第貮章 猫の日 15P
「うん」
勿論、その見解は人によっても変わって来る。フルールの立場なら何を思うのか。
知りたくなったランディは、敢えて問う。どんな答えがあっても可笑しくはない。
例え、それが己の胸に深く刺さる言の刃であっても。
「もっと早くに気付けなかったのかって思う。そしたら沢山の人を悲しませずに済んだのに。好き勝手に生きて最後まで自分勝手。それってズルくない?」
時間を距離に換算したらどのくらいになるだろうか。きっとそれは無理な話。どれだけ歩いたとしても不可逆的な仕組みが道を阻む。どれだけ改心しても過去へ置き去りにした相手にはもう届かないのだ。悲しませた相手に対しての贖罪。それがこの物語には足りていないとフルールは思う。業を背負いながら最後に身勝手な答えを出しておしまい。どれだけ最後を飾っても見せかけの綺麗事が鼻につく。
「そうだね……残念な事に。気付く為に色々学ぶ必要があったから。その過程で沢山の人を悲しませてしまったんだと思う。そんな代償のお陰で最後にあんな答えを出せたんだ。重ねた過程は無駄じゃない。それにあの猫は……きちんと贖罪をしているよ」
「何処が?」
「だって百回も泣いたんだよ? 自分が人を泣かせた分、同じ数だけ泣いた。それで良くないかな? 猫自身は誰からも何も奪ってないんだし」
「それはそれで……狡くない? 単なる自己満足だわ」
「まあ、誰も怒れないよ。謝る意味も俺には見出せない。言ってしまえば……自分の命を粗末にしただけだから。でもそんな猫が最後に命の尊さを知った。本来はたった一つしかない事を理解し、自分もその摂理の中へ戻る事を自然と選んだ」
「……」
あくまでも感情との折り合いが付かないだけで猫は悪事を働いていない。無論、それで人の気持ちを踏み躙っても良い訳でも無い。だが、最後に自分も失う辛さを知った。
「全てを知って……数多の可能性を持っていても……結局、永久の終焉を選んだ。この話の根幹は其処にあるんじゃないかって俺は思ってる。たった一人。その人と一緒に逝きたいと思って。つまり、ユンヌちゃんの言ってた通り。次は無いんだと悟ったんだよ」
「あっそ——」
二度と訪れる事の無い唯一無二の幸福を知り、その幸福を胸に猫は旅立った。予め、永久の旅立ちの為に準備をされていた宿命であれば。意味を見出す為の土台としてその悲しみは無駄にはならない。猫の背負った業は、あくまでも童話を聞いた相手に対しての教訓でしか無い。沢山の間違いを犯し、やっと気づく事の無い様にする為の大切な教訓だ。
「ランディはどうなのよ?」
「俺? どういう事?」
フルールの不意を突いた一言がランディの胸に刺さる。
其処まで己が理解していると意思表示をしてしまえば、聞かれるのは当然。
「……そんな矜持が。あなたにもあるの?」
「中々、難しい事を聞くね? まだ青二才の俺に? それに百回も生きて無いよ?」
「そんなの関係無い」
誤魔化しは一切通用しない。茶色の瞳を真っすぐ見つめる茶色の瞳。
「どうだろうね……あって欲しいとは思ってる」
「思ってるだけ?」
「実際に行動へ移せるかどうかは別の話。だってそうだろ? 言ってしまえば……俺も今までお話の猫と同じ事をしてしまっているから。それがいけない事ではあると理解しているけど……状況は許しちゃくれない。結局、その狭間で揺れ動いている」
そう。何度も己は人の心を踏み躙り、ぐちゃぐちゃにして来たのだ。
「止めてって—— 何度も言ってるよね?」
「御免ね。でもこの目に映る全てを失いたくないんだ」
