第二部 第四話 再会の学会
大学二年、十一月。
「日本教育心理学若手研究フォーラム」。
大学生、大学院生、若手研究者、そして高校生の優秀な研究発表者だけが招待される、小規模ながら権威ある研究会だった。
奏斗も、教授の推薦で初めて参加している。
「緊張してる?」
橘が隣で笑う。
「少し。」
「珍しいですね。」
「今日は高校生も来るから。」
「?」
橘は首をかしげる。
奏斗は受付の名簿を見せた。
そこには見覚えのある名前が並んでいた。
長崎県立青葉高校 朝比奈ひまり
橘は小さく笑う。
「ああ。」
「挑戦状の子ですか。」
「うん。」
「一年ぶりだ。」
午後一時。
高校生部門の発表が始まる。
「次の発表です。」
司会が名前を読み上げる。
「長崎県立青葉高校。」
「朝比奈ひまりさん。」
会場の後方から、一人の少女が壇上へ向かった。
高校一年生だった頃より、少しだけ背が伸びている。
表情も落ち着いていた。
「それでは始めます。」
声はよく通る。
緊張しているはずなのに、それを感じさせない。
スクリーンに映し出されたタイトルを見て、奏斗は目を見開いた。
『問い返しが学習意欲に与える影響』
(……。)
自分の研究を受け継ぎながら。
それをさらに一歩進めたテーマだった。
発表が始まる。
「一般的な指導では。」
「教師が答えを説明します。」
「しかし。」
「問い返しを中心とした指導では。」
「生徒の学習継続率が向上しました。」
データ。
統計。
インタビュー。
高校生とは思えない完成度だった。
橘も驚いている。
「すごい……。」
奏斗は何も言えない。
発表が終わる。
拍手が鳴り響く。
そして質疑応答。
大学教授が質問する。
「面白い研究です。」
「ありがとうございます。」
「ただ。」
「問い返しだけが要因とは言えませんね?」
鋭い指摘だった。
去年のひまりなら詰まっていた。
しかし。
「おっしゃる通りです。」
即答だった。
「そのため。」
「現在は対照実験も進めています。」
「本研究は途中経過として報告しました。」
教授は満足そうに頷く。
「ありがとうございます。」
会場がどよめいた。
高校生が、大学教授と対等に議論している。
発表終了後。
休憩時間。
「結城先輩!」
ひまりが駆け寄ってきた。
「久しぶり。」
「お久しぶりです!」
満面の笑み。
「あの。」
「どうでした?」
奏斗は少し考える。
そして笑った。
「悔しい。」
「え?」
「高校二年の俺より。」
「今のひまりの方が上だ。」
ひまりの動きが止まる。
「……本当ですか?」
「うん。」
「発表も。」
「研究も。」
「質疑応答も。」
「全部。」
「負けた。」
しばらく沈黙。
次の瞬間。
ひまりの目から涙がこぼれた。
「えっ。」
「ご、ごめん!」
「違います!」
涙を拭きながら笑う。
「嬉しくて……。」
「ずっと。」
「追いかけてきたので。」
「やっと。」
「少しだけ。」
「認めてもらえた気がして。」
奏斗は静かに頷いた。
「認める。」
「もう。」
「ライバルだ。」
その一言で。
ひまりは子どものように泣き笑いした。
その様子を少し離れた場所から見ていた橘が、小さく呟く。
「追い抜かれたんですね。」
教授も笑う。
「違うよ。」
「え?」
「結城くんは。」
「追い抜かれることを。」
「ずっと待っていたんだ。」
橘は奏斗の横顔を見る。
そこには悔しさもあった。
でも、それ以上に誇らしさがあった。
研究会の最後。
優秀発表賞が発表される。
「高校生部門。」
「朝比奈ひまりさん。」
大きな拍手。
壇上へ向かうひまりは、賞状を受け取りながら会場を見渡した。
そして一瞬だけ。
奏斗の方を見て、小さく頭を下げた。
奏斗も静かに拍手を送る。
(よかった。)
本当にそう思えた。
昔の自分なら。
追い抜かれることを恐れていただろう。
今は違う。
自分が育てたわけではない。
けれど、少しだけ背中を押した後輩が、大きく羽ばたいていく。
それが何より嬉しかった。
その夜。
ひまりから、一通のメッセージが届く。
先輩。
今日は一勝できました。
でも、これで終わりじゃありません。
今度は研究者として、大学でも勝負してください。
奏斗は笑いながら返信する。
望むところだ。
今度は俺も本気で負けない。
神童と少女。
先輩と後輩。
その関係は、この日を境に。
互いを高め合う、本当のライバルへと変わっていった。
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