第二十八話 海辺の静寂
刺激中毒者たちの襲撃を受け、穏やかだった五十一番街は炎の巣と化した。幸い、大事になる前に天翔け屋の従業員によって事は収められた。
でも、荒らされた町は元通りにならない。失った心の傷は、そう簡単に埋まらないように。
瓦礫の山に下敷きになった人、親を失った子供たち。ずぶ濡れの家に残された、食べかけの昼食。
けれど、こんな状況でも、人々は諦めてはいない。今まさに、復興作業が行われている最中だ。相手が凶悪な異常者たちでも、手を取り助け合うことができる。
僕は、復興現場の護衛に当たっている。こういう時に、またファンクラブ会員がやってこないと言い切れないからな。
つい先日行った中華料理屋。建物こそ無事だが、内部が水浸しで、コンロとか冷蔵庫とか、全部買い換えになってしまったらしい。
「…まさか、こんなことになってるとはね。」
背後から、七星さんに声をかけられる。彼女と大轟さんは丁度今日、都市中央区に用があって、夕方に帰ってくる予定だった。
けど、こんな事態になってしまったから、予定を切り上げて帰ってきたらしい。
「その…ごめんなさい。ここのいざこざに巻き込んじゃって。」
彼女はいつもとは違う、暗い雰囲気のまま、頭を下げる。
「いいんだ。頭を上げてくれ。
僕たち、こういうのは見過ごせないクチなんだ。」
七星さんは少し目を閉じた後、こちらを強い瞳で見つめた。
「…ちょっと、来てくれる?」
僕は彼女に言われる通りについて行った。
数分歩いて着いたのは、小さな無人駅の入り口だった。
誰もいない古いホームからは、どこまでも続く蒼穹の水平線が輝いている。
電車は、数時間はやってこない。寂れた場所。
錆びた時刻表は、たった3つだけ埋まっていた。
七星さんは、着くや否や、こちらを見ずに話し始めた。
「…五十一番街。私は、この町が大好きなんだ。
決して都会とは言えないし、不便なことの方が多い。だとしても、生まれ育ったこの地を見捨てたくない。奪われたくない。
昔っから、私って頑固なんだ。一度決めたことは、何がなんでもやり遂げる。だから、この町をずっと守りたい。覇導観現宗主としても、ただの住民、七星朧としても。」
彼女は、やっと、こちらに顔を向ける。
「先代の宗主を知ってるかな。私と顎の育て親。
7歳で天涯孤独になった私を拾ってくれた、命の恩人なんだ。
あの頃の覇導観は、私と顎以外に門下生がいなくて、明日取り壊されて、メカ社の工場になるかもしれなかった。
でも、彼は私の家を守ってくれた。そして、教えてくれた。
隣にいる顎は天才で、見ただけで技を完全に我が物にできた。
でも、私は100回試してできるかどうか。
顎みたいな人外じみた身体能力なんて私にはなかった。あいつの力が、ちょっと羨ましかったんだ。」
彼女は少し苦く笑った。
「ソルさん、いや、もう呼び捨てでいいよね。
ソルならこういう時、どうする?」
僕には問いがよくわからなかった。彼女はこんなにも強いのに、どういうことだ。
「僕は…分からない。」
ただ、曖昧な答えしか出せずにいた。僕は努力の仕方がいまいち分からない。だって、まともな『努力』をできる環境に身を置けたのが、つい去年からだから。
「…そっか。
私なら、血を吐いてでもがむしゃらに頑張ってみるかな。
自分が落ちこぼれで才能がなかったとしても、自分のどこが良いか悪いかをはっきり理解して、次の燃料にする。そうして、エンジンに火をつけていけば、いずれ、オンボロの車でも、電車より速くなれるかもね。」
七星さんは晴れ渡る水平線の向こうに目をやり、少し目を閉じる。
「ごめんね。ちょっと話が長くなっちゃったかな。
私はね、師匠が教えてくれたことをずっと実行し続けてるんだ。『できないのなら、できるを磨け』ってね。
それを、ずうっとみんなに教え続けてきたんだ。」
