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9/10

第9話 だから私、ただの営業マンなんですが……

 営業マンにとって、最も厄介な競合相手とは何か。

 価格の安い会社だろうか。品質の高い会社だろうか。それとも、豊富な資金力と圧倒的な知名度を誇る大企業だろうか。

 小日向奏斗は、どれも厄介だと思っていた。

 ただし、四年間の営業経験を通じて、一つだけ確信していることがある。

 競合他社が営業先に傭兵を送り込んでくるのは、明らかに反則である。


「……というわけで、金獅子商会がうちの取引先を脅して回っている」


 黒梟商会の会議室で、レオナ・ヴァイスが報告を終えた。

 机の上には、ベルグラードの河港を中心とした地図が広げられている。赤い印がつけられているのは、黒梟商会の取引先だった。

 その数、十二。

 うち五つには、大きな×印が書き込まれていた。


「……この印は?」


 奏斗が尋ねると、レオナは眉間に皺を寄せた。


「契約を打ち切られた取引先だ」

「五件もですか?」

「ああ。金獅子商会から圧力をかけられたらしい」


 奏斗は思わず息を呑んだ。

 五件。

 それも、わずか数日の間に。

 通常の営業活動であれば、相当な異常事態だった。


「……理由は分かっていますか?」

「金獅子商会と契約すれば、今後の港湾利用料を安くする。逆に、うちと取引を続けるなら、荷揚げ作業を断るそうだ」

「……それは、かなり強引ですね……」

「強引どころではない」


 レオナは地図の一角を指さした。


「昨日は、うちの荷馬車が港の入口で止められた。傭兵が十人ほど待ち構えていたそうだ」

「……十人……」


 奏斗の顔が青ざめた。

 怖い。とても怖い。

 前の会社にも競合他社はいたが、さすがに傭兵を雇っている会社はなかった。

 少なくとも、奏斗の知る限りでは。


「よし。なら、こっちも二十人出そうぜ」


 ガルド・バルバロッサが腕を組んだ。


「二十人で足りるか?」

「足りなきゃ三十人だ!」

「増やさないでください!」


 奏斗は反射的に叫んだ。

 ガルドは不満そうに鼻を鳴らした。


「じゃあ、どうすんだよ。黙って客を取られるのか?」

「いえ、そういうわけでは……」

「なら殴るしかねえだろ!」

「どうして二択なんですか!?」


 奏斗は頭を抱えた。

 この人は本当に、商売というものを何だと思っているのだろう。

 しかし、今回はガルドの言い分にも一理あった。

 相手が武力を使っている以上、こちらも無防備ではいられない。

 だからといって、全面抗争になれば、港の商売そのものが止まってしまう。

 それでは、誰も得をしない。


「……カナトはん」


 ロイド・ベルガーが口を開いた。


「今回は、前の灰蛇団みたいにはいきまへんで」

「……そうなんですか?」

「金獅子商会は、うちよりずっと大きい。金も人も持ってます。しかも、港湾の荷役組合に顔が利く」


 ロイドは笑みを浮かべたまま続けた。


「信用を積み重ねて勝つ、いうても、その信用を使う場所そのものを押さえられたら終わりですわ」


 奏斗は黙った。

 確かに、そのとおりだった。

 どれほど良いサービスを提供しても、商品を届けられなければ意味がない。

 営業マンが契約を取っても、物流が止まれば売上にはならない。


 奏斗は地図を見つめた。

 そして、ふと気づいた。


「……あの、ロイドさん」

「はいな」

「金獅子商会は、港から先の運送網も持っているんでしょうか」


 ロイドの目が細くなった。


「……と言いますと?」

「港で荷物を扱うのは得意でも、その荷物を各地へ運ぶ仕組みまで持っているとは限りませんよね?」


 レオナが口を開いた。


「確かに、金獅子商会の主力は港湾事業だ。街道輸送は外部の業者に任せている」

「……なるほど」


 奏斗は頷いた。


「でしたら、まだ勝負できる部分はあると思います」


 ヴォルフガング・グレイヴが腕を組んだ。


「……聞かせろ」


 奏斗は少し緊張しながら、口を開いた。


「金獅子商会は、港を押さえています。でも、私たちは港から先の運送網を持っています」


 奏斗は地図を指さした。


「つまり、港だけではなく、荷物が目的地に届くまでの全体を考えれば、こちらにも強みがあるはずです」


 会議室が静まり返った。


「……それで?」


 ヴォルフガングが尋ねた。

 奏斗は深く息を吸った。


「金獅子商会と、港の支配権を争う必要はありません」

「……何?」

