第二話:娘と母と、勘違いと
「紅……うん、可愛いね! 君は今日から『紅』だ!」
凛が優しく微笑むと、赤竜の赤ちゃんは「きゅぅ!」と嬉しそうに一声鳴き、凛の首筋にすり寄りました。まだ掌に乗るほどの小さな体ですが、凛の肌に触れる鱗は不思議と温かく、心地よい熱を放っています。
「女の子かぁ。僕、初めてだよ、こんなに小さくて可愛い女の子の赤ちゃんを……」
凛は自分が男であることなどすっかり忘れ、紅を抱きしめながら幸せそうに呟きました。
その時、巣穴の奥から、大地を揺るがすような咆哮が響き渡りました。
「グオォォォォォォォォッッ!!!」
それは、怒り、悲しみ、そして殺意に満ちた、巨大なドラゴンの叫びでした。
巣穴の奥から現れたのは、体長20メートルはあろうかという、鱗を逆立てた**『古竜種』**。その巨体は、一歩踏み出すごとに巣穴全体を軋ませ、瞳は血のように赤く燃え上がっています。
「あれ……? ドラゴンさんだ。もしかして、この巣穴の持ち主かな?」
凛は呑気なことを言っていますが、目の前の古竜種は、すでに凛を「卵を食い荒らした捕食者」と認識していました。大蛇の消滅跡と、凛の腕に抱かれた卵(紅)を見て、最悪の誤解が完成しています。
「キサマァ……ッ! ワガコを……ワガコを食い荒らしたゲドモノめぇええええ!!」
古竜種は口を開き、マグマのような灼熱の息吹――**『ドラゴンのブレス』**を凛目掛けて放ちました。
「わわわっ!?」
咄嗟に紅を胸に抱き寄せ、凛は卵たちが残っていた岩陰へと隠れようとします。
しかし、ブレスはあっという間に凛を飲み込みました。岩も土も溶かし尽くす高熱が、凛の全身を包み込みます。
「きゅ、きゅ、きゅぅぅううううっ!!」
紅が、抱きしめる凛の胸元で恐怖に震えます。
だが、次の瞬間。
ブレスの炎が収まると、そこに立っていたのは、煤一つ付いていない凛の姿でした。
熱気で少し前髪がフワッと持ち上がった程度で、火傷一つ負っていません。
「うーん、なんだかちょっと熱かったかな……。焚き火くらいの温度だったけど、卵が焦げちゃうといけないもんね」
凛は自分の体の異常には全く気付かず、紅と残りの卵が無事か確認しています。
それを見た古竜種は、目を見開いて絶句しました。
――(な、なんだ……あの小童は!? ワシのブレスが効かぬだと!? まさか、あの『無限の刻印』……!?)
古竜種は、遥か昔の伝説に語られる「無限の刻印」を、一瞬、凛の右腕に見たような気がしました。
その時、凛の腕の中から、紅が飛び出しました。
「きゅぅううううううっ!!!」
小さな体で、威嚇するように両の羽を広げ、古竜種と凛の間に立ちはだかります。
全身の鱗は、怒りで赤く燃え盛るかのように輝き、まだ未熟な顎から、かろうじて小さな火の玉をポッと吐き出しました。
「紅!? 危ないよ、行っちゃダメ!」
凛は慌てて紅を追いかけますが、紅は古竜種の巨大な顔を見上げ、臆することなく叫びます。
「きゅぅ! きゅ、きゅぅううううう!!」
――『お母さんをいじめるな!』
――『紅が守る! 紅が倒すんだ!』
それは、確かに古竜種にも理解できる、幼い竜の叫びでした。
古竜種は、凛を睨みつけ、そして紅を見下ろします。
そして、ようやく気づきました。
自分と同じ、赤い鱗。
この幼い竜は、まさしく自分の……。
――(な、なんだと……!? ワシの子が、ワシを親とも思わぬ人間に懐き、そしてワシに敵意を向けているだと……!?)
古竜種の怒りは、瞬時に絶望と困惑へと変わりました。
自分の子供が、見知らぬ人間に「お母さん」という感情を抱いている。
そして、その「お母さん」を守ろうと、自分に牙を剥いている。
古竜種は、混乱のあまり、その場にずるりと座り込んでしまいました。
「あれ? ドラゴンさん、急に元気なくなっちゃった……。お腹でも痛いのかな? 大丈夫?」
凛は、未だ警戒心をむき出しにしている紅を抱き上げ、古竜種に心配そうに近づいていきます。
古竜種は、目の前の「可愛い(が、とんでもなく恐ろしい)」少年と、自分に反発する小さな娘を見て、深い溜息をつくしかありませんでした。
女神の独り言
「……凛。あなたに懐いたドラゴンが、その親を『いじわるな巨人』だと認識しているようですよ。本当に、あなたの周りの常識はどこへやら……」




