第貮章 猫の日 14P
「止めなさい……こっちまで恥ずかしい……良い大人が鼻水垂らして泣いてんじゃない。と言うか、トンデモナイ顔であたしを見ないで。ほんとに良い話が台無しじゃないっ!」
ランディを中心に子供達の笑いが広がって行く。肩を叩いたり、頬を撫でたり、子供達からされるがまま、いじくられるランディ。一緒くたに馬鹿扱いをされては堪ったものではない。そんなランディを見て今後の付き合い方を考え始めるフルール。
「……ふふっ。やっぱり、ランディ君には敵わないなあ」
「あんな阿保に感心するじゃない」
「フルール、分かって無い」
「何がよ?」
いつの間にか、フルールの横に滑り込んでいたユンヌは醜態を晒すランディを見て微笑む。ユンヌが感心する理由が分からないフルールは大きな溜息を一つ吐く。
「子供達と距離が近い人、居ないよ? 皆、もう笑顔に変えてる。実は心配だったんだ。このお話をするの。為になるから親御さん達からって毎回、お願いされるんだけど……」
読み聞かせをする側の立場であれば、この話は嫌な憶測や予感がちらつく内容だ。物語とは。言わば、既に出来上がった料理。手を加える事は許されない。もし、中途半端に改変してしまえば、一貫性や本質そのものが失われ兼ねない。最初から悲しませてしまう結末が見えてしまっている。けれどもその流れを変えられはしない。例えば、嫌な思い出として記憶に残ってしまったら童話そのものに対して忌避感を抱くかもしれない。そうなれば、次第に読み物自体から離れた生活を送り始め、今後の教育にも悪影響を与える。成功すればより良き道徳が得られ。失敗すれば、心が欠落した人間を生み出してしまう。
随分と分の悪い賭けにユンヌは強制参加させられているのだ。
「まあ……分からんでもない。でもそれとこれとは話が——」
「別じゃないよ? 上から押し付けるのは誰でも出来る。でも一緒の目線で見て上げて。一緒に考えて答えを出して上げられる人はそんなにいない。だって……大変なんだもの。一度、同じ経験をしているから答えも分かり切ってる。だから過程に重きを置かない」
子を持つ親でも中々、骨が折れる工程だ。転ぶと分かっているから転ばぬよう教えるのだが、その過程を完璧に教えられる者は少ない。もし転んだとしても。再度、どうやって立ち上がれば良いかも大人は分かっている。しかしながら身をもって教える事も同様に難しい。最初は脇から抱えて立ち上がらせれば良いのだろうが。何時かは一人で立ち上がらなければならない。膝に出来た擦り傷の痛みを堪え、両手をついて立ち上がれば良い。結局のところ、非情だが最後にその解へ辿り着くには失敗を重ね、苦労をするしかない。
「フルールは出来る? とても悲しいお話を聞いた時の対処法を教えて上げられる? ああやって素直な感情を表に出して人目も気にしないで泣くのが本当の正解なんだって」
「……」
だが、その過程で何かしらの助言はあっても良い筈。特により複雑な己の感情とどう向き合うべきかと言う難題であれば。それを一人で理解しろと言っても無理がある。ならば、先達が全力で見本を見せねばなるまい。
「少なくとも私には出来ない。だって我慢する事を覚えちゃったから。それから時間が経って忘れるまで堪えるの。でもこれは間違いでも正しくも無い空虚な答え。そんな答えをあの子達に覚えさせるにはまだ早いわ。その前の過程として自分の素直な感情と向き合う事の方が重要。あの子達から喜怒哀楽を奪ったら人に寄り添えない人になっちゃう」
「……極論だわ。それにもしその感情の支配が強過ぎたらそれこそ、自分勝手になってしまうかもしれない。自分だけが傷つかない様に……ってなるかも」
フルールの主張も正しい。けれども現実は其処まで冷淡なものでは無い。確かに悲観も必要だが、見限って良い理由にあらず。記憶が確立していない赤子の時より親から授けられた何かがある。既に備わっているその何かが呼び覚まされる事を信じても。良い筈だ。
「その心配は無用。見て上げて。子供達を。自然とああやってランディ君をあやしてる。あの子達は今日、もう一つ学んだよ? 誰かに寄り添う大切さよ。でも……何だか複雑ね。逆にランディ君の方が心配になってきた。大丈夫かしら……」
上手くユンヌに言い包められ、フルールは複雑な表情を浮かべる。同時にランディの行く末を案じ、次第にユンヌも自信が無くなってしまう。
「分かった、分かったから。降参、降参。ほんとに……調子が狂う。どうしていっつも……あんなに無茶苦茶が出来るの? ほんと信じらんない」
「きっとそれが。ランディ君がランディ君であるって事……なのかも?」
「……」
人の気も知らず、何処までも自由に我が道を行くランディ。子供達と戯れている内に童話の内容もすっかり忘れ、子供達とケラケラ笑っているのだから始末に置けない。
このまま調子に乗らせて放って置けば、堂内開催の追いかけっこが始まる勢いだ。
誰かが止めに入らねばならない。ユンヌはフルールの背中をそっと叩く。
「ほら……そろそろ行って上げて収拾をつけないと。それがフルールの今の役名でしょ? そのお役名を全うしなきゃダメ。出来るのはフルールだけだもの」
「ほんと……損な役回り」
気が付けば、フルールも笑みを浮かべていた。そんな横顔にユンヌは何かを察する。
「満更でもない顔してよく言うよ」
「何か言った?」
「何にも言ってない」
「……仕方が無い。今日、最後の一仕事。骨が折れる」
「いってらっしゃい」
重い腰を上げて戦場へ向かうフルールをユンヌは微笑んで見送る。
本当に大切なものとは。
この読み聞かせは、各自がその片鱗を知るひと時となった。
*
無事、菓子を子供達へ配り終えた礼拝堂からの帰り道。
ランディはフルールを自宅へと送り届けていた。
「ふむ……今日は有意義な一日だった」
一仕事を終え、ランディは煙草を咥えながら大きく伸びをする。
「よく言うわ……あたしの迷惑も考えて」
すっかり暗くなった星の見えない夜空を見上げながらフルールが呟く。
「御免って……まさかあんな事になるとは」
「……」
「ヒトってほんとによく分かんないよね——」
「どの口が言う—— どの口が」
「この口が言う」
まるで他人事の様に装うランディの肩を小突くフルール。菓子を配るだけの簡単なおつかいの筈が、帰る頃には疲労で足が重い。おまけに無駄な体力を消費して腹も減った。小さく悲鳴を上げる下腹部を押さえながらフルールは思う。何故、普通の人間であれば、恙なく終わる簡単な雑用ですら奇妙奇天烈な出来事に変えてしまうのか。隣に居る何の変哲もない青年がもしかすると新種の生物なのでは無いかとフルールは疑いたくなる。
「でも難しい話だったなあ……あれ。多分、聞く度に別の視点から何かが見えてしまう。それに。きっともう少し年を取ってから聞くと今みたいにはならないんだろうね」
立ち昇る紫煙を眺めながらランディは童話の内容を思い返す。若さと初の出会い、それらが偶然重なり合った結果、今の受け止め方がある。それが二度目、三度目と回数を重ね、同時に年月も経て行けば、また違う視点からの見解が生まれるかもしれない。
死生観、人との関わり合い、常識。新たに己の辞書へ書き加えられる価値観が件の猫をどう捉えるか。今のランディには想像も出来ない。
「そうね……それは分からんでもない」
「フルールはどうだった?」
「あたし? あたしは——」