「私たちは、荷物を確実に届けることに集中するんです」


 *


 翌朝。

 黒梟商会では、珍しく全幹部が集まっていた。

 奏斗が提案したのは、運送網の再編だった。

 金獅子商会が港を押さえているなら、そこだけに依存しない仕組みを作る。

 具体的には、河港の外側にある小規模な荷揚げ場や、街道沿いの倉庫を活用する。

 さらに、灰蛇団との共同運送契約を利用して、東街道の輸送能力を強化する。


 もちろん、すぐに実現できる話ではない。

 新しい荷揚げ場の利用許可、倉庫の確保、荷馬車の手配、取引先との調整。

 やるべきことは山ほどあった。


「……で、誰がやるんだ?」


 ガルドが尋ねた。

 奏斗は笑顔で答えた。


「皆さんです」

「……は?」

「私一人では無理ですので」


 会議室が静まり返った。

 奏斗は続けた。


「レオナさんには、運送路の安全確保をお願いしたいです。ガルドさんには、倉庫と荷馬車の警備を。ミレーユさんには費用の試算をお願いできますか?」

「……構わない」


 レオナが頷いた。


「警備なら任せろ!」


 ガルドが胸を叩いた。


「費用の試算はできます。ただし、予算を超えるなら止めますよ」


 ミレーユが眼鏡を押し上げた。


「ありがとうございます」


 奏斗は頭を下げた。

 そして、ロイドを見た。


「ロイドさんには、取引先との交渉をお願いしたいんです」

「……ほう?」

「金獅子商会の圧力で契約を打ち切った取引先も、必ずしも私たちを嫌っているわけではないと思います」


 ロイドは目を細めた。


「……なるほど。戻る理由を作ってやるわけですな」

「はい。無理に戻ってもらうのではなく、こちらと取引するメリットを示したいんです」

「……ええでしょう」


 ロイドは楽しそうに笑った。


「ほな、ワシの腕の見せどころですわ」


 最後に、奏斗は窓際を見た。

 そこには、いつの間にかシエル・ノクスが座っていた。


「……シエルさん」

「なあに?」

「金獅子商会の運送状況について、分かる範囲で調べてもらえますか?」

「いいよ」

「ただし、危険なことはしないでくださいね」

「……それ、僕に言う?」

「はい」


 シエルはくすくす笑った。


「分かった。なるべくね」

「なるべく、では困るんですが……」


 奏斗はため息をついた。

 しかし、これで必要な役割は揃った。

 あとは、それぞれが仕事を進めるだけである。

 ヴォルフガングは、そんな奏斗をじっと見つめていた。


「……カナト」

「はい?」

「お前は、随分と人を使うのが上手いな」

「……いえ、そんなことはありません」


 奏斗は慌てて首を振った。


「私は、皆さんのほうが詳しいことをお願いしているだけです」


 ヴォルフガングは笑った。


「それができる人間は、そう多くない」


 奏斗は困ったように笑った。

 褒められているのだろうか。

 しかし、彼にとっては当たり前のことだった。

 営業マン一人では、商品は作れない。

 契約を取っても、納品する人間がいなければ仕事にならない。

 経理が請求書を作らなければ、売上にもならない。

 だからこそ、周囲の人間と協力する必要がある。

 それだけの話だった。


 *


 三日後。

 黒梟商会の本部には、次々と報告が届いていた。


「カナトさーん!」


 ニコが勢いよく駆け込んできた。


「東街道の倉庫、使えることになりました!」

「本当ですか!」

「はい! 灰蛇団の人たちが、空いてる倉庫を貸してくれるそうです!」


 奏斗はほっとした。

 灰蛇団との共同運送契約が、思わぬ形で役に立った。

 もちろん、倉庫の利用料は発生する。

 しかし、港湾倉庫に依存しない拠点を確保できたことは大きかった。


「……よかったですね」

「はい!」


 ニコは嬉しそうに笑った。

 そのとき、ミレーユが書類を抱えて現れた。


「カナトさん。費用の試算ができました」

「ありがとうございます」

「新しい運送経路を使う場合、最初の一か月は赤字になる可能性があります」

「……そうですか」

「ただし、二か月目以降、一定の荷物量を確保できれば黒字化する見込みです」


 奏斗は頷いた。


「では、最初から全便を切り替えるのは避けましょう」

「そうですね。まずは試験運用が妥当です」


 ミレーユは微笑んだ。


「それと、ガルドさんのところから報告が来ています」

「……何でしょうか?」

「新しい倉庫の警備体制が整ったそうです」

「……よかったです」

「ただし、警備員が多すぎるので、半分に減らしてもらいました」

