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第六話 初めての敗北

「結城くん、科学部に入るの?」


昼休み。


教室で入部届を書いていると、何人ものクラスメイトが集まってきた。


「うん。」


「なら科学部、今年も全国大会行けるじゃん!」


「神童が入るんだから最強だろ。」


みんな期待に満ちた目をしている。


その言葉に、奏斗は曖昧に笑った。


(……買いかぶりすぎだ。)


放課後。


理科室。


「失礼します。」


扉を開けると、薬品の匂いが鼻をくすぐった。


壁一面に並ぶ実験器具。


フラスコ、ビーカー、顕微鏡。


理科好きにはたまらない空間だった。


「一年生?」


奥から声がする。


白衣姿の女子生徒。


長い黒髪を後ろで一つにまとめている。


「科学部部長の黒瀬凛。」


「三年。」


「よろしく。」


「一年の結城奏斗です。」


「ああ。」


黒瀬は少しだけ目を細めた。


「神童くん。」


その呼び方に、奏斗は少し苦笑する。


「ニュースで見たことある。」


「期待してるよ。」


その日の活動は簡単だった。


「今日は実力を見る。」


部長が棚から箱を持ってくる。


中には、バラバラに分解された小さな機械。


「これを組み立てて。」


「制限時間三十分。」


「説明書なし。」


一年生たちは顔を見合わせる。


「無理じゃない?」


「何これ……。」


奏斗は部品を手に取る。


(なるほど。)


前世で似たような構造を見たことがある。


歯車。


モーター。


電池。


十分後。


「できました。」


奏斗が手を挙げる。


部長が確認する。


「……正解。」


周りから感嘆の声が上がる。


「早っ!」


「やっぱ神童!」


しかし。


黒瀬は表情を変えなかった。


「じゃあ次。」


机の上に、もう一つ箱が置かれる。


今度は見たこともない部品だった。


透明な板。


小さなセンサー。


細い配線。


「これは?」


「去年、大学の先生にもらった試作品。」


「説明書はない。」


「完成した人もいない。」


奏斗は固まる。


(知らない。)


前世でも見たことがない。


ネットでも、本でも。


記憶にない。


十分。


二十分。


三十分。


誰も完成しない。


部室は静まり返っていた。


奏斗も手が止まる。


(分からない。)


(どう繋がってる?)


(これ、何の装置だ?)


汗がにじむ。


初めてだった。


「答え」を思い出せない問題。


「時間。」


黒瀬が言う。


全員が手を止めた。


「正解は——」


彼女は迷いなく部品を組み立てていく。


十分もかからなかった。


装置が完成する。


スイッチを押すと、小さな光が点灯した。


「これは光センサー。」


「大学で研究中の教材。」


一年生たちは拍手する。


「すご……。」


「全然分からなかった。」


黒瀬は奏斗を見る。


「結城くん。」


「はい。」


「分からなかった?」


「……はい。」


少しだけ沈黙が流れる。


そして彼女は笑った。


「安心した。」


「え?」


「ニュースでは何でも知ってる子だと思ってたから。」


「でも違う。」


「知らないことは、ちゃんと知らないんだね。」


その言葉は、不思議と優しかった。


見下しているわけではない。


むしろ——


安心していた。


「科学ってね。」


黒瀬は静かに言う。


「知ってることを並べる学問じゃない。」


「知らないことを、一つずつ減らしていく学問。」


その一言が、奏斗の胸に深く残った。


帰り道。


すずが隣を歩く。


「どうだった?」


「負けた。」


「え?」


「何もできなかった。」


すずは少し考えてから笑った。


「よかったじゃん。」


「……何が?」


「初めてでしょ?」


「分からないこと。」


奏斗は黙る。


「私ね。」


すずは夕焼けを見上げる。


「分からないことがあると、ワクワクする。」


「なんで?」


「昨日より成長できるから。」


その言葉を聞いて、奏斗は足を止めた。


自分は今まで——


「知っていること」で評価されてきた。


だから「知らないこと」が怖かった。


でも、すずは逆だった。


「知らないこと」があるから、嬉しい。


その考え方は、奏斗にはなかった。


夕日が二人の背中を照らす。


その日。


結城奏斗は、生まれて初めて心から思った。


「もっと勉強したい。」


それは神童としてではない。


一人の中学生として、自分の力で前へ進みたいと願った、最初の一日だった。

最後までお読みいただきありがとうございます!


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