第二話 英雄のおしごと
メカニカル・コーポレーション第九工場。
食品の製造工場だ。
人工甘味料の甘さと、ギトギトの油の臭気に満ちている。
無数の食品を製造するために作られた工場内は、決して走ってはいけない。
油がこびりついて地面はヌメヌメで、もし転けて機材を壊してでもしまったら、数億円規模の賠償が発生するからだ。
だが、珍しく、素早い足音が響いている。
「キッド、ここから最も近い要救助者はどこだ?」
黒髪の青年が、走りながら隣の男に問いかける。
停止されたコンベアの上は滑りやすい。
落ちて仕舞えば、底の見えない奈落に真っ逆さまだ。
「えーと、B区画のドリンクエリア、その中の68輸送コンテナ付近だとよ!」
赤いジャケットを羽織り、黒い仮面を付けている男が返答する。
「それって…どこだ?」
「知るかよ!」
「おいあれ!走れ!ゲート閉まっちまうぞ!」
キッドが叫ぶ。
2人は全力で前へ走る。しかし、滑りやすくなった床のせいか、思う様に走れない。
ゲートは、そんなもの待たずにしまって行く。
「キッド、撃てるか。」
「お任せ!」
キッドは懐から2丁のリボルバーを取り出し、ゲートの操作パネルを正確に撃ち抜く。
赤いランプが点灯し、けたたましいブザー音が鳴り響く。
「っしゃぁ!止まった!」
2人が飛び出した先は、冬の様に冷え込む、冷凍庫で溢れた区画。
冷凍庫には、氷漬けになった魚たちがずらりと並び、生臭さがあたりに満ちる。
「今はC区画の鮮魚エリアだ。
恐らくB区画とは近いはずだ。」
「んならさっさといこうぜ、って避けろぉ!」
開かれた冷凍庫から、異形の人型生命体が、獣の様に飛びかかる。
霜焼けになった体が膨れ上がり、作業着が飲み込まれている。
鮮魚の物とは思えない、肉の腐臭が辺りに満ちる。
「もうここまで異化が進んでるか…引き返しては救助が間に合わない。戦うぞ。」
皇楓は槍を大きく振るう。
しかし、明らかに間合いは離れ過ぎてる様に見受けられる。
「龍よ、翔けろッ!」
槍先に追従する様に、金色の龍が翔ける。
龍の通り道に曝された怪物は、頭部を穿たれる。
怪物はどさっと音を立てて倒れ込み、動かなくなった。
「なあ、異能者って異化しねぇはずだろ?
ならなんで、こいつら異化してんだ?」
「メカ社が外部から雇った人間だろう。
異能学園に在籍するような、強力な異能者ならば、暴動を起こされかねないからな。」
「んだよ外注か。
都合よく使い潰して、災害で異化したら俺たちに片付けさせて、企業様は楽でいいなぁ。」
「キッド、先を急ぐぞ。
ここに異化した人がいるなら、要救助者も危ないかもしれない。」
「あいよ!」
霜がかかった通路に足を取られそうになりながらも、2人は駆け出す。
ふと横に目をやると、冷凍庫の扉をこじ開けて、異化した怪物たちが迫り来るのが見える。
「やべぇ、ちと騒ぎ過ぎた!」
「足を止めるな、逃げ切るぞ。」
数十体の怪物は、波のように押し寄せる。
B区画は目と鼻の先にある。
「まずい、要救助者がいる場所にこいつらを連れて行くことはできないぞ。」
キッドは考え込んだ後、斜め前を指差す。
「あそこのガスボンベ、使えるんじゃねえか?
あれを撃ってボン!んであいつらもボン!」
「…ならやるぞ。チャンスは一度きりだ。」
キッドは走りながら銃を前へと構える。
しかし、凍った地面に足を取られ、上手く狙いがつけられない。
「チッ、ヘヴン先生なら、こんな時でも撃ち抜けるんだろうなぁ。」
キッドはそう言うと、思い切り地面を蹴って飛び上がる。
「こうすりゃ滑んねぇだろ!」
体勢を維持しにくい空中で、彼は撃ってみせる。
風穴の空いたボンベから、息を吐くような音と共に、何らかのガスが抜けて出る。
「爆発まで10秒もないぞ!全力で走れ!」
皇楓が叫ぶ。
「イヤッフゥーー!!」
2人は同時にスライディング。閉まりかけのゲートに入り込んでみせた。
直後、耳をつんざく轟音と共に、凄まじい爆発が起きる。
焦げた甘味料の匂いが漂う。
鋼鉄製のゲートが歪に変形するほど威力だが、貫通はしなかった。
「先を急ぐぞ。
要救助者は、すぐそこだ。」
皇楓は立ち上がり、額についた血を拭う。
「でこのとこ、大丈夫か?血ぃ出てんじゃねぇか。」
「…ただの擦り傷だ。心配はいらない。」
2人はもう一度駆け出す。
今度の床には足を取られる心配はなさそうだ。
迷路のように入り組んだコンテナ地獄。
奇襲するなら、これ以上優れた場所はないだろう。
「おーーーい!誰かいねぇのかー!