声が、少し間を開ける。
潮風が吹く音が、声の代わりに耳を通り抜ける。風に揺られた優しいさざ波が、僕の心に押し寄せた。
「……もし、私の大好きな覇導観が無くなっちゃうんだとしたら、私はどうすると思う?」
もう一度の問い。僕は七星朧じゃないから、分からない。けど、僕の知る彼女なら、きっとこうするだろう。
「…無くならせない、かな。」
七星朧は、僕に実に穏やかに笑いかける。
「…大正解。はなまるだよ。
無くならせないために、私はなんだって利用するよ。
治安局でも、執行官でも、英雄でもね。」
ようやく腑に落ちた。
僕たちは、駒だってことを。
何故だろうか。本来なら、利用されていたことが判明した、決別の場面のはずなんだ。けれど、僕には一切負の感情が湧かなかった。
僕も、守りたい。そう思った。
多分、僕もここが好きになったんだろう。
「僕だって、ここが大好きさ。無くなってほしくない。」
「ふふっ、ソルは変わってるね。
利用しようとしてたって打ち明けたのに、一切否定せずに肯定してきちゃうんだもん。想像してなかったな。」
────────────────────────────────
初めてだ。顎の兄貴の本気の拳を二度も見切れたのは。
兄貴は一発外すことを見越して拳を置いた。俺は、それを予測…できるようになったのか。実感がねぇや。
兄貴は地面にあぐらをかき、どっと座り込む。
「目に見えて成長している。素晴らしいぞ。
そうだ、褒美に俺と飯でも食いに行かないか?」
先に返事をしたのは、俺の腹だった。真昼時で、ちょうど俺も腹減ってたとこだ。
口で二つ返事で了承して、俺は着替えに行った。
口笛を吹きながら、休憩室まで歩く。
すると、角を一つ曲がったところで、柳の姿を見た。
「よお、調子どう。」いつも通り、軽い挨拶をする。
柳はちょっと目線をずらしながら、控えめに手を振る。
「…こんにちは。」
なんか、いつもよりよそよそしい様な気がする。腹でも減ってんのか?
「なあ、今から顎の兄貴と飯食いに行くんだけどさ。一緒に来るか?」
一発撃って、薬莢が落ちるくらいの間を置いて、「…いいんですか?」
大きくこくりと頷く。
俺が着替えて帰ってきた時には、正門の前で、顎の兄貴と柳が待っていた。
柳の私服はなんか一回くらい見たことある気がするけど、兄貴の私服は初めてだ。
白のタンクトップに、水色のジーンズ。なんか、宗主にしちゃ夏の大学生みてぇな格好だな。
「柳も一緒に行くのか?」
「ああ。人数が多い方が楽しくないか?」
兄貴は間を少し置いた後、無言で町へ歩いて行った。
昨日ファンクラブ会員共が大暴れした際で、せっかく綺麗な町並みがボロボロだ。潮風が、焼け焦げた木材の匂いを運んでくる。
横をちょっと見れば、帰る家を失ったちびっ子たちが身を寄せ合っている。…まるで、ガキの頃の俺みたいだな。
ちょっとは会話のあった俺たちだが、この光景を見てからというもの、一切誰も喋らなくなった。まぁ、そりゃ喋りたくないわな。
すると、兄貴のスマホに一通の着信があった。
兄貴は振り向いて俺たちに顔を見せる。
「……本当にすまない。折角、美味いものを食わせてやろうと思ってたのに。
急用ができたから、今すぐ戻らないといけない。後で金は俺が払うから、戻ったら金額だけ教えてくれ。」
少ししょんぼりした様子の兄貴は、強く地面を蹴ってその場から消えた。やれやれ、ぶっ飛んだ移動手段だ。
そんで、どうすっか。
柳と目配せをする。こいつも、どうしたもんかって様子だ。
「…少し遠いですけど、とっても美味しいご飯が食べられるカフェがあるんです。よかったら、そこまで行きませんか?」
先に口を開いたのは、柳だった。
「もちろんいいぜ。お前となら、なんでも一緒に食ってやる。」
柳の肩が大きく跳ねる。そんで、ちょっと耳が赤い気がする。熱でもあんのか?
