第二十四話 安らぎは散りへど、思いは染めゆるを
目を覚ました時に寝転がっていたのは、板床ではなく、布団の中であった。
体を起こそうにも、頭が痛すぎて起きることができない。そりゃそうだ。七星さんの蹴りをモロに喰らったんだ。首から上があるだけいいと思おう。
部屋の隅では、シャムルが無言で湿布を貼っていた。
スティーブは珍しく静かで、レヴェルは天井を見つめたまま動かない。
───どうやら、みんな負けたらしい。
そして、側で鼻にティッシュを詰め込んでいた皇楓によると、今は交代で特訓、とのことだ。今はキッドの番らしい。
幸い、僕の番が回るまで結構時間がある。それまで、ゆっくりと休もう。
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痛ぇ。
今さっき朧の姉御にぶん殴られたところがビリビリと熱を持ってやがる。
「キッドさんは、銃の腕はかなりの物だけど、近付かれた時がだめだね。」
朧の姉御は俺のダメなところを一発で見抜いて指摘してくる。それは、俺自身でも痛感してた場所だ。
フィジカル、近接戦闘、俺は師匠らに近づかれたらゲームオーバーだ。
んなこと言われたって、俺にはエリみてぇな万能能力も、スティーブみてぇなふざけたパワーもなんもねぇ。俺の能力なんて、そこらのチンピラやらクソガキと変わんねぇ。
「ち…ちと休憩させてくれねぇか?流石に疲れたぜ。」
「…おっけ。水は吐かない程度に飲むようにしてよ?」
朧の姉御が、道場の外の水道の場所を教えてくれた。
俺はそこへ猛ダッシュ。
目についた蛇口に飛び付き、仮面を取って口の中に水を押し込む。
あ"あ"ぁ"……このために生きてん……な。
ふと右に目をやると、一回顔を合わせたことがあるような気がする、薄紫の髪をした嬢ちゃんと目があった。
嬢ちゃんは、俺を怪訝な瞳で見つめる。
俺は一瞬で仮面を被り直す。仮面の下の顔なんて、もう何年も他人に見せてねぇ。能力は癖みたいなもんだ。気付けば、常に使ってる。
「よ、よぉ。どっかで会ったか?」
頭をかきながら、全力でとぼけてみる。
「は…はい。つい数時間前、貴方方を休憩室へ案内した者です。」
「あ!思い出したぜ。う、うきょう?やなぎ?って名前だったか?俺はキッド。苗字はねぇ。」
柳の嬢ちゃんは、戸惑いながらも頷く。
そして、俺への疑問を口にする。
「その…キッド様、貴方はここで何をしていたのでしょうか?」
「見ての通り、水飲みだ。」
「…それなら、あっちの方が道場から近いですよ。」
指で指された方を見る。そっちにも、水道があった。
「あ、ここは花壇用です。」
「…マジ?なら俺、朧の姉御に嘘教えられた?」
「…おそらく。朧師匠は冗談と悪戯が大好きなお方ですから。」
「後でクレーム入れていいか?」
「止めはしません。」
その後、柳の嬢ちゃんと少し雑談をしてみた。
「嬢ちゃん、好きな食いもんは?」
「ブルーブルのノンシュガーです。」
「…美味いよな。」
「…はい。」
会話は、あんま続かなかった。この問い以外はな。
「嬢ちゃんって、強いのか?」
「………」
柳の嬢ちゃんが、視線を落とす。あ、まずいこと聞いちまった。直感した。
「……私は、弱いです。才能なんてなくて、稽古にもついていけなくて…同期からも突き放されて。もう、ここを出ようかと──」
…聞いてらんねぇな。
嬢ちゃんに向け、空砲を撃つ。
「ひゃ!?」
中々の速度で反応し、姿勢を低くする。
「キッド様…一体なぜ…?」
震え声で、俺に問う。
「安心しろ、空砲だ。
お前、今のに反応できたな?弱くねぇじゃねぇか。そんな自分を卑下すんな。そういうのは俺は嫌いだぜ。」
「…ッ……」
柳の嬢ちゃんは、どこか不安げな様子だ。
その肩をぽんと叩く。
「ま、嬢ちゃんならやってけるぜ、どーせ俺よりは向いてんだ。続けてみる価値はあるんじゃねぇか?」
俺は仮面の裏で満点のスマイルを浮かべ、サムズアップをする。
「やべ、そろそろ戻らねぇと朧の姉御にしばかれちまうかもな。それじゃあな!また会おうぜ。」
俺はダッシュで来た道を戻る。柳の嬢ちゃんは何か言いたげだったが、結局何も言わず、頷くだけだった。
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ピンポーン。
我が家のチャイムが鳴らされる。
時刻は午後10時。こんな夜に押しかけるなんて、何者だろうか。玄関へそそくさと足を進める。
念の為、ドアスコープに目を近づける。
「もしもし?いるのは分かっている。さっさと開けてくれ?『アンタレス』。いや、今は『アンサー』か。」
「待たせる気か?ワタシはキミの『先輩』なのだが。」
