第三十話 生まれなければ良かった
「……は?」
漫画じゃあるまい、そんな神すら鼻で笑える力、実在するわけがない。実在しようものなら、この世界はお遊びも同然だ。
「……彼女には、一切、人間としての教育が施されていなかった。下手なことを覚えさせてみろ、世界を滅ぼしかねない。
それに、実験時意外は常に鎮静剤が打たれて眠らされていた。
……でも、今はどうだ?」
「………自由、だな。」
自由は、いつだって牙を向く。
「……これが、彼が望んだものなのか…?」
シリウスさんは、顔を下げる。
「……?」
「…ふと思い出してしまってな。
彼女の管理担当の男は、優しい人だったんだ。
頭脳だけなら、研究所の誰よりも優れていた。けれど、研究者としては、致命的な欠陥があった。
……優しすぎたんだ。実験用ラットにすら情が湧いてしまって、解剖することができなかった。
そんな彼は、アスターを自分の娘の様に可愛がった。
実験に過ぎなかったが、彼女に師として、いろいろなものを教えた。…その内、彼に、ある感情が湧き上がった。
アスターの収容違反は、本来なら電気系統の故障によるもの、が要因なんだ。
このことは、ワタシしか知らない。だから、口外しないでほしい。
彼はアスターに、被験体じゃなくて、人間として生きて欲しかったんだ。だから、彼女を自由にした。
そして、多くの命を間接的に奪った。
ワタシは、彼を憎むべき立場なんだろう。何故だろう。ワタシは、今でも。彼が好きなんだ。突き放されてるはずなのに。なんで、だろうな。」
薄く目に涙を浮かべた。
「…すまない。キミに言ったって、一つもわからないよな。忘れてくれ。」
彼女の肩にそっと手を置き、僕は言う。
「……多分、だ。
その男は、大切な君が死ぬのを見たくないから、傷にしたくないから。だと思う。僕の知る限り、その男なら、きっとそうする。」
「…はは、ワタシも、そうだったらいいなって、思ってたんだ。」
何かを決心したかの様に、彼女は双剣を強く握る。
瞳に映る海は、煉獄の様に揺れていた。
「アスターを殺すことができるのは、彼女の遺伝子情報を全て知る彼しかいない。でも、ワタシの知る彼は、アスターを殺すことを望まない。絶対にな。
……君の知る『アンサー』なら、きっと。」
「あぁ、彼なら、みんなのために、きっと彼女を殺そうとするはずだ。」
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私がデータを持ってこの地に再び降り立った時に、後悔の字が浮かんだ。こんな犠牲は、見たくなかった。
腹部に受けた傷、失血から見て、少女は死んでいる。
「………遅かった。」
片膝をつき、少女を哀悼する。
足音の方に目をやると、白髪の女性に、赤髪の男性。宗主たちだ。
男は立ち尽くした。
何かを言おうとして、言葉を見つけられなかった。
唇だけが、震えていた。
女は少女の亡骸を見下ろした。
血に濡れたカーディガン。
冷たくなって手。
二度と開かない瞳。
「……顎。」
「どうし───」
「私が帰って来なかったら、ごめん。」
「何を言ってる。」
男が言い終えた瞬間、女が姿を消した。
テレポートと見間違うほどの速度。風よりも速く、彼女は動いた。
「………クソ姉者!」
男は地面を強く踏み込み、女が駆けたであろう方へ跳躍。
最悪の状況が頭をよぎる。
もし、あの二人がアスターに出くわしたら。
「総員に告ぎます。
あの二人を今すぐ追いなさい。死なせてはいけません。」
端末を通じ、この地にある全ての仲間に連絡を行き渡らせる。
……完成した切り札を使う時が来たようだ。
端末を操作。
「承認。4・4・4.追加モジュール起動。」
メカ社の機械兵たちをかっぱらって造った、私の集大成。
直接戦闘能力のない私にとって、普通の武器はほとんど意味がなかった。
しかし、この『M.E.K.』なら。
……行こう。
背中からブースターを起動し、追跡を開始する。追いつける、確信した。
私が生んでしまった者の、責任を取らなければ。
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「宗主二人が現在移動中。
進路から見るに、廃研究所が目的地です。至急、向かってください。」
返信はせず、既読だけつける。
「…師匠たちが、今廃研究所に向かっているらしい。
僕たちも、行こう。」
返事はせず、シリウスさんは頷いた。
