9月-2
目が覚める。
体が妙に重いような……だるいような感じがする。
……風邪か。
バカは風邪ひかないんじゃ…なかったっけ?
……バカは風邪ひいても分からないんじゃ…なかったっけ?
私は馬鹿ではなかった、ということだな。
だるい身体を無理やり起こして熱を計る。
ふむ……平熱。
喉はイガイガ、頭はガンガン。
でも……学校には、行けなくも、ない。
とりあえず、見つけた、喉に効く飴を舐める。
さらに戸棚を漁ると、頭痛薬を見つけた。いつのだ……?買った覚えは無いが……。
少しばかり、だけ、躊躇しながら飲む。
白くて丸いこの粒は、うっかりすると死ぬ事もあると聞いたことがある……誰から聞いたんだっけ。
高校には出席日数というものがある。これを満たさないと推薦は取れないし、もっと言えば単位を落とせば進学できない、なんて恵がボヤいていたな。だから、らうっちもちゃんと学校に来るように、なんて。
かかりたくてかかったわけではないのに、理不尽だと思う。
こういう考えも、風邪をひいてブルーになった、この状態ならではなんだろう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ぼーっと授業を受ける。ほとんど内容は入ってこない。
昼休み、頭痛薬を飲むために人目につかないところに行った。
なんとなく、気恥ずかしい気がするのだ。ただ独り、錠剤を上を向いて呑むというのは。決してそんなことはないはずなんだ。
でも、たくさんの人間がすれ違う中で……上を向いて、溢れんばかりの白い粒を飲んでいた人間は……たいそう変に映った。
どうしてだろう。
そうして転がってきた白い粒を拾い上げて……
薬と一緒に記憶を飲み込んだ。
ふと、気配を感じた。
ふっと振り向くと、柱によっかかって重そうな本をめくる志伊がいた。
え……いつからいたんだお前。
「……体調が悪い、かもね。」
本から目をあげずに志伊が言った。おかげで、私は志伊の横顔を見て返事を返すことができた。
「……そ、う。」
「……昼御飯を、食べるべきかな。」
正直言って、お昼は食べたくない。頭が割れそうで、気持ち悪くて、できれば布団に伏せっていたいくらいだから。
だから私は首を振った。動かすのもすごく痛いけど、長く喋るほうが辛いし、第一、声を出して長く喋ったら、弱っている声しか出ない気がする。
「……。」
教室に、戻ろう。
志伊が、私の進行方向に、あの黒い本を落とした。
なんとなく、この本に、見覚えがあるような気がしなくもないが……頭が痛くて全然思い出せない。私は、この本を、跨げない、避けれない、辛い。
「保健室に行くべきかな……。」
志伊が言う。
そんなことをしたら、心配されてしまう、恵は、あの子は、今、私の面倒を見なくて良くなってて、だから。
「教室、戻、る……」
「声が弱ってるし、ふらふらしてる……。無理のし過ぎかも。」
志伊はためらいがちにそう言った。そう聞こえただけかもしれない。彼に気遣いという感情があるのか、私は知らない。喉を抑えている。
「ほっとい、て。」
「でも……、立ち止まるわけにはいかない、ここで終わるわけにはいかない、そうだよね、らいうちゃん?」
ああ、そうだ、私はずっと、あの子の学校生活を邪魔していたんだから。そうに違いないんだから。
「学校をやめたらどうだろう。」
いきなり何の話か分からなかった。
志伊紅按の話はいつも論理展開が曖昧で、とびとびだ。私はチカチカする視界の中で、意味もなくそう思った。
「うん。ボクも学校をやめよう。ボクはこの世界に何も未練はないし。この世界は、理不尽だし。純粋な人間は損をするし。努力も真面目さも全て無駄になる。」
それは違うと、私は、私は、朦朧とした頭で考える。
真面目に努力をすることが、損だとは思いたくはない。私自身は、昔から、純粋でも、真面目でもないけど、だから、適当に生きればいいと思っている、でも、同時に、真面目な奴は、頑張った奴は、報われるべきだとも、思っていた。
恵は、あの子は、ずっと、真面目にやってきたから、結果として、あんなに友達ができたんだ。
「損して、ない。友達、いっぱ、い、いる。」
志伊はふうっと息を吐いた。
「どんなパラメーターを。どんなステータスを伸ばそうと。この世界で最も愚かじゃない生き残り方は、普通でいることなんだ。」
いつかの自分の考えを、突き付けられたみたいだ。
……体調が悪いと、どうにも感傷的になっていけない。
だが、何故か、今の私は、普通じゃない事、を尊びたい気分だった。
「ねえらいうちゃん?あの変人についてどう思う?」
恵は優しくて良い人間だ。変人なんかじゃない。
「まるで昔のキミみたいだと思わない? 想像力が豊かで、夢想家で。最も、ボクに視線を向けているか否かで、キミとは大きな違いがあるけど。……いや、到底昔のキミとは違うな。強いて言うならあの変人は……ボクの方が似ている。言われる悪口の種類も一緒だ。」
聞き捨てならなかった。
悪口、というのは、言われると悲しくなるもの、という知識だけがあった。私の今までの生涯では無縁なものだった。違う、見てみぬふりをしていた?分からないことを分からないままにして。私自身が言われたことがなかったから?
