番外編:聖なる夜の、無自覚な約束
それは、魔界がイチゴの香る楽園へと変わり、異世界の勇者ハルトを見送った後の、静かな夜のことでした。
ダイヤモンドの宮殿のテラス。
凛は一人、夜空に浮かぶ二つの月を見上げていました。
「ふぅ……。今日もたくさん『お掃除』したなぁ。みんな、喜んでくれたかな」
そこへ、静かに歩み寄る人影がありました。
燃えるような紅い髪を夜風になびかせ、凛に着せられた聖なる衣を纏った少女――紅です。
「あるじ……こんなところで、何を?」
「あ、紅! 見て、今夜は月がとっても綺麗だよ」
凛が屈託のない笑顔で振り返ると、紅の胸の奥が、ドラゴンの逆鱗に触れた時よりも熱く、激しく疼きました。
彼女にとって、凛は命の恩人であり、育ての親(自称・母)であり、そして……。
「あるじ。紅は……幸せです。あの日、暗い穴の中で、あるじに拾われ、名前をいただいた。……紅の全ては、あるじのものです」
「何言ってるの、紅。僕の方こそ、紅がいてくれるから毎日が楽しいんだよ」
凛は、紅の少し熱い頬に、そっと手を添えました。
彼にとっては「家族」としての親愛の情。しかし、凛から溢れ出す『無限』の魔力が、紅の理性という名の防壁をいとも簡単に溶かしてしまいます。
「あるじ……。紅は、もっと……あるじと『一つ』になりたいのです」
「一つに? ……ああ、もっと仲良くなりたいってことだね! もちろん、僕だって――」
凛が言いかけたその時。
紅が、凛の言葉を塞ぐように、その紅い唇を重ねました。
――ちゅっ。
「……ん、……えっ?」
一瞬、世界から音が消えました。
凛の『全状態異常無効』のスキルも、この「甘い衝撃」だけは防げませんでした。
紅の唇から、彼女の命の源である『竜の魔力』が、凛の『無限の魔力』と混ざり合います。
二人の周囲で、空間が黄金の火花を散らし、枯れていた庭の花々が一斉に、月の光を浴びて青白く発光し始めました。
「……あ、あ、紅……!? 今のは、えーっと……」
顔を真っ赤にして固まる凛。
紅は、少しだけ潤んだ瞳で凛を見つめ、いたずらっぽく、それでいて深い愛を込めて微笑みました。
「これは、ドラゴンの『契約』ですわ。あるじ……これで、貴方の魂の半分は、永遠に紅のものです」
「け、契約……!? そんな大事なこと、先に言ってよぅ!」
「ふふ、あるじが『仲良くね』と仰ったではありませんか。……紅は、あるじの言うことを聞いたまでですわ」
紅は、戸惑う凛の腕に、幸せそうにしがみつきました。
その頃、壁の向こうでは……
「……ギギギギギッ……!!」
柱の影から、聖典をミシミシと握りつぶす聖女クラリスの姿がありました。
「……契約ですって? 竜のまじないなど、私の『神聖結婚』の秘蹟で上書きして差し上げますわ……!! 凛様、覚悟なさいませ!」
「(……師匠、南無三。俺、もう止める気力もねぇよ……)」
勇者レオンは、遠くで爆発した「リア充」の魔圧に当てられ、ただ夜空を仰ぐしかありませんでした。
女神の独り言
「凛……。ついにドラゴンの娘と『魂の契約(口づけ)』を交わしましたね。これであなたの『人間離れ』に拍車がかかりましたが……まあ、あんなに幸せそうな顔をされたら、女神としても文句は言えません。……さて、明日の朝、聖女様がどんな『奇襲』を仕掛けるか、今から楽しみですね」
「紅、なんだか体がポカポカするよ……」
「それは愛の熱量ですわ、あるじ。……さあ、今夜はもっと、紅の温もりを感じてくださいな」
凛の無自覚な愛の旅路は、こうしてさらに深い絆(と、さらなる修羅場)へと続いていくのでした。




