第十二話 才能は、努力を嘲笑わない
高校一年、五月。
ゴールデンウィーク明け。
科学部では、全国高校科学研究選手権の校内選考が始まった。
代表は三人。
立候補は十二人。
落ちる方が多い。
「テーマは六月までに提出。」
部長がホワイトボードに書く。
「内容よりも、『自分の研究』であることを重視する。」
その一文に、奏斗はペンを止めた。
『自分の研究』
中学の頃にも聞いた言葉だった。
放課後。
部室には、静かな空気が流れていた。
部員たちは本を読み、実験をし、ノートを書いている。
その中で、一ノ瀬蓮だけは何もしていなかった。
椅子に座り、窓の外を眺めている。
「……研究しないの?」
思わず奏斗が声を掛ける。
「してるよ。」
「え?」
「考えてる。」
その返事に、奏斗は昔を思い出した。
(……すずと同じだ。)
答えを探す前に、問いを探す。
「結城くんは?」
「実験中。」
「そっか。」
一ノ瀬は微笑む。
「君らしいね。」
翌日。
昼休み。
すずが理科室に顔を出した。
「結城くん。」
「うん?」
「これ。」
机の上に、小さな植木鉢を置く。
「豆?」
「うん。」
「同じ種なのに。」
「日当たりを変えたら成長が違ったの。」
「なんでだろう。」
奏斗は答えようとして、口を閉じた。
昔なら説明していた。
今は違う。
「……一緒に調べよう。」
すずは満面の笑みを浮かべた。
「うん!」
そのやり取りを、部室の奥から一ノ瀬が静かに見ていた。
六月。
校内選考会。
一人十分の発表。
部員全員が順番に前へ立つ。
奏斗の研究は、
「植物の成長における光量と水分量の相互作用」
地道な観察。
大量のデータ。
毎日の記録。
派手さはない。
しかし、確実な積み重ねだった。
発表が終わる。
先生方は満足そうに頷いた。
「丁寧な研究ですね。」
「継続力が素晴らしい。」
奏斗は少し安心した。
次。
一ノ瀬蓮。
スクリーンに映ったタイトルは、
『人はなぜ、間違った答えを信じ続けるのか』
「……。」
奏斗は思わず顔を上げた。
科学部なのに。
植物でも化学でも物理でもない。
心理学だった。
一ノ瀬は静かに話し始める。
「私は、同じ問題を百人に解いてもらいました。」
「そして。」
「最初に間違った答えを教えられた人は。」
「正しい説明を聞いた後でも。」
「約六割が最初の答えを捨てませんでした。」
会場が静まり返る。
「人は。」
「知識ではなく。」
「最初の思い込みを守ろうとする生き物です。」
たった十分。
それだけで。
部屋の空気は完全に変わっていた。
発表後。
奏斗は思わず声を掛ける。
「すごかった。」
「ありがとう。」
「そんな研究、よく思いついたね。」
すると一ノ瀬は少しだけ首をかしげた。
「結城くん。」
「うん?」
「君は。」
「どうして植物を研究しようと思ったの?」
「え?」
「好きだから?」
「いや……。」
「昔から興味が?」
「それも……。」
答えられなかった。
きっかけは偶然だった。
データが取りやすそうだったから。
研究しやすそうだったから。
一ノ瀬は責めることなく微笑む。
「研究って。」
「自分が眠れなくなるくらい気になることを調べるものだと思う。」
その言葉が、胸に刺さった。
結果発表。
代表三人。
「水瀬真白。」
拍手。
「一ノ瀬蓮。」
拍手。
最後の一人。
「……結城奏斗。」
大きな拍手が起きた。
奏斗は安堵した。
だが。
嬉しさより先に思った。
(……まだ遠い。)
代表には選ばれた。
それでも、一ノ瀬や水瀬の研究には届いていない。
順位はない。
けれど、自分で分かる。
研究者としての「問い」の深さが違う。
帰り道。
すずが言った。
「代表、おめでとう。」
「ありがとう。」
「でも。」
彼女は奏斗の顔を見て笑う。
「満足してない顔だね。」
「……分かる?」
「うん。」
「結城くん。」
「今までで一番、悔しそうだから。」
奏斗は空を見上げた。
昔の悔しさは、「負けた」悔しさだった。
今の悔しさは違う。
「もっと知りたいのに、まだ届かない。」
その悔しさだった。
そして、その夜。
ノートの一ページ目に、新しく一行だけ書き加えた。
『僕は、本当に何を知りたいんだろう。』
その問いこそが。
結城奏斗にとって、転生して初めて自分自身の人生から生まれた、本物の研究テーマになるとは、まだ誰も知らなかった。
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