「……ありがとうございます」


 奏斗は心から感謝した。

 ガルドに任せきりにしていたら、倉庫より警備員のほうが多くなっていたかもしれない。


 *


 さらに二日後。

 ロイドが戻ってきた。


「いやあ、カナトはん。なかなか面白い結果になりましたで」

「……どうでした?」

「契約を打ち切った五件のうち、三件が戻ってきます」

「……本当ですか!」


 奏斗は思わず立ち上がった。


「ええ。金獅子商会の条件も悪くなかったんですが、向こうは港から先の運送が不安定らしくてな」

「……なるほど」

「うちは、目的地までまとめて運べる。しかも、遅延があった場合の対応も明確にした。そこを評価してくれはりました」


 奏斗は頷いた。

 価格だけではない。

 納期、品質、対応力。

 そうした要素も、取引先にとっては重要なのだ。


「……ありがとうございます、ロイドさん」

「いやいや。ワシは、あんたの考えた条件を説明しただけですわ」

「いえ、実際に交渉してくださったのはロイドさんですから」


 ロイドは一瞬だけ目を丸くした。

 そして、くつくつと笑った。


「……ほんま、変わったお人ですなあ」

「……またですか」

「普通、手柄は自分のものにしたがるもんですけど」

「……そんなことはありませんよ」


 奏斗は苦笑した。


「皆さんが働いてくださった結果ですから」


 ロイドはしばらく奏斗を見つめていた。

 そして、静かに頷いた。


「……そうですな」


 *


 しかし、問題はまだ終わっていなかった。

 その日の夕方。

 シエルが本部に戻ってきた。


「カナト。ちょっとまずいことになったよ」

「……何でしょう?」

「金獅子商会が、うちの新しい運送経路を潰そうとしてる」


 奏斗は眉をひそめた。


「……どういうことですか?」

「東街道の倉庫に、傭兵を送り込むつもりらしい」

「……えっ?」

「今夜、襲撃があるかもしれない」


 奏斗の顔から血の気が引いた。

 せっかく整えた運送網。

 ようやく戻ってきた取引先。

 それらが、また暴力によって壊されようとしている。


「……レオナさんには?」

「もう伝えたよ」

「……そうですか」


 奏斗は深く息を吐いた。

 ここから先は、営業マンの仕事ではない。

 少なくとも、自分一人で何とかできる問題ではなかった。


 *


 夜。

 東街道の倉庫には、緊張した空気が漂っていた。

 レオナとガルドが、それぞれ部下を率いて警備に当たっている。

 倉庫の中には、翌朝出発する予定の荷物が積まれていた。

 奏斗は、少し離れた場所で様子を見守っていた。


「……カナト」


 レオナが声をかけた。


「はい?」

「お前は本部に戻れ」

「……でも」

「ここは危険だ。お前がいる必要はない」


 奏斗は少し考えた。

 確かに、自分がいても戦力にはならない。

 むしろ、足手まといになる可能性が高い。


「……分かりました」


 奏斗は素直に頷いた。


「皆さん、どうかお気をつけて」


 レオナは小さく笑った。


「……ああ」


 そのときだった。

 倉庫の外から、怒声が響いた。


「黒梟の連中! 出てこい!」


 奏斗は飛び上がった。

 傭兵たちが来たのだ。

 ガルドが拳を鳴らした。


「……ようやく来たか」


 レオナが剣に手をかける。

 奏斗は青ざめた。

 まずい。このままでは、本当に戦いが始まってしまう。


「……あのー!」


 奏斗は思わず声を上げた。


「ちょっと待ってくださーい!」


 レオナが振り返った。


「カナト!?」

「……私、少しだけ話してみます!」

「馬鹿を言うな!」

「でも、まだ戦う必要があるかどうか分かりませんから!」


 奏斗は震える足で、倉庫の入口へ向かった。

 外には、十数人の傭兵が立っていた。

 先頭にいるのは、金獅子商会の紋章をつけた男だった。


「……お前が黒梟の代表か?」

「い、いえ! 代表ではありません!」


 奏斗は慌てて首を振った。


「小日向奏斗と申します。運送関係の担当者です」

「……何?」

「本日は、どのようなご用件でしょうか?」


 男は一瞬、言葉を失った。

 そして、怒鳴った。


「この倉庫を明け渡せ!」

「……理由を伺っても?」

「金獅子商会が使うことになった!」

「……契約書はありますか?」

「……は?」

「こちらは、灰蛇団との正式な賃貸契約に基づいて使用しております。もし権利関係に変更があったのであれば、書面で確認したいのですが」