道中の至る所に空っぽの注射器が散乱し、足を取られる。
まさに地獄だ。
注射器を辿り、山奥まで走る。一体、どこまで続いているんだ。
注射器は、巨大な古びた建造物の前で止まっていた。
苔むした壁に、炎のマークがスプレーで描かれている。『ホットネスト・ファンクラブ』の印だ。
「……ここか。」
「警戒は怠るな。アスターが何をしでかすかわからない。」
鋼鉄の重厚な扉を見ると、人一人が入れそうな穴が開けられていた。多分、朧さんか顎さんがぶち開けたものだろう。
外見が可愛く見えるほど、中は散乱している。
監視カメラらしきもの、防衛装置らしきものは、全て破壊されている。割れた注射器に、床は薬品と血でびちゃびちゃだ。
辺りに、会員の死体が転がっている。
一撃で心臓がぶち抜かれたであろう死体。内臓が引き摺り出された死体。何をされたのかすらわからない肉塊。
見ただけで、加害者が異常なほどの憎悪を抱いていることがわかる。
……想像以上に、彼女らは速かったらしい。
足を進めるたびに、ぴちゃ、ぴちゃ、と音が立つ。これが終わったら、靴を買い換えよう。
血の跡は、どこまでも続いている。
ふと、僕は血のついていない扉が目に入った。
カードキー式のロックがかけられている。他の扉にはないのを見るに、多分重要な部屋だろう。
僕はこの扉を思いっきり蹴る。
足に強い衝撃がかかり、痺れる。痛い。
「……開けるのなら、斬ってしまった方が早い。」
シリウスさんは、ケーキにナイフを通すかのように、鋼鉄の扉を斬り裂いた。
部屋の中には、よくSF映画で見る様な、培養液でいっぱいの水槽が、大量に並べられていた。
『DNA提供元、スパークル』というラベルが貼られた水槽の中には、胎児が浮かんでいた。
……随分と、胸糞悪いことをしている様だ。
まだ、産まれるまでには当分かかりそうだが、もう人の形をしている。へその緒は機械のチューブに置き換えられ、謎の液体が注入され続けている。
「……恐らく、スパークルの髪の毛か何かを使って、クローンを造っているんだろう。ここから、過去のデータにアクセスしてみる。」
シリウスさんは、近くに置かれたコンピューターを弄る。
その間、僕はいろんな水槽を見る。
『DNA提供元、七星朧』『DNA提供元、シャドウ・リヴァイアサン』。どれも、強者の名前が連なる。
『DNA元、ソル』……鳥肌がたった。
またも強い吐き気がする。今日二回目だ。
胎児は、もう産まれられるくらいに成長している。
これが、僕……?いや、僕ではない。けど、自分自身のクローンを見て、いい気分になる人なんていないだろう。
これに剣を持たせれば、僕を超えるのだろうか。
目眩で、一つの水槽に寄りかかる。
その中の胎児は、まだ若い。最近造られたものだろう。
『DNA提供元、ハレミチ』。…そういえば、ハレミチの遺体はどうなったんだ?あの戦いの後、僕たちは家に帰ったんだ。
遺体って、誰が処理した?
彼が死んで2日で、フェンリルの残骸は溶けて無くなった。
その時、彼の遺体はなかったらしい。
……これ以上考えるのはやめにしよう。
「……これは。」
シリウスさんは顔をしかめ、キーボードを打つ手を止める。
「2ヶ月前、最初のクローンが誕生した時のデータが残っている。DNA提供元が、アスター…だ。
でもなぜ?執行官が、彼女の遺骸を全て燃やし尽くしたはずなんだ。わからない…情報が足りなさすぎる。」
わからないことへの苛立ちか、シリウスさんはキーボードへ拳を打ち付ける。
「シリウスさん、取り敢えず進もう。ここで時間を食うわけにはいかない。」
「……少し待ってくれ。」
彼女はコンピューターに手をかざし、中に水を注入する。
ビリビリと音を立て、コンピューターは故障。辺りに焦げ臭い匂いが漂う。
「これで、この胚たちは死ぬ。
……彼らに罪はないとはいえ、産まれる前に死ぬのはな。
いっそ、生まれなければ良かったのかもしれない。」
胚たちに一切見向きをせず、シリウスさんは部屋から出た。
血の跡は、まだ続く。
奥へ行くごとに、どんどん濃くなり、臭いもきつくなる。
耳を澄ませると、左奥から足音が聞こえる。
裸足、ボサボサの長い髪の少女。
「いたぞ!」
僕が声を出した時には、少女は走り出していた。
全速力で、少女が走った方へ駆ける。
少女は邪魔をするなと言わんばかりに、辺りの死体や倒れた机を浮かせて投げてくる。
その全てを斬り伏せ、僕たちは走り続ける。




