第九話 神童、陥落
「……え?」
全国統一模試。
結果用紙を受け取った瞬間、教室がざわついた。
担任の先生が何度も紙を見直している。
「結城……。」
「はい。」
「全国順位……二位だ。」
その一言で、教室の空気が止まった。
「え?」
「結城が?」
「嘘だろ?」
誰かが答案を覗き込む。
間違いなく書かれていた。
全国二位。
一位との差。
3点。
昼休み。
職員室から校長に呼ばれた。
「失礼します。」
「座りなさい。」
校長は優しい表情だった。
「残念だったね。」
「……はい。」
「だが全国二位でも十分立派だ。」
「そうですね。」
言葉ではそう答えた。
けれど。
心のどこかでは理解していた。
違う。
これは「二位になった日」ではない。
**「神童ではなくなった日」**なんだ。
放課後。
昇降口を出ると、すずが待っていた。
「聞いたよ。」
「早いな。」
「先生たちが話してた。」
二人はいつもの河川敷を歩く。
しばらく沈黙が続いた。
「悔しい?」
すずが聞く。
「……うん。」
素直に答えた。
「すごく。」
すずは少しだけ安心したように笑う。
「よかった。」
「何が?」
「悔しいって思えるなら。」
「まだ終わってない。」
奏斗は苦笑した。
「慰めが下手だな。」
「慰めてないもん。」
「本当のこと。」
その夜。
久しぶりに、自分の部屋で昔のアルバムを開いた。
『天才少年』
『未来のノーベル賞候補』
『神童・結城奏斗』
テレビ出演の写真。
新聞の切り抜き。
賞状。
トロフィー。
部屋いっぱいに並んでいる。
一枚一枚眺めながら、ふと思う。
(……全部、昔だ。)
十歳までの俺。
十一歳までの俺。
十二歳までの俺。
そこには”今の俺”はいない。
「……。」
アルバムを閉じた。
そのときだった。
机の引き出しから、一枚の紙が落ちる。
幼い頃、母が書いてくれた手紙だった。
『奏斗へ。
あなたが一番になっても、お母さんは嬉しい。
でも、一番じゃなくても、あなたは私たちの自慢の息子です。』
その続きを読めなくなった。
目が滲んだからだ。
翌日。
科学部。
黒瀬先輩が結果を知っていた。
「二位だったんだって?」
「はい。」
「どうだった?」
「悔しかったです。」
「そっか。」
黒瀬は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、大丈夫。」
「え?」
「一位しか知らない子は。」
「負け方を知らない。」
「でも。」
「負け方を知った子は、強い。」
奏斗は黙って聞いていた。
「私ね。」
「全国大会、一年生のとき予選落ちだった。」
「え?」
初耳だった。
「誰にも言ってないけど。」
「そのとき初めて。」
「努力しても負けるんだって知った。」
黒瀬は窓の外を見る。
「でもね。」
「その日から研究が楽しくなった。」
「勝つためじゃなく。」
「知りたいから研究するようになった。」
その笑顔は、とても穏やかだった。
帰り道。
橋の上で、すずが突然立ち止まる。
「結城くん。」
「何?」
「やっと追いついた。」
「……え?」
「ずっと前から思ってた。」
「神童の結城くんには勝てない。」
「でも。」
「今の結城くんなら。」
「一緒に歩ける。」
その言葉に、奏斗は少し驚いた。
「追いついた、じゃないよ。」
「え?」
「最初から隣にいた。」
「……。」
「勝手に俺が前を歩いてる気になってただけだ。」
すずは少しだけ照れくさそうに笑った。
「うん。」
「じゃあ。」
「これからは。」
「一緒に前に行こう。」
奏斗は静かに頷いた。
「ああ。」
その日。
結城奏斗は、「神童」という肩書きを失った。
代わりに手に入れたものがある。
それは——
隣を歩いてくれる、一人のライバルだった。
そして、その頃。
遠く離れた東京では。
全国模試一位の少年が、答案を閉じながら呟いていた。
「結城奏斗……。」
「やっと名前が消えたか。」
彼はまだ知らない。
自分が数年後、結城奏斗にとって最大の壁となることを。
そして、その壁を越えた先で、本当の「才能」と向き合うことになることを。
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