番外編:ブレウィンバラ伯爵の困惑
ブレウィンバラ伯爵は多忙である。
任された領地は広く、その土地柄抱える問題は多い。
更には今、普段補佐につけている嫡男を遠方へと遣いに出している。
彼が最短で仕事を終わらせたとて、往復を考えても二十日以上はかかる。
最も忙しい時期は避けたものの、それでも一人抜ければそれなりに負荷は増えるものだ。
「旦那様」
入室の合図と共に、近侍が書斎へと入ってくる。
「ランドルフ様からの早馬が」
「ふむ、何事か」
嫡男ランドルフは非常に手のかからない息子であった。
幼少期からあまり泣き喚くような性質ではなく、体も丈夫で、大きく手を焼かされたことはない。
早々に教育を始めたが、特に泣き言も言わずに受け入れていた。
むしろ感情の起伏が少ないことの方が気がかりで、口数が少ないことも言葉の遅れがあるのかと不安にさせられたほどだった。
それでもまだまだ未熟な若者であるので、今回はあえて遠方まで買い付けに行かせた。
物の価値が分からぬようでは当主は務まらないし、まして商人に騙されるようでは話にならない。
目利きと交渉と、市場と相場とを学ばせるため、鍛冶の街フォガンタムへと向かわせた。
彼の地は職人の街であるから、商売にこだわる者は多くない割に質が良い。
そうそう大きな問題は起きまいと思ってのことだったが、わざわざ早馬を飛ばすとは果たして。
届いた書簡に目を通す。
が、伯爵は一度ではその内容を理解できなかった。
——父上。
フォガンタム子爵の御息女を娶りたいと存じます。
明日、子爵へ婚姻の申込みをしますので、父上からも追って正式な婚姻の申込みをしてください。
取り急ぎ。
ランドルフ。
取り急ぎすぎである。
思わず伯爵は近侍に書簡を渡した。
受け取った近侍は目を通すと、吹き出した。
とにかく状況が何も分からない。
フォガンタムまでの距離を考えると、ランドルフが行き来するのを待つわけにもいかない。
やむを得ず伯爵もまた、息子宛に早馬を飛ばした。
——息子へ。
とりあえず話を聞くので、一度合流するように。
父。
領地はひとまず妻に任せ、伯爵は取る物も取り敢えず馬車に乗り込んだ。
そして急ぎフォガンタムへ向かう。
途中の宿場町で同行させていたランドルフの近侍が現れた。
馬で駆けてきたらしく、ぜぇぜぇと息を切らせた彼をひとまず休ませる。
彼の話を聞くところによると、要するにフォガンタム子爵家の娘に一目惚れしたランドルフが暴走しているらしい。
幸いにもフォガンタム子爵が不在にしており、未だ面会は叶っていないとのことだが、とにかく婚約を取り付けようと動いていることは確からしい。
危なかった。まだ間に合う。
主人の暴走に巻き込まれた哀れな近侍を連れ、改めてフォガンタムへ向かう。
だが、一歩遅かった。
伯爵がフォガンタムへ着く頃には、ランドルフは既に子爵との面会を済ませてしまった。
息子が滞在している宿へ向かうと、彼はまさに帰り支度をしていた。
「お前は一体ここへ何をしにきたのだ」
「お言い付け通り、農具と馬具の買い付けは終えました。母上に言われたなんとかいう茶器も見つけてあります」
「そんなことより、例の早馬の件について説明をしなさい」
「あぁ、その件はこちらに。子爵から書簡をお預かりしました」
父は嫌な予感しかしなかった。
恐る恐る書簡を開けば、それは確かに子爵の手であった。
——ブレウィンバラ伯爵閣下
この度のお申し入れ、突然のことで驚きは隠せませんが、大変光栄なお話と存じます。
御子息の大変有り難いお気持ちも、しかと承りました。
至らぬ娘ではございますが、正式にお申し込みを賜りました際には、謹んでお受けいたしたく存じます。
まずは書面をお待ちする次第でございますので、御高配を賜りたく、お願い申しあげます。
略式でのご無礼をお許しください。
フォガンタム子爵拝
ブレウィンバラ伯爵は頭を抱えた。
「お前は……一体何をしているのだ……」
「しかし父上、急がねば他に嫁に取られてしまいます。彼女は聡明で、理知的で、知識があり、愛情も深く、なにより高潔で……」
父は、自分の息子がこんなに喋るところを初めて見た。
ただひたすら、惚れた女がいかに優れているかを語り続けている。
全て聞き流しながら、ブレウィンバラ伯爵は動きの鈍い頭で必死に考えた。
話がここまで進んでしまってはもう、止められない。
いや、もちろん無かったことにはできる。
できるのだが、フォガンタムとの関係を考えれば今これをひっくり返すことに利益がなさすぎる。
子爵とてここまではっきりと書面に認めているのだ。
いや、下手をするとランドルフが無理やり一筆書かせた可能性すらある。
いずれにせよここまでさせておいて、今更無かったことになどと言えるわけもない。
はたして狙ってやったのか、本当にただおかしくなっているのか。
どちらにせよ、伯爵はこの求婚を認めるしかなかった。
だがここで、伯爵は最大の失策を犯した。
よもや本人——セリアがランドルフを認識すらしていないとは思わなかったのだ。
正確に言えば、口ぶりからしてランドルフが一方的に好意を抱いているのだろうとは考えていた。
だが相手も子爵家の娘である。
伯爵家嫡男に見初められたとあれば、貴族の娘であれば飲み込むはずだ。
ここはもう、かわいそうだが今回ばかりは身分を嵩に着て強行するしかあるまいとまでしか考えなかった。
良くも悪くも、ブレウィンバラ伯爵はどこまでも由緒正しい名門貴族家の当主であったのだ。
こうしてランドルフの強行突破により、ブレウィンバラ伯爵は正式にフォガンタム子爵へ婚姻の申込みを行った。
そしてそれを受け、子爵もまた、長女の嫁入りを正式に受け入れた。
実際のところ、子爵もどこまで話が通っているのかは疑っていた。
単身ランドルフが乗り込んできて、セリアと結婚したいといきなり訴えてきたのだ。
密かに正気を疑ったし、表情や口ぶりに反した熱量が恐ろしかった。
だからこそ、当主からの正式な申し込みが無い限りはこの話は進められないという意図の書簡を残した。
そして正式な申し込みがきたことで、どうやら話が全て本当であったとやっと安堵した。
加えて最悪なことに、ここで「セリアであればかのブレウィンバラに望まれてもおかしくはない」という親バカぶりを発揮してしまった。
フォガンタム子爵もまた、まさか当の娘が何も知らないなどとは夢にも思っていなかったのだ。
ランドルフは一つだけ、まだセリアに誤解をさせている。
セリアへの婚姻の申込みは、きちんとした手順を踏んだと思わせていることだ。
実際のところはこのような成り行きで、周りの大人たちを可能な限り振り回し、自分の思い通りに事を進めただけであった。
ある意味では、ランドルフこそが誰よりも貴族家の当主たる辣腕と傲慢さを兼ね備えているのかもしれない。
次代のブレウィンバラ伯爵領は、どうやら安泰らしい。




