第11話 ツムギの説得
三日が経った。
レンと手分けして情報を集めた。レンは街の古い住人たちに聞き込みを、私は学校の資料室と公共のアーカイブを調べた。
成果は少しずつあった。
「じいさんに聞いたんだけど」
放課後、いつもの図書室。レンがメモを見ながら言う。
「この街の北東に、立入禁止区域があるらしい。……じいさん、最初ぜんぜん話してくんなくて。でも俺がしつこく聞いたら、ちょっとずつ教えてくれた。——なんか、全部は言ってない感じだったけどな。『お前もいずれ知ることになる。今はまだ早い』って」
「……どういう意味?」
「さあ。それ以上は何も言わなかった」
「フェンスと警告板があるけど、実際に監視してる人間はいないらしい。自主規制ってやつだ。地元の人間は近づかない。怖いから」
「怖い?」
「あの辺りに行くと、おかしくなるって言い伝えがあるんだと。頭痛がしたり、幻覚を見たり。」
私の心臓が跳ねた。
「——その立入禁止区域の中には、何があるの?」
「分からない。誰も入ったことがない——ってことになってる」
「ってことになってる?」
レンが意味深に笑った。
「じいさんが言ってた。昔——何十年も前に、ひとりだけ中に入った学者がいたらしい。巨樹の研究者で、禁止区域の奥まで行って、何かを見つけて帰ってきた。でも、帰ってきてしばらくしたら、いなくなった」
息が止まった。
「いなく……」
「消えた。引っ越したとか、死んだとかじゃなくて。ある日突然いなくなって、それっきり。記録も残ってない」
記録も残ってない。
『大陸植生史概論』の著者。名前を塗り潰され、出版記録を消され、存在ごとなかったことにされた研究者。
「レン——その学者って」
「ああ。たぶん同一人物だろうな」
二人の目が合った。
パズルのピースが嵌まる音が聞こえた気がした。
あの本を書いた人は、禁止区域に入った。巨樹の中心部からサンプルを採取した。人骨と同じ成分を見つけた。それを本にまとめた。
そして——消された。
「……怖い?」
レンが聞いた。静かな声で。
「……怖い」
正直に言った。
「でも、行くんだろ」
「……行かなきゃ、分からない」
レンは深く息を吐いた。覚悟を決めるような、長い呼吸。
「分かった。週末、下見に行こう。フェンスの場所だけ確認する。中には入らない。まず——」
「レンくん」
声がした。図書室の入口に、ツムギが立っていた。
今度は忘れ物の嘘すらつかなかった。ツムギの顔には、はっきりとした不安が浮かんでいた。
「……聞いてた?」
レンが聞く。
「途中から。ごめん、盗み聞きするつもりじゃなかったんだけど——レンくん、今、禁止区域に行くって言った?」
「下見だけだ。中には——」
「ダメだよ!」
ツムギの声が震えていた。明るいツムギ。太陽みたいなツムギ。その声が、今、怯えている。
「私、聞いたことがある。あの場所に近づいた人は、みんなおかしくなるって。頭が変になって、最後には——」
「ツムギ」
「レンくんが、あんなところに行くなんて——」
ツムギの目が潤んでいた。視線はレンだけを見ている。——レンだけを。
当然だ。ツムギが心配しているのはレンだ。レンを危険な場所に行かせたくない。それがツムギの本心で、正直な感情で。
私のことは、眼中にない。
——違う。そうじゃない。ツムギは私のことも心配してくれているはずだ。でも今この瞬間、ツムギの感情を支配しているのはレンへの想いで、それは仕方のないことで——
「ツムギ」
レンが一歩近づいた。
「大丈夫だ。危ないことはしない」
「でも——」
「俺が行くのは、ハンナのためだ。ハンナがずっと抱えてるものを、放っておけない」
——ハンナのため。
その言葉が、ツムギの心にどう響いたか。私には分かった。痛いほど分かった。
ツムギの唇が微かに震えた。目の潤みが一瞬だけ深くなった。
でも——次の瞬間、ツムギは笑った。
「……そっか。レンくんらしいね」
その笑顔を見て、私は自分の胸に手を当てた。
痛い。
ツムギの笑顔が痛い。ツムギが自分の感情を押し殺す姿が痛い。レンの言葉が嬉しくて、同時にツムギに申し訳なくて。感情が多すぎて、処理しきれない。
「あの——」
「ハンナちゃん」
ツムギが私を見た。さっきまでの怯えはもうない。代わりに、覚悟のような光が目に宿っている。
「気をつけてね」
たった一言。でもそこには、「行くな」と言いたいのを飲み込んだ重さがあった。
「……ツムギ」
「ハンナちゃんが調べたいことがあるんでしょ?巨樹のこと。朝あの本を読んでた時のハンナちゃんの顔、すごく真剣だった。——私ね、ああいう顔ができる人、本当にすごいと思うんだ」
ツムギの声は穏やかだった。でも、握りしめた鞄の持ち手が白くなっていることに、たぶんレンは気づいていない。私だけが気づいている。
そういうことに気づいてしまう自分が、また、嫌になる。
「ありがとう、ツムギ」
「うん」
ツムギが微笑んだ。
明るい。でも、その明るさの奥に、薄い影がある。向日葵の裏側に落ちる影のような。




