第二部 第十話 共同研究
大学院一年、秋。
「結城くん。」
教授が研究室へ入ってきた。
「一つ、面白い話がある。」
「何ですか?」
教授は一枚の企画書を机に置いた。
表紙には大きく書かれている。
『世代を超えた学習意欲に関する共同研究』
共同研究メンバー。
結城奏斗。
一ノ瀬蓮。
朝比奈ひまり。
「……え?」
奏斗は思わず目を疑った。
「本当に三人でですか?」
「そう。」
教授は笑う。
「高校時代のライバル。」
「そして後輩。」
「これほど面白い組み合わせはない。」
翌週。
会議室。
「久しぶり。」
一ノ瀬が席に着く。
高校卒業以来だった。
「元気そうだね。」
「そっちも。」
握手を交わす。
少し遅れて。
「すみません!」
勢いよくドアが開く。
「遅れました!」
朝比奈ひまりだった。
「電車を一本間違えて……。」
「落ち着いて。」
奏斗が笑う。
「はい!」
三人が同じ机を囲む。
高校時代には想像もできなかった光景だった。
研究テーマは一つ。
『教えることは、教える側をどう成長させるか』
「面白い。」
一ノ瀬が資料を眺める。
「今まで。」
「学ぶ側ばかり研究されてきた。」
「だから。」
ひまりが続ける。
「教える側を研究したい。」
奏斗は二人を見回した。
「じゃあ。」
「役割を決めよう。」
自然だった。
高校時代なら。
誰がリーダーかで揉めていたかもしれない。
今は違う。
それぞれの得意分野を知っている。
一ノ瀬は統計解析。
ひまりは実験設計。
奏斗は全体設計と教育理論。
互いを信頼していた。
研究は順調だった。
……最初の一か月は。
「データが合いません。」
ひまりが眉をひそめる。
「再現性が低い。」
一ノ瀬も難しい顔をする。
奏斗はデータを見つめた。
「おかしい。」
何度やっても。
仮説通りの結果にならない。
夜。
三人だけが研究室に残っていた。
時計は午後十時。
「……行き詰まりましたね。」
ひまりが机に突っ伏す。
「初めてかも。」
一ノ瀬も苦笑した。
「ここまで分からないのは。」
奏斗はホワイトボードを見つめる。
高校の頃なら。
「失敗した。」
そう思っていた。
でも今は違う。
「違う。」
二人を見る。
「これは。」
「失敗じゃない。」
「え?」
「仮説が違ったって分かった。」
「それも成果だ。」
研究室が静かになる。
一ノ瀬が笑った。
「なるほど。」
「確かに。」
「研究は。」
「正解を証明することじゃない。」
ひまりも顔を上げる。
「間違いを減らすこと。」
「そう。」
奏斗は頷く。
その考え方は。
二十年前。
転生して間もない自分には、決して持てなかったものだった。
数か月後。
ついに論文が完成する。
タイトル。
『教える経験が学習者自身の認知構造へ与える影響』
投稿。
査読。
修正。
再投稿。
長い時間が過ぎた。
そして。
ある冬の日。
一本のメールが届く。
『採択のお知らせ』
国際教育心理学ジャーナル。
掲載決定。
「やった!」
ひまりが飛び上がる。
「掲載です!」
一ノ瀬も珍しく笑っていた。
「初めての国際誌だ。」
奏斗は静かにメールを閉じた。
「おめでとう。」
「みんな。」
「先輩。」
ひまりが言う。
「これ。」
「私一人じゃ絶対できませんでした。」
一ノ瀬も頷く。
「僕も。」
「一人なら。」
「ここまで広い視点は持てなかった。」
奏斗は少し照れくさそうに笑う。
「俺も同じ。」
「二人がいたから。」
「この論文になった。」
その瞬間。
教授が研究室へ入ってきた。
「掲載されたそうだね。」
「はい!」
教授は論文を手に取り、ゆっくりページをめくる。
そして最後の著者一覧で手を止めた。
結城奏斗
一ノ瀬蓮
朝比奈ひまり
教授は静かに微笑んだ。
「いい論文だ。」
「内容だけじゃない。」
「この三人の名前が並んでいることが。」
「一番価値がある。」
高校時代。
互いに競い合っていた三人。
今は。
同じ未来を目指す仲間になっていた。
その日、研究室の窓の外では、初雪が静かに降り始めていた。
そして誰も知らない。
この論文が数年後、日本の教育現場で広く引用される研究の第一歩になることを。