頭が痛い。
「昔のボクは普通だったけど、今は普通じゃない。普通じゃない人は、この世界に向いてないんだ。じきに分かる。皆の顔色を伺って、擬態しても、それがどれだけ無駄なことか。」
私は目を見開いた。そんなことはないと言いたかった。でも、頭が痛かった。もう限界だった。
「この世界がボクらを受け入れないなら、世界か世界を変えるしかない。」
志伊はそう絞り出す様に続けた。
「それでボクは、この世界を変える方を選んだ。」
あの子だったら何て言うだろうか。
「キミは変化が好きだよね。キミが出す馬鹿げたアイデアは、いつも変化と驚きに満ちていた。ボクじゃ到底思いつかなくて、だから、ボクは……」
志伊はそこで言葉を濁し、頭を抑えながら本を拾った。
ああ、これで通れる。
もう何も言う気配のない志伊の横を通り過ぎる時、私は、私の口は、勝手に言葉を紡ぎだした。
―"くあん、せっかくだからさ、もっと大きくて、皆が笑顔になれる様な夢を見ようよ"
誰の言葉だったか。耳に残っていた。
なんでか、流暢に言えた気がした。
そもそも、音になってたのか?
志伊紅按がつばを飲んだ気がした。
「……会いたいよ、らいうちゃん」
呟く志伊を置いて、私は足早にそこを立ち去った。
頭痛がひどくなってきた。
多分、この心臓の痛みのせいだ。
恵が悪口を言われてる事を知ったからか。それとも過去の傷が痛むのか。
教室の扉は開いていた。
私は机の上に伏せって目を閉じた。
石の上に横たわっている気がした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
周りには、誰も居ない。
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僕は目を開ける。
「サンク?ジュン?フュー?」
声が勝手に出た。
石造りの部屋はしん……としていて、生き物の気配がしない。
部屋の外に出た。
世界は、闇に包まれていた。
木々は動かない。
鳥の声一つさえ聞こえない。
夜?
何も動かない。
ただ一人、僕だけがここにいて……。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
冷たい。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
私は、声を聞いた。
「らうっち〜?もう授業始まるよー?眠い?」
「……ん、あ……頭、痛、いだ、け。」
私を起こしたのは恵だった。久しぶりに話した気がする。心配そうな顔をしている。
「え!?大丈夫!?えっとね、頭の上のとこ、ここを体の真ん中に向かって押すと良いらしいよ!」
ぎゅっと押してみる。……あまり変わらない。
「後は、頭の後ろのとこをこう、ぐっと」
「垣根さーん。号令して下さーい。」
「あ、はーい!」
今日の授業は、やっぱりほとんど頭に入らなかった。
家に帰って、ベッドに倒れ込む。がんがんする。酷くなっている気がする。
脳が脈打っているような。
冷蔵庫の中に冷やしてあった保冷剤を頭に当てる。これも、いつのものか、分からない。
……明日もこのままだったら休もうか。
恵は、一人で大丈夫だろうか。
……志伊の戯言を信じる必要が?
恵に、メッセージを打とうか、悩んだ。
液晶画面は、私の頭の痛みを強くする。
結局、私はその次の日、初めて高校を休んだ。
意外にも、いや、おこがましい考えだ。
恵からメッセージが来ることは、なかった。
何日か後……。私の風邪がすっかり良くなった頃……その夢の日はまたやってきた。
木隠来羽は風邪をひいた。
季節の変わり目は風邪をひきやすいので体調に気をつけなければなりませんね。