チャイムが連打される。
…人生最悪の日を決めていいなら、私は絶対に今日と言うだろう。
「何事だ?」
パジャマ姿のヴラドが、洗面所から出てくる。
「い…いえなんともありま──」
「合鍵くらい作ってあるし開けさせてもらおう。」
「やめなさい!さっさとこの場から失せなさ─」
ガチャリ。
見たくもない黒い長髪、思い出したくない黒曜石のような瞳、そして会いたくもなかった、癪に触るほど整った容姿女が、腕を組んでドアの前に立っていた。
「誰こいつ?アンタの元カノ?」
いつのまにか後ろにいたであろうエイヤの声が聞こえる。やはり、エイヤにデリカシーというものはない。
「半分正解、彼の元カノだ。だが、なにか足りないな。」
「話をややこしくしないでください。」
「ほーう?ちびすけのキミが、ワタシに口答えとは。偉くなったものだな。」
相変わらず、この女のめちゃくちゃ具合には反吐が出る。
「──単刀直入に言いますが、何故今になって私に会いにきたのですか。」
「復縁か?」
ヴラドが小さく後ろで呟く。
「不正解だ。復縁するんだったら既成事実作りに行くさ。
正解は、『覇導観』と『ホットネスト・ファンクラブ』についての依頼があったから。それで、昔馴染みのキミに協力を持ち掛けにきた、というわけだ。
「…今貴方は天翔け屋の従業員でしょう。貴方の仕事を私に押し付けないでください。」
このクソ女はチッチッチと舌を鳴らしながら、人差し指を振る。
「この件には、元同僚のキミにしか協力を求められない。」
「ちょっと待ちたまえ、俺たちには全く持って状況が理解できていない。どういうことだ、全て説明してくれ。」
ヴラドが、私たちの空気を断ち切る。できれば、関係ごと断ち切って欲しい。
「…私から説明させてもらいます。彼女は『シリウス』。私の元同僚です。」
「あの『収容違反』の件で、貴方は死んだと思っていましたよ。今更協力しろって言ったって、私の答えは絶対にノーです。」
私は侮蔑の意味を込め、思いっきりシリウスを睨みつける。
どうせ、面倒ごとを私に押し付けたいだけだ。
シリウスはフッと笑い、どこか見越していたかの様に、口角を上げる。
「……この件、キミは断れないし、断らない。その選択肢すらない。」
「……は?」
「キミの大切な、ここにいない仲間たちに危機が迫っている。と言ったら、キミは断らない。だろう?」
拳を握る力が強くなる。
「覇導観の縄張りである五十一番街に、ホットネスト・ファンクラブが勢力を伸ばしつつある。
どころか、覇導観の庇護を受ける地元の人々に、ファンクラブ会員が殺傷事件を引き起こしている。覇導観が、報復の為にファンクラブに殴り込みでもしたら、どうなるかはキミらなら分かるな?」
「…全面戦争の始まり、だろうな。」
一番早かったのは、ベンジャミンだ。
「正解、満点だ。当然、覇導観で鍛錬をしているキミらの仲間も、大きな戦争に巻き込まれるだろう。」
シリウスはライターでタバコに火をつける。
「ワタシは、ファンクラブの動向を探る為に雇われている。キミらにコンタクトを取ったのも、警告兼協力を呼びかける、と言うわけだ。」
1秒、彼女は黙る。
そして、私が口を開く。
「………もし、私がそれでも嫌だ、と言ったらどうするつもりですか。」
シリウスは目を細め、タバコを咥える。煙の匂いが、どこか嫌な雰囲気を醸し出す。
「………それでも、キミは断ろうとはしない。
なんせ、ファンクラブ会員の肉体から、『アスター』の細胞が採取されたのだからな。」
耳を疑った。
一瞬、吐き戻しそうになるが、咳で誤魔化す。
なぜ、彼女の細胞が?彼女は死んだ。彼女の存在を知る者も。それに、遺体は執行官が直々に焼却した。彼女の記録も、遺伝子も、現物もデータも何も残っていないはずなんだ。私の記憶を除いて。
「…アスター?シオン属の花の事、ではないだろうな。」
ヴラドが顎に手を当て、眉をひそめる。
「んー、聞いた事ないな。」
ヘヴンは軽く首を傾げる。
…当然。
生前も死後も彼女の存在は、秘匿され続けてきた。
「そうか。キミらは、彼女を知らないんだな。」
シリウスは煙を吐きながら、ゆっくりと話しだす。
「…彼女は、ワタシとアンサーの元職場、『都立第一研究所』にいた被験体のうちの一人。『識別番号*444』。
それが彼女の名前だった。
ワタシたちの呼ぶアスターは、人間らしく呼ぶ為に付けられた、偽物の名前だ。
7年前、研究所で起こった大規模収容違反、その中心に立っていたのが彼女。
全ての被験体が枷を破り、心から怨む研究者たちを殺し尽くした。
そして、被験体たちは執行官によって全員が終了された。
…ワタシとアンサーは、その事件の唯一の生き残り、というところだ。」




