第十一話 怪物たちの教室
「それじゃあ、自己紹介を始める。」
高校一年、一組。
県内でもトップクラスの進学校。
担任の佐伯は笑いながら言った。
「今年は面白い学年だ。」
「全国模試一位。」
「数学オリンピック日本代表候補。」
「全国大会出場者も何人かいる。」
「先生も楽しみだよ。」
教室がざわつく。
奏斗は思わず苦笑した。
(中学までとは、世界が違う。)
ここでは全国レベルが珍しくない。
自己紹介が始まる。
「一ノ瀬蓮です。」
拍手。
「よろしくお願いします。」
短い。
だが、それだけで十分だった。
次々と名前が呼ばれる。
「陸上をやってます。」
「全国大会ベスト8です。」
「囲碁全国優勝です。」
「ピアノで国際コンクールに出ました。」
「……。」
(何なんだ、このクラス。)
中学では一人いるだけで話題になるような生徒が、当たり前のように並んでいる。
そして。
「結城奏斗です。」
少しだけ教室がざわつく。
「あ。」
「昔テレビ出てた。」
「神童の。」
「懐かしい。」
懐かしい。
その一言に、奏斗は苦笑した。
「よろしく。」
拍手はあった。
だが、それだけだった。
十歳の頃のような歓声はない。
それが、少しだけ心地よかった。
昼休み。
「結城くん。」
すずが隣のクラスからやって来る。
「どうだった?」
「すごい。」
「何が?」
「怪物しかいない。」
「ふふっ。」
すずは笑う。
「楽しそう。」
「まあね。」
本当に、少しだけ楽しかった。
自分より優秀な人間がいる環境。
前世では憧れていた。
放課後。
科学部。
部室へ入ると、三年生の部長が迎えた。
「新入部員?」
「はい。」
「じゃあ、好きな席に座って。」
部員は十五人ほど。
その中に、一人だけ見覚えのある顔があった。
「水瀬。」
「久しぶり。」
中学時代、全国大会で優勝した少女。
彼女も同じ高校だった。
「また勝負だね。」
水瀬は穏やかに笑う。
「負けないよ。」
奏斗も笑い返した。
昔なら、この言葉は強がりだった。
今は違う。
勝ち負けだけではなく、一緒に高め合える相手として言えた。
部活動が終わる頃。
部長が一枚のプリントを配る。
「夏に全国高校科学研究選手権がある。」
部室がざわつく。
「今年も出るんですか?」
「もちろん。」
「代表は三人。」
奏斗はプリントを見る。
応募条件。
自由研究。
面接。
校内選考。
簡単ではない。
「興味ある人?」
ほとんど全員が手を挙げた。
奏斗も、水瀬も。
そして部室の隅で本を読んでいた一ノ瀬蓮も、静かに手を挙げた。
(……あれ。)
奏斗は少し驚く。
「あいつも科学部だったのか。」
部長は笑った。
「今年は激戦だね。」
その一言に、部員たちは苦笑した。
帰り道。
「ねぇ。」
すずが制服のポケットに手を入れながら歩く。
「何?」
「高校ってさ。」
「うん。」
「みんなすごいね。」
「そうだね。」
「でも。」
彼女は少し考えてから言った。
「結城くん。」
「前より楽しそう。」
奏斗は空を見上げた。
夕焼け。
中学の頃と変わらない景色。
変わったのは、自分だ。
「昔は。」
「負けるのが怖かった。」
「今は?」
「負けてもいい。」
「その代わり。」
「昨日の自分には負けたくない。」
すずは嬉しそうに笑った。
「その言葉。」
「黒瀬先輩が聞いたら喜ぶね。」
「ああ。」
奏斗も笑う。
知らないうちに、自分は変わっていた。
神童ではなくなった。
天才でもない。
けれど。
努力を楽しめる人間には、少しだけ近づけた気がした。
その夜。
全国高校科学研究選手権の過去の優勝作品を読み始める。
ページをめくるたびに思う。
(……全然分からない。)
専門用語ばかり。
数式も難しい。
十歳の頃なら、「知らない」という事実に焦っていただろう。
だが今は違う。
奏斗は静かにノートを開き、一ページ目にこう書いた。
『分からないことリスト』
その数は、初日だけで五十を超えた。
そして彼は笑った。
「面白い。」
高校一年の春。
かつて神童と呼ばれた少年は、ようやく本当の意味で「学ぶこと」の楽しさを知り始めていた。
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