 男は黙った。

 奏斗は続けた。


「もちろん、正当な権利があるのであれば、確認のうえ対応いたします。ただ、口頭だけでは判断できませんので……」


 傭兵たちがざわめいた。


「……おい、隊長……」

「なんだ」

「こいつ、何言ってるんだ……?」

「……分からん」


 奏斗は困った。

 そんなに難しいことを言ったつもりはない。

 ただ、契約書を見せてほしいと言っただけである。

 そのとき、背後からロイドの声がした。


「いやあ、困りましたなあ」


 振り返ると、ロイドがゆっくりと歩いてきた。


「契約書もなしに倉庫を明け渡せ言われましても、こちらとしては応じられまへんわ」


 その笑顔は、いつもどおり穏やかだった。

 しかし、目はまったく笑っていなかった。


「それに、今夜ここで騒ぎを起こしたら、明日の荷物が遅れます。そうなれば、取引先に損害が出ますなあ」


 ロイドは傭兵たちを見渡した。


「その損害、どなたが補償してくれはるんです?」


 傭兵の隊長が顔をしかめた。


「……知るか!」

「そうですか」


 ロイドは笑みを深めた。


「ほな、金獅子商会さんに直接請求することになりますなあ」


 奏斗は頷いた。


「はい。契約上の責任がある場合は、正式に確認する必要があります」


 隊長の顔色が変わった。

 金獅子商会の幹部から命じられたのは、倉庫を脅して明け渡させることだった。

 しかし、契約書や損害賠償の話など、聞いていない。

 しかも、背後には《赤刃》レオナと《鉄拳》ガルドが控えている。

 ここで戦えば、ただでは済まない。


「……くそっ」


 隊長は舌打ちした。


「今日は引くぞ!」


 傭兵たちは、ぞろぞろと引き上げていった。

 奏斗は、その背中を見送った。

 そして、膝から崩れ落ちそうになった。


「……よかった」


 怖かった。本当に怖かった。

 しかし、何とか戦いを避けることができた。

 その隣で、ロイドが楽しそうに笑っていた。


「いやあ、カナトはん。見事なもんですわ」

「……いえ、私は何も……」

「契約書一枚で、傭兵を追い返すとはなあ」

「……たまたまですよ……」


 奏斗は苦笑した。

 実際、ロイドやレオナたちがいなければ、どうなっていたか分からない。

 自分一人の力ではない。

 それだけは、はっきりしていた。


 *


 翌日。

 黒梟商会の本部では、久しぶりに明るい報告が続いていた。

 新しい運送経路の試験運用は、予定どおり始まった。

 金獅子商会の圧力で離れた取引先も、少しずつ戻り始めている。

 もちろん、問題がすべて解決したわけではない。

 しかし、少なくとも、黒梟商会は生き残った。


「……よくやったな、カナト」


 ヴォルフガングが満足げに頷いた。


「ありがとうございます」

「今回の件で、うちの運送網は以前より強くなった」

「……そうですね」

「それも、お前が皆を動かしたからだ」


 奏斗は慌てて首を振った。


「いえ、私は皆さんにお願いしただけです!」

「それができる人間は、そう多くない」


 ヴォルフガングは笑った。


「……カナト。お前には、近いうちに正式な話をしたい」

「……正式な話?」

「ああ。楽しみにしていろ」


 奏斗は嫌な予感を覚えた。

 非常に嫌な予感だった。

 しかし、ヴォルフガングはそれ以上何も言わなかった。

 ただ、意味深に笑っている。

 奏斗は静かに目を閉じた。

 どうか、面倒な話ではありませんように。

 そう願った。

 しかし、その願いが叶わないことを、彼はまだ知らなかった。


 翌日、黒梟商会の本部では、盛大な宴会の準備が始まっていた。

 そして、その中央には、なぜか奏斗の名前が書かれた大きな垂れ幕が掲げられていた。

 そこには、こう書かれていた。


『黒(・)梟(・)商(・)会(・)・(・)新(・)幹(・)部(・)就(・)任(・)祝(・)賀(・)会(・)』


「…………」

 奏斗は、しばらくその文字を見つめていた。

 そして、ゆっくりと振り返った。


「……あの、ニコさん」

「はい!」

「これ、誰の就任祝賀会でしょうか」


 ニコは満面の笑みを浮かべた。


「もちろん、カナトさんのです!」

「…………」


 奏斗は静かに目を閉じた。

 どうやら、自分の知らないところで、人生最大の人事異動が決まっていたらしい。

 なお、本人はまだ、昇進の内示すら受けていなかった。

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