第12話 森が呼んでいる
週末。
土曜の早朝、まだ薄暗い時間にレンと合流した。
街の北東。住宅が途切れ、巨樹の根が道を覆い尽くすエリア。ここから先は舗装もなく、建物もない。巨樹だけが、黙って立ち並んでいる。
「あれだ」
レンが指さした先に、錆びたフェンスが見えた。高さは二メートルほど。所々が朽ちて、穴が開いている。警告板が風に揺れていた。
「立入禁止 管理局指定 危険区域」
管理局。政府の下部組織だ。
「監視カメラとかは……なさそうだな」
レンがフェンスの周囲を確認する。確かに、監視装置らしきものは見当たらない。本当に自主規制だけで成り立っている封鎖だ。
「中には入らない。今日は場所の確認だけだ」
「……うん」
フェンスに近づいた。金属の冷たさ。その向こうに広がる巨樹の森は、街の中のものとは明らかに違っていた。
暗い。
巨樹の密度が桁違いに高い。幹と幹の間に隙間がほとんどなく、葉が幾重にも重なって光を遮っている。地面は苔と落ち葉に覆われ、霧のようなものが低く漂っている。
——そして、音。
耳鳴り、ではない。もっと深い。骨の奥に響くような低い振動。地面から伝わっているのか、空気を通じてなのか分からない。ただ、体の芯が共鳴している。
「ハンナ、大丈夫か。顔色——」
「聞こえる」
「え?」
「聞こえる、レン。あの音。森の奥から——呼んでる」
自分でも何を言っているのか分かっていた。分かっていたけど、止められなかった。フェンスの向こうから、あの夢の中と同じ声がしている。言葉にならない声。でも確かに私を呼んでいる。
——おいで。
手がフェンスを掴んでいた。錆びた金属が掌に食い込む。朽ちた穴から体を入れれば、中に入れる。すぐそこだ。あと一歩で——
「ハンナ!」
肩を掴まれた。レンの手。強い力。
はっとした。自分がフェンスの穴に半身を入れかけていることに、今初めて気づいた。
「……え」
「何やってんだ!中に入らないって言っただろ!」
「ごめ——ごめん。私、何を……」
体が勝手に動いていた。無意識に。森に引き寄せられるように。
レンが私の両肩を掴んだまま、まっすぐ顔を覗き込む。
「お前、今完全にトリップしてたぞ。目の焦点が合ってなかった」
「……聞こえたの。声が」
「声?」
「分からない。誰の声かも分からない。でも、呼んでた。私を——私だけを」
レンの顔が強張った。
「帰ろう。今日は帰ろう」
「でも——」
「ハンナ」
有無を言わせない声。二度目の、あの強い声。
「お前を連れて帰るために来たんだ。一緒に調べるって言ったのは、お前をひとりで行かせないためだ。ここで無理をしたら意味がない」
私の目から涙がこぼれた。
いつの間にか泣いていた。恐怖なのか、感動なのか、自分でも分からない。ただ、レンの手の温かさがあった。フェンスの向こうの森の声と、レンの声が、私の中でせめぎ合っていた。
「……帰ろう」
うなずいた。声が震えた。
レンが手を離して、私の横に立った。帰り道、レンは何も言わなかった。ただ隣を歩いて、私の歩調に合わせてくれた。
振り返ると、フェンスの向こうの暗い森が、じっとこちらを見ていた。
——待っている。
森が、私を待っている。




