第二十話 来る日も来る日も
ハレミチは血を吐き、力なく地面へ崩れ落ちた。
胸を押さえ、浅く、途切れそうな呼吸を繰り返す。
ついさっきまで、あれほどの怪物だった男が、今はただの瀕死の人間にしか見えない。
胸の奥が、わずかに軋んだ。
「ははっ……君たちのお仲間は、随分とやるみたいだ……」
掠れた声で笑う。
「僕は……多分、もうすぐ死ぬだろう……」
間を置いて、彼は目を細めた。
「最期に一つ、おとぎ話を聞いてくれないか?
哀れな子犬の話さ。」
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あるところに、小さな子犬がいた。
鎖に繋がれ、檻に閉じ込められ、ショーをさせられていた。
観客は笑う。拍手を送る。
けれど子犬は、一度だって楽しいと思ったことはなかった。
口は針で縫われ、無理やり笑顔を作らされる。
台詞を間違えれば、容赦なく殴られる。
来る日も来る日も、子犬は望み続けた。
手に入らないと分かっているものを、それでも。
やがて気づいた。
自分は『生き物』として扱われていないのだと。
心はすり減り、やがて痛みも、苦しみも、何も感じなくなった。
そんなある日。
一匹の、小鳥がやってきた。翼の折れた鳥だった。
鳥は子犬を哀れみ、自分の翼と嘴を分け与えた。
「これで、空を飛べる」と。
子犬は空へ行こうとした。
けれど、走り方すら知らない。飛び方なんて、分かるはずもなかった。
それでも、来る日も来る日も。羽ばたこうとし続けた。
──ある冬の日。
灰のような雪が降る中、子犬は見た。
あの鳥が、無惨に壊されて捨てられているのを。
理由は単純だった。面白そうだったから。気になったから。それだけで、命は壊された。
その瞬間、子犬の中で何かが切れた。怒り、憎しみ、悲しみ、嫌悪。
すべてが溢れ、子犬は巨大な狼へと変わった。
そして、全てを飲み込んだ。
人間も、街も、何もかも。
だが、足を止めた。
小さな鳥の巣。
そこには、もう何も残っていなかった。
怪物は、その場から動かなかった。
自由になったはずなのに。何もない場所に、ただ在り続けた。
それからも、大人になった子犬の怪物は人間を狩り続ける。
復讐か、贖罪か、それともただの本能か。
やがて復興した街に、怪物に憧れる人間が現れる。
狼の皮を被り、勝手な『狩り』を始めた。
怪物は、それらを殺し続けた。
なぜだと思う?
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「自由だからさ。
奪われないために、奪えばいい。」
ハレミチは、静かに言った。
「自由な人間が、僕を自由から遠ざけないようにする為に……
僕は、来る日も来る日も、自由に殺す。」
エリが小さく呟く。
「……聞いたことあるわ。ハレミチ。伝説の元配信者。
子供たちに夢を与えた、『英雄』。何百万人もの子供が、あなたに生きる勇気をもらったのよ。」
ハレミチは、ゆっくりと立ち上がった。
「そうさ。だから──最期は、英雄の先輩として。君らの前に立たせてくれ。」
スマホを取り出し、迷いなくボタンを押す。
コメントが、洪水のように流れ始める。
〈ハレミチ配信いつぶりだ!?!?!?〉
〈15年前の事件以来〉
〈¥50000 子供の頃を思い出して涙ガッ…!〉
〈なんで今日配信するんだ?〉
〈ハレミチ血だらけじゃね?〉
〈薪の英雄いる〉
〈コラボ配信、ってコト?!〉
〈あたりボロボロ、全部演出だよな?〉
「……やぁ、みんな。今日も、ハレたミチを歩いているかい?」
その声は、どこか昔のままだった。
「悪いけど、今日はお別れ配信だ。最終回、楽しんでくれ。」
スマホを胸元にしまう。
レンズだけが、こちらを見ていた。
「君らが本物の英雄なら──立ち向かえ。僕みたいな邪悪に。」
──僕は、剣を握る。
一瞬だけ、躊躇が走った。頭の奥で、かすかな記憶が揺れる。
画面越しに見た笑顔。誰かを救っていた言葉。
───この手で、『過去の英雄』を殺すのか。
それでも。
「……あぁ、僕らは英雄だ。」
声を絞り出す。
「来る日も来る日も、自由を追い求める。
でも、それは一人の自由じゃない。」
剣を構える。
「“みんなで焚き火を囲める自由”の為に、戦ってるんだッ!」
ハレミチの表情が、ほんの一瞬だけ緩んだ。
次の瞬間、刃が迫る。
鍔迫り合い。
至近距離で見る顔は、ひどく痩せ、血に濡れていた。
血が、頬に飛ぶ。ハレミチが口に溜めた血が、僕の顔に飛んだ。
内側からのダメージ。限界は近い。それでも彼は、全てを躱し続ける。
攻撃はしない。ただ、生き延びるためだけに。
やがて。
膝をついた。
「……僕は、もう歳だ……」
息が切れる。
「それでも……自由でいたい……」
コメントが流れる。
〈死ぬなハレミチ!〉
〈負けるな!〉
〈¥2000 逆転に賭ける〉
〈リンチにして楽しいか!〉
〈俺らに夢みせてくれ!〉
止まらない。
僕は剣を向ける。
迷いは、消えていなかった。
それでも。
「……これで終わりだ。」
静かに言う。
「お前は戦った。だから、休め。」
ハレミチは立ち上がり、スマホに向かって微笑む。
「……リスナーたち……さよならだ……英雄たちを……責めないでくれ……彼らは…勝ったんだ。」
そして。
「……君たちのミチは……きっと、晴れている。」
──自ら、腹に杖を突き立てた。
音が、やけに大きく響いた。
コメントが、悲鳴に変わる。
〈嘘…だろ?〉
〈演出じゃないのか?〉
〈ハレミチぃぃぃ!ほんとに死ぬやつがあるか!〉
〈…英雄たちは、強かった。それだけさ〉
〈泣いた〉
〈安らかに眠れ〉
僕は、剣を地面に置き、膝をつく。
ハレミチの右手に握られたスマホの画面、配信終了ボタンをそっと押した。
その配信は、同接一億人を優に超えていた。それだけの人に見守られながら逝けたのは、彼の本望なのだろうか。
誰も、すぐには言葉を発しなかった。
黒い雪が降り始める。
空から、ではない。
崩れた怪物の残骸が、灰のように舞っている。
それはやがて、ハレミチの姿を覆い隠した。
何も残らない。
ただ、冷たい静けさだけが残った。
数秒の無言、それが、僕には越冬より長く感じられたんだ。
「……どうやら、終わったようだね。」
僕らの声じゃない声が聞こえた。
何故、お前が。
「…リベリオス、何故生きている。」
僕は剣を手に持ち、立ち上がる。
「安心して。僕は君らと戦う気なんてないんだ。どころか、僕の方が、君らにツケを作ったみたいだ。」
リベリオスは、機械の姿を解除し、無防備な人の姿を曝け出す。
その声に、飄々さは無く、とても真面目で、どこかしんみりしていた。
「…一応、上に報告は入れておくよ。
それじゃあね。英雄くん達。次会う時は、トモダチとして会えることを願っているよ。」




