第十四話 水曜日、なにもない腕を広げ
自然と、目が覚めた。
緊張か、恐怖か、やる気か、色々入り混じったものが湧き出てきた。
スマホを見ると、翌日の午前11時30分。
ほぼ丸一日、寝ていたらしい。
普段なら空腹になる時間帯だが、今日ばかりは空腹を感じない。
ふっとあくびをした後、僕たちの象徴である、篝火の刻印が記された上着を着る。
旗揚げの後、オーダーメイドで作った物。
これを着ていれば、焚き火は燃え続ける。
僕は剣を手に、一階へ降りる。
リビングには、みんなが集まっていた。
いつもはジャージやスウェットを着ているエイヤやシャムルも、今回はちゃんとした任務の時の服装だ。
「皆、集まったな。
アンサー、ハレミチとリベリオスの同行は?」
皇楓が、低く呟く。いつも真面目な彼だが、今日はいつにも増して真剣だ。彼の白金色の瞳は、強く先を見つめる。
パソコンをいじりながら、アンサーは言う。言葉はずっしりと重みを持っている。
「六十八番街にリベリオス出現。
六十二番街にハレミチの仕業と思われる死体が腐食が出現。
データは10分置きに送信します。」
「向かいましょう。
それぞれの持ち場へ、無理は禁物ですよ。」
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六十八番街、市街地。
スーツ姿の男が、電話越しに口論をしている。
「何度も言っただろうが。奴らを仕留めるのは俺の仕事だ。」
「悪いね、レックレス。キミは仕事が遅すぎた。上から、ボクの方で始末しろって言われてるんだ。さっさと昼食でも取ってきたらどうだい?スープバーの時間を過ぎてしまうよ。」
「テメェ、何様だと───。」
ツーツー。
男は電話を切り、吸い切ったタバコを吐き出し、ため息を一つ。
「まったく、脳筋バカの相手は疲れるよ。」
再び、電話が鳴る。
「もしもしトラキュレンス、キミの方からもレックレスに黙れって───なに?六十五番街の方から侵入しろ?
もう後少しで定位置まで着くのにか?
───作戦変更って…もうちょっと早めに伝えて欲しいよ。」
男はコツコツと足音を鳴らし、歩き去っていった。
彼が無視して通った路地裏の奥の腐敗には目もくれず。
昼食のスープバーの時間が終わる頃、英雄たちはやってきた。
アンサーから提示された情報を頼りに、その姿を探す。
店の中、路地裏、立体駐車場、高速道路の入り口。
データが示した場所には、黒いスーツの男はどこにもいなかった。
「どうなってやがる。なーんもいねぇぞ。」
キッドははぁ?と言う様な様子で、銃をくるりと回す。
「リベリオスはもう移動したのか?」
ヘンリーの声は、いつもよりもノイズが多いようだ。
「あれ?シャムは?」
レヴェルが、くるくると辺りを見渡す。
こんな時に、猫が1匹迷子のようだ。
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暗い暗い路地裏の中、あたしは立つ。
真っ暗で、なんにもいないはずなのに、どこか、気になった。
こんなとこにあのリベリオスとかいうやつがいるはずないのに。
足を進めようとしても、自然と歩みが止まる。
───なんか、こわい。
どこかから、足音が聞こえる。
一気に髪の毛が逆立つのがわかる。
猫じゃないけど、瞳孔が開いて、耳がぺったんこになりそうだ。
「──猫の…お姉ちゃん?」
後ろから、どこか懐かしい声がした。
メカ社の工業にカチコミを入れた時、助けた子だ。あれから、どうしてるのか少し気になってた。
確か、六十八番街に住んでるって言ってた。ひっさびさに会ったし、挨拶くらいしておこうと思ったが、リベリオスがどっかに潜んでるって可能性もある。ここは、乗らないけど、また逃した方がいいかな。
「あんた、あの時の少年か。
ここは危ないからさっさとどっか行きな。」
あたしは背後の少年に顔を向けようとする。
でも、すぐにおかしいことに気づいた。
なんで…足音が止まらないの?
途端、アンサーからの電話のコールが鳴り響く。
「もしもし?」
電波が繋がらないのか、ガビガビで、なんて言ってるのか全くわからない。
「ハ──に──。」
「ふざけてんのなら切るからね。」
回線が繋がった途端。
「逃げなさい!すぐ近くに!ハレ────」
ツーツー。
電話は、すぐに切れてしまった。
「…え?」
そのまま、少年の方を見る。
あの背丈、顔つき、髪型。うん、あの時、工場で助けた子だ。
しかし、その影は2つに重なって見える。
赤黒い瞳が、獲物を見定める様に、ずっと、止まっていた。
あたしは、その瞳を見たことがあった。
パパとママが、殺されたんだった。その瞳の持ち主に。
そして、立て続けに記憶が呼び起こされる。楽しい思い出の下に埋もれていた、思い出したくもないクソみたいな日々が。
あたしは、二人に逃がしてもらったんだ。命だけは助かって、だけどそれ以外はなにもなかった。
あてもなく街を彷徨った日々。ゴミを漁って、お金を盗んで、いっぱい殴られて、何度も蹴られて、たくさん吐いて、毎日飢えて、ずっと這いつくばって、でも踏ん張った日々。
ダンボールに包まって過ごしたあの夜。
風邪引いても、寒くても、なにもなくても、死にたくなくて。死ぬのが怖くて、堪え続けた日々。
異化災害に巻き込まれ、両足を失った瞬間。痛くて、泣きたくて、怖くて、でも死にたくなくて。それでも、立とうとしたあの決意。
楽しい今の下敷きになっていたものを。
全部。思い出した。
現実に戻れば、1秒も経っていなかった。
路地裏の地面が、白く変色していく。
辺りに、肌を刺す冷たさが満ちる。
体の全神経が「逃げろ」って叫んでる。
でも、動けない。動かない。
頭が真っ黒になって、ただ、目の前の獣に対する恐怖だけしか考えられない。
あたし、死ぬんだ。今わかった。
怪物は、大きな手で少年に触れようとする。
「お姉…ちゃん…」
少年も、恐怖に震える声で、微かに呟く。その震える姿に、どこか見覚えがあった。
もう、見捨てて逃げる?
ほんのちょっとだけ、そんなことを考えてしまった。あたしは、死にたくないんだ。
でも、この子は、私が逃げるのをを望んでいた。
「………逃げて。」
────は?
「…なんで。なんで。」
意識の外で、か細いながらも声が擦り出されていた。
誰に助けてもらえなかった、天涯孤独の少女。その前には、自分と同じ、命以外なにも残ってない孤独の少年。そして、少年は、最後の命すら失いかけている。
その時、あたしは思い出した。
「…あたしはヒーローなんだよ…?
…なのになんで、あんたに助けられないといけないの?」
ヒーローっていうものは、あたしたちみたいな、なにもない人を守るためにいるんだ。
赤黒い瞳が、少しだけ動いた。
「…あたしは…あんたを助けないといけないんだから。」
その時には、もう、知らないうちに、飛び出していた。
「あたしはヒーローだからッ!
助けてって言ってよッ!!!!」
人生で一番大きい声を出した気がする。
音すら置き去りにして、あたしは、なにもない腕を広げ、少年を抱きしめた。
抱きしめ、そのまま、走った。
赤黒い瞳は、一切動じることなく、あたしを見つめ続ける。
「お見事。」
たった一つだけ、聞こえた気がした。




