第10話 繋がりかけた線
図書室を出ると、廊下にツムギがいた。
壁にもたれて、鞄を抱えている。待っていたのだ。どれくらいの時間を、ここで。
「あ——おつかれ」
ツムギが笑った。いつもの笑顔。でも、少しだけ——ほんの少しだけ、いつもより力が入っている気がした。
「ツムギ、待ってたのか?」
レンが申し訳なさそうに言う。
「ううん、たまたま。忘れ物取りに来たら、二人がいるのが見えて」
嘘だ、と思った。
ツムギの鞄は閉じたままだ。忘れ物を取りに来たなら、何かを持っているはずだし、鞄は開いているはず。ツムギは、レンが図書室にいることを知っていて——私と二人きりでいることを知っていて——来たのだ。
責められない。ツムギの気持ちを思えば、当然だ。好きな人が、別の女の子と放課後の図書室で二人きりでいたら。
「ごめんね、ツムギ。レンを付き合わせちゃって」
「え?ううん、全然!調べ物してたんでしょ?」
「うん……ちょっとね」
「巨樹のこと?」
一瞬、空気が止まった。
「朝、ハンナちゃんが読んでた本のこと、気になってて。巨樹の研究してるのかなって」
ツムギは鈍くない。むしろ、人の変化に敏感な子だ。明るさの裏にある観察力。
「……うん。ちょっとだけ」
「すごいね、ハンナちゃんは。私にはそういうの全然分かんないから。ね、レンくん?」
「ああ。ハンナは昔から、人が気にしないことを気にするやつだから」
——人が気にしないことを気にする。
それは褒め言葉だろうか。
レンは褒めているのだろう。でも、その言葉はそのまま「普通じゃない」と言い換えることもできる。
考えすぎだ。分かっている。でも、止められない。
「三人で帰ろうよ!」
ツムギが両手を叩いた。明るい声。空気を変えようとする意志。ツムギはいつもそうだ。場の空気が重くなりそうなとき、自分が太陽になって照らそうとする。
「そうだな。帰ろう」
レンが歩き出す。ツムギがその隣に並ぶ。私は——また、半歩後ろ。
でも、今日は少しだけ違った。
レンが振り返った。わざとらしくなく、自然に。
「ハンナ、何ぼーっとしてんだ。行くぞ」
手を、差し出されたわけじゃない。ただ、足を止めて待ってくれただけだ。
それだけのことが、こんなにも——
「……うん」
半歩、追いついた。
三人で並んで校門を出る。西日の中、三つの影が巨樹の根の上に伸びていた。
◇
その夜、自分の部屋でノートを開いた。
分かっていることを整理する。
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・巨樹の幹中心部にカルシウムとリンが含まれる(人骨と同じ比率?)
・巨樹の幹は脈打つ。温度は人肌に近い
・『大陸植生史概論』第七章は意図的に切り取られている
・著者名は塗り潰され、出版記録もデータベースから削除されている
・切り取りは比較的最近行われた→ 組織的な隠蔽の可能性
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ペンが止まった。
次に書くべきことは分かっている。でも、文字にするのが怖い。
——書いた。
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・仮説:巨樹は人間を素材(種子?)として生まれたものではないか
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自分の字を見つめた。震えている。
馬鹿げている。でも、全ての断片がこの仮説を指し示している。脈動。温もり。骨と同じ成分。そして、それを隠そうとする何者かの存在。
もうひとつ、書いた。
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・疑問:なぜ私だけが巨樹の脈動を感じるのか
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これが一番怖い。
レンは巨樹に触れても何も感じないと言っていた。「脈打ってるか?俺には分からんけど」と。教室で巨樹の幹を見たとき、脈動を感じたのも私だけだった。
私の体が覚えている。あの夢の中の根の温もりを。巨樹の心臓の音を。
それは——私自身が、巨樹と何らかの関係があるということじゃないのか。
私の髪の色。誰とも似ていない瞳の色。顔を知らない父。この世界に馴染めない感覚。
全部がひとつの線で繋がりかけている。でも、その線の先にあるものが怖くて、まだ繋げられない。
ノートを閉じた。
ベッドに横になって、目を閉じる。
——眠れない。眠れるわけがない。