「どうした?大丈夫か?」
「………」
無言のまま肩をプルプルと震わせるが、小さく首を縦に動かす。
「どこか悪いなら遠慮せずに言えよ。俺がおぶってやってもいいぜ。」
「………」
こう言う時、無言なのが一番気まずいんだよな。
潮風と、俺たちの呼吸の音しか聞こえねぇな。
一切の会話もなく店に辿り着いた。
店の戸を開ける。鈴の音が、俺たちを出迎えた。
すると、1匹の三毛猫が店の奥から出てきた。首輪が付いてるし、ここの飼い猫だろ。ずんぐりとした体型で、いいもんを食ってるってことが目に見える。
「にゃーん」
猫が、柳の足に絡む。すりすりとブーツに顔を押し付ける。
「…ふふっ。」
しゃがみ込み、猫の頭をわしゃわしゃと撫で回す。
「……にゃぁ。にゃーにゃー?」
柳はにこにこと笑いながら、猫になる。
こんなにゴキゲンなのは初めて見たな。てか、笑顔すら初めてかもしれない。
「にゃ?にゃん。」
俺も、ちょっと真似してみた。
なんか、視線が痛いことに気がつく。顔を上にやると、奥にいた店主っぽいおっさんに変な目で見られていた。
まあ、仮面つけてる変な男がにゃんにゃん言ってたらそらそう言う目で見るわな。
ただ、他の客がいなかったことが唯一の救いかな。
「…あー。いらっしゃい?どっか空いてる席につきな。」
言われた通り、俺は一番近いテーブル席に腰掛ける。
柳は、前じゃなくて、俺の隣に座った。
テーブルの横にあるメニュー表を取る。それを、俺と柳の間に置いた。
オムレツ、カレー、スープ、サラダ。ま、想像通りのカフェのメニューだな。
一番最初に目についたオムレツでいいか。
「…ここのクリームソーダがお勧めです。甘くてとっても美味しいですよ。」
柳は、メニュー表の一番右端の、クリームソーダを指差す。なら頼んでみるか。
「柳は決まったか?」
無言で頷いた。
俺は呼び鈴を軽く押す。
店の奥から、エプロン姿の店長が小走りでやってきた。
「オムレツとクリームソーダ。柳は?」
「……同じので。」
「はいはい。少々待ってておくれ。」
店長はぶっきらぼうに言うと、今度はのんびりと厨房へ歩いて行った。
「……その、キッド様。少し、質問してもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「…その、えっと、い、今キッド様って…彼女とかって…いたり…」
「逆に言うぜ。俺にいると思うか?
こんな仮面つけたクズ、誰が好きになんだよ。」
柳は、にっげぇ紅茶でも飲んだみてぇな、どこか渋そうで納得できなさそうな顔だ。
そして、ちょっといつもより大きな声で俺に聞いた。
「…そんなことはないです。
貴方は、こんな私にも優しくしてくれる人です。」
「へへっ、どうかな。」
柳は少しだけ俯いた。
「……私、その。」
「ん?」
「前から、少し気になっていて。」
彼女の視線が、俺の顔へ向く。
「どうして、いつもそれを付けているんですか?」
…まさか、聞かれるとはな。
どう答えたら良いもんか。見たら後悔するって言えば良いか?いや、もうちょっと誤魔化すべきか。
ま、もう治んねぇもんだし、見せたくないもんでもあるしな。はぐらかせば良いだろ。
「……ま、見せたくねぇもんだからかな。
俺自身、結構嫌なんだ。俺の顔って。」
他愛もない話をした後、俺たちの頼んだオムレツとクリームソーダが運ばれてきた。さ、食おうか。
俺は周囲に『認識阻害』をかける。
流石に飯を食う時には仮面を外さないといけねぇ。でも、外したら顔を見られちまう。戦闘でほっとんど役にたたねぇ能力だけど、こういう時には結構有能だ。
仮面を机の上に置いて、フォークとナイフを手に取る。
俺はテーブルマナーとかそう言うのは一切知らない。けど、できるだけ綺麗に見えるようにオムレツを食い進める。
甘いような、しょっぱいような。俺みてぇなバカ舌にはわかんねぇ繊細な味だ。
クリームソーダは、これはわかる。美味い。丁度いい甘さで、バニラアイスもいい。
