声
都の鬼門、北東にそびえる霊峰・比叡山。
空を腐った血のような赤紫色に染め上げながら顕現した巨大な黄金の尻尾が、山脈を割り、木々をなぎ倒してうねっている。
その眼下で、玉藻前は高笑いを響かせながら平安の都を見下ろしていた。傍らには、妖しく目を細める入洞が控えている。
「力で服従させればやがて反発が起こり面倒だと思っていたけれど……今回ばかりは、あの小僧たちのイタズラが過ぎたわね」
玉藻前の妖艶な金色の瞳に、どす黒い怒りが満ちる。
赤黒い瘴気が比叡山より迫り、巨大な尾が一つ、無造作に振り下ろされた。
ズドォォォンッ!!
地鳴りと共に巻き起こった爆風が、都の外壁を粉砕し、民家の屋根を吹き飛ばしていく。
「……くっ!」
都の中心、清涼殿。駆け付けた藤房や朝霧、文武官達は、己の無力さに立ち尽くすことしかできなかった。
光継はゴクリと唾を飲み込み、自らの右手に浮かぶ紋章をじっと見つめる。
都を、民を、そして背後にいる后の桜華を護る。
光継は右手を高く掲げた。
手甲に結ばれた『菊の御紋』から美しい花弁が黒く変色し、自らの命を削りながら虚空へと散っていく。
『 盾 』
命を代償にして展開された巨大な言霊が、黄金の防壁となって都の空を覆う。
だが、比叡山から叩きつけられる大妖の膂力は、その防壁を容易く軋ませた。
「ぐっ……!」
押し潰されそうになる絶望的な重圧。光継の右手の花弁が、次々と黒く散っていく。
次に叩きつけられた二本目の尾の絶大な膂力が、その防壁を無残にも叩き割った。
パァァァンッ!!
光を帯びた空中の盾が砕け散る。限界を超えた負荷に光継が体勢を崩す中、防壁を突き破った凄まじい風圧と巨大な瓦礫が、光継とその後ろにいる桜華へと雨霰と降り注いだ。
「桜華様ッ!!」
ドンッ! と白砂を蹴り、二人の前に飛び込んだのは朧だった。
朧は両手に『虚』を展開する。空間の摩擦をゼロにする真理の力で、迫り来る巨大な瓦礫と凶悪な風圧の威力を次々と滑らせ、逸らして捌いていく。
だが、大妖の理不尽な暴威は、成長した朧の捌きすらも上回った。
逸らしきれなかった鋭い風圧と細かい瓦礫の破片が防御をすり抜け、桜華の白い頬を無残にかすめる。
ツッ……と、桜華の柔らかな頬から一筋の赤い血が滲んだ。
「桜華……っ!」
光継の背筋を、氷のような冷や汗が伝った。
大切な人が傷つく姿。失うことへの、足のすくむような強烈な怖さ。
だが、その底知れぬ恐怖こそが、光継に祖父・玄耀院の教えを、本当の意味での『守るための強さ』を思い出させた。
(命を削り、ただ耐えるだけでは護れない……!)
恐怖の奥底にある、真なる声に耳を澄ます。
子供をきつく抱きしめる親の愛。
遠く離れた友を信じる信頼。
死地いるであろう恋人を案じる切実な絆。
姿が見えなくても、触れられなくても、決して消えずに残るもの。
民や仲間たちの「生きたい、大切な人を守りたいという祈り」だけを抽出し、光継は己の胸へと力強く束ねていく。
『言葉は形を持つ。』
自らの命ではなく、決して消えない民の『祈り』を代償(力)に変える。
失う恐怖を乗り越えた光継の意志が、命を削る言霊の域を突破し、新たな力を紡ぎ出した。
(お祖父様……お守り下さい)
「『 耀 』!!」
収束した眩い黄金の光が巨大な鳥の姿をとり、清涼殿から天高く打ち上がった。
「キュォォォォォォォォォォォォーーーッ!!」
黄金の鳥が放ったのは、空気を震わせ空間そのものを軋ませる、神々しくも圧倒的な咆哮だった。
その咆哮は凄まじい衝撃波となって都の瘴気を四散させ、そのまま比叡山の頂まで一直線に届き、玉藻前を真正面から強襲する。
そして光の鳥は自らの羽を丸め込むようにして、都全体をすっぽりと包み込む強固な結界へと変化した。
比叡山の頂。
眼下の都を覆う眩い光の結界と、肌を刺す神鳥の咆哮の余波を受け、玉藻前はわずかに目を丸くした。
だが次の瞬間、その妖艶な赤い唇が弧を描く。
「……ふふっ、あはははっ! 面白いじゃない!」
久しぶりに味わう歯応えのある戦い。玉藻前は歓喜と狂気の入り混じった笑みをこぼした。
しかし、その笑い声が止むと同時に、比叡山の空気が一変した。
「……でも、目障りね。その光」
玉藻前が一切の妖気を隠すことなく解放した瞬間、周囲の空間が重圧でぐにゃりと歪む。天を覆う赤紫色の瘴気が再び濃さを増し、巨大な九つの尾が蠢き始めた。
ズゥゥゥン……!
玉藻前が都へ向かって虚空を踏み出す。
そのたびに、巨大な尾が鞭のようにしなり、黄金の結界『耀』へと容赦なく叩きつけられた。
空間を削り取るような絶大な一撃。
結界はびくともせず黄金の光を保っているが、その内側で維持する光継の身体には、山を背負うような凄まじい反動が殺到していた。
「ぐぅぅっ……!!」
光継は両足を踏みしめ、血を吐きそうな重圧に耐える。
玉藻前が都に近づくたび、尾による連撃は速度と威力を増していく。
ズンッ! ドドォォォンッ!!
結界の外では嵐のような衝撃波が吹き荒れる。
防戦一方の光継の額から、滝のような冷や汗が流れ落ちた。
やがて、玉藻前は都を覆う結界の目と鼻の先まで迫った。
「頑丈な鳥籠。なら……その中を、たっぷりの絶望で満たしてあげるわ」
玉藻前が背後の尾を揺らすと、四本目の尾が禍々しい妖光を放った。




