14話 私の席はない
月曜日の朝。教室に入ると、空気が違った。
クラスメイトたちが数人ずつかたまって、何かを囁き合っている。私が入ると、ちらりと視線が向けられ、すぐに逸らされた。
——いつものことだ。
でも今日は、少しだけ平気だった。週末、レンと約束した。一緒に調べよう、と。ひとりじゃないと思えるだけで、教室の空気が少しだけ軽い。
そう思いながら自分の席に向かっていると、近くの女子たちの囁き声が耳に飛び込んできた。
「ねえ聞いた?ツムギちゃん、レンくんに告白されたんだって」
足が止まった。
「昨日の夜らしいよ。まだ返事はしてないみたいだけど」
告白。レンが。ツムギに。
……嘘だ。
嘘に決まっている。だって週末レンは——
でも、頭の奥で別の声がした。嘘じゃないかもしれない、と。
ずっと見ていたじゃないか。レンの体がツムギの方に傾くのを。二人の間に自分が入れない空気が生まれるのを。ツムギが唐揚げを作ってきたとき、レンが嬉しそうに笑ったのを。
全部、見ていた。見ていたのに、見ないふりをしていた。
いつかこうなると分かっていた。分かっていたから「レンはツムギを大事にしなよ」なんて言ったのだ。自分から手放すふりをすれば、奪われたことにならないと思って。
でも——ただの噂だ。噂に違いない。
自分にそう言い聞かせた。
「おはよ、ハンナちゃん」
ツムギが教室に入ってきた。いつもの笑顔。でも目が合った瞬間、ツムギは微かに視線を揺らした。
——ただの噂だ。ツムギが「そんな話ないよ」と笑えば、それで終わる。
「……おはよう」
「あの、ハンナちゃん——」
「……レンのこと、聞いたよ」
ツムギの顔が曇った。
「あの……まだ返事してないんだけど……」
世界が、音を失った。
ただの噂じゃなかった。
見ないふりをしてきた全部が、たった一言で本当になった。
「ハンナちゃん、あのね——」
「良かったね。ツムギはレンのこと好きでしょ」
自分の声が遠くから聞こえた。何の感情ものっていない、ガラスみたいな声。笑ったつもりだった。笑えていたかは分からない。
ツムギが何かを言いかけた。でも私はもう鞄を開いて、教科書を出して、前を向いていた。これ以上この話を続けたら、自分の中の何かが壊れる気がした。
——別にいい。
別にいいじゃないか。レンとツムギはお似合いだ。明るくて、まっすぐで、人の輪の中に自然にいられる二人。私みたいな、根のない花とは違う。
根のない花。
……そう、私には根がない。この場所に根を張れない。どこにも繋がっていない。最初から、ずっと。
◇
一時間目が始まっても、頭の中は霧がかかったように不透明だった。
先生の声が遠い。教科書の文字が滑る。代わりに、別の声が聞こえていた。
——おいで。
あの声だ。森の奥から聞こえる、骨に響く声。フェンスの前で感じたあの引力が、今、教室の中にまで届いている。こんなことは初めてだった。
——おまえの場所は、ここではない。
窓の外の巨樹が、揺れている。風もないのに。葉擦れの音が、囁きに聞こえる。
——おいで。帰っておいで。
手が震えた。教科書を握る指が白くなる。
「ハンナさん?」
「——すみません。気分が悪いので、保健室に行ってもいいですか」
先生が頷いた。鞄は置いたまま、教室を出た。
廊下を歩く。保健室には行かなかった。階段を下りて昇降口で靴を履き替えた。
校門を出た。
自分が何をしているのか、分かっていた。分かっていて、止められなかった。胸の中にぽっかりと空いた穴を、あの声が埋めようとしている。おいで、おいで、おまえの本当の場所へ。
足が勝手に北東を向いた。