「美味いな、これ。」
「…はい、とっても。」
柳は、一口一口食うごとに穏やかな笑顔を浮かべ、卵の味を噛み締めている。少なくとも、俺の10倍は育ちがいい。
そんな姿が、どこか俺には少し子供らしく、可愛く見えた。
ふと、思い出したんだ。
親父と、裏路地の安いラーメン屋に行った時だ。
親父は食うのが早くて、熱々のラーメンをはあはあ言いながら啜っていたガキの俺を良く見つめていたんだ。
多分、今の俺と、その時の親父は同じ気持ちだ。
俺たちは結構早く食い終わり、会計を済ませて店を出た。
覇導観に帰った時、門の前にはシャムルとエリがいた。
「キッドじゃん。ご飯行ってたの?」
「あぁ、美味かったぜ。」
「も〜、ならあたしも連れて行って欲しかったわ。」
エリは俺に軽く戯れる。
戯れ合いつっても、側から見たらエリが俺にチョークを決めてるようにしか見えないけどな。実際、死ぬほどではないが結構苦しい。
「おい、ちょやめろ!オムレツ出てくるって!」
「あたしを連れて行かなかった罰を受け取りなさい!」
「吐け吐けー。」
いじめにしか見えない戯れ合いを見ている柳は、オロオロとしながら、どうにかエリを宥めようとする。
「あっえっ…や、やめてください…!キッド様が吐いちゃいます!」
「大丈夫よ!この程度で吐くほどキッドは弱くないわ!」
「そう言う問題じゃ…とにかくかわいそうです!」
偶然通りかかった皇楓が、エリをどうにか引き剥がした。
「…お説教かしら?」
「……物分かりが良いようだな。」
「あたししーらない。」
ため息を漏らしながら、皇楓は「もう行け。」と俺たちに言った。
あいつらが見えなくなる所に行くまで、柳は俺のジャケットの裾をぎゅと握っていた。
そして、少し唇を尖らせながら、俺の前に立った。
「キッド様も、嫌なら彼女に嫌と言うべきです。」
「…嫌つってもあいつやめねぇもん。」
柳は視線を落としながら、少し顔を赤らめる。そして、聞き取れないくらい小さい声で言った。
「……その。」
「ん?」
「ああいうの、あまり好きじゃありません。」
「何がだ?」
「……別に、です。」
────────────────────────────────
「入れ。」
執務室の小綺麗なノブに手をかけ、足を踏み入れる。
赤髪の男が椅子の上で足を組んで座っている。どっしりと椅子に腰掛けているが、直ぐに反撃できる体勢だ。
「やぁ、現宗主。こんな昼時に連絡して、わざわざ開けてもらって、悪いと思っているよ。」
黒髪の女、天翔け屋の従業員である彼女は、わざわざ此処まで足を運んだ。
「……まあいい。
用件を言え。手短に終わらせたいんだ。」
彼女はニヤリと歯を見せ笑う。
「…ホットネスト・ファンクラブの件から手を引け。」
「悪いが、お前たち天翔け屋には関係のないことだ。口を挟むな。」
指先が軽く机を叩く。
バキ、と音を立て、巨大な亀裂が走った。
「データが出た。覇導観とファンクラブの争いでキミら宗主、二人ともだ。確実に死ぬぞ。
…『アスター』の細胞が、培養されているんだからな。」
女は腕を組んで男を見つめる。
男は眉をひそめる。
彼の見せた、久方ぶりの動揺だ。
「はは。お前ら、俺が死ぬと思って心配でもしてるのか。そいつはありがたい。」
男は女に向かって、親指で首を掻き切る仕草をして見せる。
「はっきり言おう。それ以上俺たちのやり方に文句をつける物なら、ここでお前の首をへし折ってやる。」
「その前に、キミが溺れ死ぬんじゃないか?
とにかく、ワタシは止めたからな。泣いてワタシを信じればよかったと後悔しても、知らないぞ。」
「黙れ。さっさと失せろ、不愉快だ。」
女は黙って後ろを向き、部屋を去ろうとした。しかし、何かを思い出したかの様に動きが止まる。
「一つだけ言っておく。」
女は振り返らない。
「もし、ワタシの大切なものが奪われたら。」
金属が軋む。
「次は、ワタシが加害者だ。」
扉が閉まる。
残されたノブだけが、握り潰されたように歪んでいた。