双子の時もそうだ。後悔や戒めが無い訳では無い。しかしながらランディはこれまでの軌跡を未練や失敗等と言う詰まらない言葉で埋め尽くしたくはなかった。いや。正確には口が裂けても言えない。何故なら数多の犠牲の果てに積み上げた今がある。教訓として後世には残せない。だからランディは結果を求め続ける。例え、それが間違いだと指摘されても。犠牲にした者達の無念を胸に功績を積み上げねば。本当の意味で全てが無駄になる。
ランディは奪った命に対しての逃れられない重責を背負っているのだ。
「でも……これだけは。これだけは言える」
それをフルールに伝える訳には行かない。
余計に悲しませるだけだから。
だからランディは笑顔で嘘を吐く。
「何よ?」
「俺は、少なくとも百回も間違える必要は無い。だって命が一つだから。そんなに沢山の間違いをするだけ余裕は与えられていない。そうだね……後は、これをすっかり忘れてた。何よりも重要だ。幸いな事に。俺にはね——」
「俺には?」
「間違える前に君がこうやって正してくれるから間違える事は無いのさ」
「っ!」
この生き地獄を生きるのは自分一人で良い。
だから。代わりにせめても彼女には明るい世界に居て欲しい。
その為ならば、どんな道化にでもなってみせよう。
「俺が間違えた時は君が俺を引き戻してくれ。頼むよ」
「……やだ」
「何でよ?」
「やだったらやだ。何が楽しくて子供のお守しないといけないワケ?」
「つれないなあ」
「バカらし……」
「そんな馬鹿と問答するからこうなる」
ランディの言葉を聞き、顔を背けるフルール。
一方、ランディは煙草を揉み消しながら一人、自嘲する。
もし、この嘘がばれてしまったら。
今の関係性は保てない。
確実に悲しい別れが待って居る。
だが、それまでは。
この優しい世界で生きていたい。
ランディは切に願う。
「でも……」
「でも?」
「っ! 考えるだけならしてあげなくもない」
唐突に顔を真っ赤にしたフルールが宣言する。まさか、この児戯に付き合って貰えると思っていなかったランディは目を丸くして動揺してしまう。己の動揺を悟られまいとランディは、大きな息を吸って深く長く吐いた。
「そうかい……それはありがたい」
「考えるだけっ、考えるだけだかんねっ」
「分かってる。分かってるって」
「ほんとに?」
「ほんと」
しつこく問い詰めて来るフルールをランディは宥めすかす。
「何か……ワケ分かんない」
「そうだね。俺も訳が分からん。一体全体どうしてこんな話になってるんだ?」
「あたしが聞いてんの」
「まあ……良いじゃないかな。頓珍漢なやり取りでも」
「何んでよ?」
「だってさ……俺達にはこんなに訳の分からない話をしているだけの無駄が許されてるんだから。それってとても贅沢な話じゃないかな?」
「……」
どうやら、世界はまだ自分に猶予を与えてくれるようだ。この掛け替えの無い時間を。
ランディは心の中で感謝する。でも。もし我儘を一つ言えるなら。少しでも長く。永久に感じられるこの愉快な時間を続けていたい。
「でも少し見方を変えれば……俺が気紛れ屋の御猫様を宥めすかしているだけなのかもしれない。きっとそうだ。間違いない。本当に手が掛かる御猫様だよ」
精一杯の照れ隠し。間違いだと分かっていても敢えてランディは間違える。
「……最後の言葉。それで良い?」
「……もっと他に良い言葉あった筈。ちょっと考えさせて」
「いいえ、あなたにそんな無駄は許されない」
「落ち着いてっ!」
服の袖を捲り、フルールは臨戦態勢を整える。
少しやり過ぎた。
今更、後悔をしても手遅れだ。
ならば、最後までこの物語を走り切るしかあるまい。
「ふむ……思いついた」
「聞いてあげようじゃない?」
牙を剥く猛獣へランディは果敢に挑む。
「にゃん—— うぐっ!」
さて、此度の教訓は如何に。
それは恐らく猫だけが知っている。




