第二部 第十一話 最後の勝負
大学院二年、秋。
日本教育心理学会・年次大会。
全国から研究者が集まる、国内最大級の学会だった。
今年、一番注目されている若手研究発表は二つ。
一つは——
結城奏斗
『問い返しを用いた対話型学習の長期効果』
もう一つは——
朝比奈ひまり
『教える経験が自己理解に及ぼす認知的影響』
奇しくも、指導教員は同じ教授。
会場では「師弟対決」と話題になっていた。
発表前。
控室。
「緊張してる?」
奏斗が聞く。
「もちろんです。」
ひまりは笑った。
「でも。」
「負ける気はありません。」
「俺も。」
短いやり取り。
昔なら「先輩と後輩」。
今は違う。
互いに一人の研究者として向き合っていた。
午後一時。
最初の発表は奏斗だった。
スクリーンにグラフが映し出される。
「本研究では、三年間にわたり——」
落ち着いた口調。
無駄のない説明。
質問にも的確に答えていく。
会場から何度も頷きが見えた。
発表終了。
大きな拍手。
教授も満足そうにメモを閉じる。
三十分後。
「続いて、朝比奈ひまりさん。」
会場の空気が変わる。
まだ学部四年。
にもかかわらず、大ホールで発表する異例の若手研究者。
ひまりは一礼すると、静かに話し始めた。
「私は。」
「人は教えることで学ぶ、と考えてきました。」
「しかし。」
「それだけでは足りません。」
スクリーンが切り替わる。
新しいデータ。
新しい仮説。
会場がざわつく。
「教える行為そのものではなく。」
「教えた後の振り返りが。」
「自己理解を深める最大の要因でした。」
教授たちが一斉にメモを取り始める。
一人の研究者が小さく呟いた。
「……面白い。」
奏斗も思わず笑った。
(また一歩先へ行ったな。)
質疑応答。
海外から招かれた教授が質問する。
「あなたの研究は興味深い。」
「ありがとうございます。」
「では。」
「この理論は教育以外にも応用できますか?」
会場が静かになる。
難しい質問だった。
ひまりは数秒考えた。
そして答える。
「はい。」
「医療教育。」
「企業研修。」
「スポーツ指導。」
「どれも。」
「“教える経験”を通じて専門性を高めています。」
「教育だけの理論ではありません。」
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
会場は大きな拍手に包まれた。
閉会式。
「若手研究優秀賞を発表します。」
司会者が封筒を開く。
「今年度の受賞者は——」
長い沈黙。
「朝比奈ひまりさん。」
大歓声。
ひまりは目を見開いたまま動けなかった。
「朝比奈さん。」
司会者が笑う。
「どうぞ。」
ようやく壇上へ向かう。
賞状を受け取る。
拍手が鳴り止まない。
客席。
奏斗は誰よりも大きく拍手していた。
授賞式後。
会場の外。
「先輩……。」
ひまりは賞状を抱えたまま立っていた。
「勝ちました。」
「うん。」
「勝ちました……。」
涙が止まらない。
「おめでとう。」
奏斗はそう言って笑った。
「今日は。」
「完敗だ。」
「でも。」
「悔しいです。」
ひまりが首を振る。
「え?」
「先輩がいたから。」
「ここまで来れました。」
「だから。」
「勝った気がしません。」
奏斗は少し考えてから答えた。
「じゃあ。」
「引き分けにしよう。」
「……。」
「俺は。」
「君のおかげで。」
「今でも成長できてる。」
「だから。」
「お互い様だ。」
ひまりは泣きながら笑った。
「はい。」
「引き分けです。」
その様子を見ていた教授は、空を見上げる。
「教師冥利に尽きるな。」
隣に立っていた一ノ瀬が静かに頷く。
「結城。」
「高校の頃。」
「君は僕の目標だった。」
「今は。」
「二人とも。」
「僕の目標だ。」
三人は顔を見合わせて笑った。
高校時代。
勝ち負けにこだわっていた少年少女たちは。
いつしか。
互いを超えようとすることよりも。
互いと共に、教育の未来を切り拓くことを願う研究者になっていた。
そして、この学会を境に——。
朝比奈ひまりの名前は、若手研究者として全国に知られるようになる。
一方、結城奏斗は。
そのことを誰よりも誇らしく思っていた。
次はいよいよ、卒業の日だった。
最後までお読みいただきありがとうございます!
もし少しでも面白いと思っていただけましたら、
★評価
★ブックマーク
★感想
をいただけると執筆の大きな励みになります!
今後とも、よろしくお願いいたします!