助けに来たぞー!」
キッドは叫ぶ。
「待った、あそこの物陰、少し動いたぞ。」
皇楓が静止させ、物陰の方へ歩み寄る。
少し開いたコンテナの中は確かに揺れ、呼吸する音も聞こえる。
「誰かいるのか?出てきてくれ。」
開いた隙間から、小さな少年が顔を見せる。
先程まで泣いていたのか、目の下が真っ赤だ。
「大丈夫か?坊主、もう安心しろ!
お兄さんたちが来たからな。」
キッドは少し腰を曲げ、優しく手を伸ばす。
「おに…おにいさ…あ、ぁぁ…」
少年は安心したのか、泣きじゃくってしまう。
「怖がらなくていい。俺たちは、君を傷つけたりはしない。」
皇楓は、周囲を警戒しながらも、膝をつき、少年を宥める。
少しした後、泣き止んだ少年から2人は情報を聞くことにした。
「お前、パパとママはどこだ?」
「パパも、ママも、みんな、化け物に連れてかれちゃった。
泣きながら、助けてって…言ってた。」
少年は泣くのを堪えるように話す。
皇楓の顔が少し強張る。
そのまま、少年の頭に軽く手を乗せる。
「すまない──遅過ぎた。」
槍を持つ右手の力が、強まっていく。
「だが、今はここから抜け出すことを最優先に考えよう。」
皇楓は少年を諭しながらも、周囲を気にしている。
「うん、でも、猫のお姉ちゃんも一緒に逃げよう。」
少年の言葉から出てきたのは、意外な人物だった。
皇楓とキッドは目を見合わせ、息を飲む。
「な、なぁ坊主。その猫のお姉ちゃんって奴、猫耳のフードをつけてて、青い目をしてるやつか?」
「え?うん。お兄さんたち、知ってるの?」
瞬間、足音が鳴る。
皇楓は少年の前に立ち、キッドは銃を構える。
「いいか、俺たちが注意を引く。
その間に、君は逃げろ。出口は近い。」
足音は彼らに近寄る。
コツ。
コツ。
コツ。
「先手必勝!」
キッドは音の方へ発砲。
しかし、そこには影以外ない。
「ねぇ、いきなり発砲ってひどくない?」
人の声だ。影の方からか?
違う、後ろだ。
皇楓は反射的に槍を振るおうとする。
しかし、槍先が蹴り飛ばされ、何者かの足と壁の間に固定される。
尋常ならざる足の力。少なくとも、生身の人間ではなさそうだ。
「ちょっとぉ、あたし、化け物だと思われてんの?」
見上げた先には、黒いフードを被った女。
フードには猫耳が付き、その眼は青いタンザナイトの様に輝く。
「…お前だったか、シャムル。」
「逆に誰だと思ってたのさ。あたしだって、一応『薪の英雄』なんだよ?
まぁ、こんなナリだけど。」
軽口を叩きながら、シャムルと呼ばれる女は、コンテナから飛び降りる。
「猫のお姉ちゃん!」
「お〜少年、生きてたか!」
シャムルは少年の頭をぽんと叩き、笑顔になる。
「しっかし珍しいな。あの『カートゥーンの怪物』が人助けだなんて」
キッドは驚いた様な声で呟く。
「なに?あたしが人助けしちゃダメなんてルール、ないでしょ。」
「まぁそれもそうだな!
んなら、さっさとこんなクソッタレから抜け出すぞ。」
区画の出口から、外の光が溢れる。
「それなら、早く出発した方がいいかもね。
化け物に嗅ぎつけられちゃう。」
彼らは出口へ歩き出した。
しかし、無情にもゲートは閉じられる。
「…!気をつけろ、閉じ込められた。」
皇楓は槍を手にする力が強くなる。
「人様の土地を荒らすだけ荒らしておいて、そのまま帰るつもりか?」
彼らのものでは無い声が響く。
確かな怒気と殺意を帯びている。
辺りに稲妻が走り、コンテナが焼け焦げる。
空気が、文字通りピリつく。
ここにいる3人の英雄は理解させられた。
企業は、交渉に応じる気はない様だ。
「おいおい、面倒なやつに目ぇつけられたみてぇだぞ。」
キッドの仮面の裏に、確かな汗が滲む。
「なんで毎回巻き込まれるかなぁ。
来いよ、出てきな。『サンダー・ランス』」
シャムルは舐めていた飴を噛み潰し、ポケットに手を突っ込む。
「『荒龍』、『カートゥーンの怪物』姿は見えないが、センサーには反応している。見えないとでも思ったか?『星砕きの弾丸』。」
「えぇ!?俺が見破られた!?」
キッドは大袈裟に驚く。
彼の能力、「認識阻害」が通用しない様だ。
シャムルは少年の方を向き、優しく右手を頭に乗せる。
「少年、多分、あんたは見逃してもらえると思う。
あたしたちがやられたりでもしたら───『ベンジャミン』って男を尋ねて。
お姉さんとの約束。」
シャムルは左手の小指を、少年の小指に絡ませる。
約束、と言うことらしい。
「う、うん。」
直後、鋼鉄製の壁が叩き破られる。
「それじゃ、行った行った!
こっからは子供にはちょっと刺激が強いかもね!」
シャムルは少年の背中を押し、走らせる。




