第8話 王国騎士団から呼び出されました。退職できますか?
営業マンにとって、取引先からの呼び出しには二種類ある。
良い呼び出しと、悪い呼び出しだ。
前者は追加発注や新規契約の相談であり、後者はクレーム、契約解除、あるいは上司同席での謝罪要求である。
小日向奏斗は四年間の営業経験から、悪い呼び出しを察知する能力だけは身につけていた。
そして今回の呼び出しは、間違いなく後者だった。
「王国騎士団より通達する。黒梟商会の運送事業について、正式な調査を行う」
黒梟商会の玄関に立つ騎士は、銀色の鎧を身につけていた。
腰には長剣。胸には王国の紋章。
その背後には、さらに四人の騎士が控えている。
奏斗は思った。
とうとう来た。
いつか来るとは思っていた。
なにしろ、ここは犯罪組織なのだ。
むしろ、今まで来なかったことのほうが不思議だった。
「……あの」
奏斗は恐る恐る手を挙げた。
「私、まだ試用期間中なんですが……」
騎士が眉をひそめた。
「何の話だ?」
「いえ、もし何か問題があった場合、退職という形で……」
「カナト!」
背後から、レオナの鋭い声が飛んだ。
「余計なことを言うな!」
「……はい!」
奏斗は反射的に背筋を伸ばした。
どうやら、異世界では退職願を提出するタイミングにも注意が必要らしい。
*
王国騎士団の使者が帰ったあと、黒梟商会では緊急会議が開かれた。
「……で、どうする?」
ガルドが腕を組んだ。
「騎士団が来るってんなら、迎え撃つしかねえだろ」
「迎え撃たないでください!」
奏斗は即座に叫んだ。
「なんだよ。敵が来るんだぞ?」
「相手は国家機関です!」
「だから何だ?」
「だから何だ、ではありません!」
奏斗は頭を抱えた。
この人は、本当に何でも殴って解決しようとする。
しかし、今回は相手が悪すぎる。
騎士団と全面衝突すれば、黒梟商会など一瞬で潰されてしまうのではないだろうか。
「ガルド。黙っていろ」
レオナが冷たく言った。
「騎士団と戦うのは最後の手段だ。まずは調査の目的を確認する」
「……そうですよね!」
奏斗は思わず頷いた。
さすがレオナである。
この組織で数少ない、話の通じる人間だ。
「必要なら、担当官の弱みを探る」
「……レオナさん?」
「それでも駄目なら、証拠を押さえている人間を特定する」
「……何をするつもりですか?」
「状況による」
「怖いことを言わないでください!」
奏斗は再び頭を抱えた。
どうやら、まともな人間はいなかった。
「まあまあ。落ち着きましょ」
ロイドが穏やかに口を挟んだ。
「騎士団の方々も、お仕事で来はるんです。まずは丁重にお迎えしたらよろしいんと違います?」
「……ロイドさん!」
奏斗は顔を上げた。
「そのとおりです!」
「茶菓子でも用意して、気持ちよくお帰りいただく。場合によっちゃ、少々お土産も持って帰ってもろて……」
「賄賂は駄目です!」
「いやあ、カナトはん。まだ何も言うてまへんがな」
「今、言いかけました!」
ロイドは楽しそうに笑った。
奏斗はため息をついた。
この組織の幹部会議は、毎回心臓に悪い。
そのとき、ヴォルフガングが口を開いた。
「……カナト」
「はい?」
「お前はどう考える?」
奏斗は少し考えた。
騎士団が調査に来る。
それ自体は、もう避けられない。
ならば、必要なのは相手の目的を確認し、問題のある部分とない部分を整理することだ。
「……まず、調査対象となっている運送事業の記録を確認したいです」
「記録?」
「はい。騎士団が何を疑っているのか分かりませんが、少なくとも正規の取引については、説明できる資料を用意しておくべきだと思います」
ミレーユが頷いた。
「運送台帳なら、最近ようやく整理できました」
「それを使いましょう。契約書、運行記録、荷物の受領記録、料金の支払記録。それぞれを照合しておけば、質問にも答えやすくなります」
「……なるほど」
ヴォルフガングは腕を組んだ。
「つまり、騎士団にこちらの商売を説明するわけだな」
「はい。ただし、説明できない部分については、無理に取り繕わないほうがいいと思います」
その言葉に、会議室が静まり返った。
レオナが眉をひそめる。
「……それは、どういう意味だ?」
「分からないことを、分かったふりで答えないということです。確認が必要なら確認する。間違った説明をすれば、かえって疑われますから」
奏斗は真面目な顔で続けた。
「それに、もし本当に問題のある取引があったなら、改善する必要があります」
ヴォルフガングはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと頷いた。
「……いいだろう。お前に任せる」
「……えっ?」
「騎士団への説明を担当しろ」
「…………」
奏斗は固まった。
「……あの、グレイヴさん」
「なんだ?」
「私、まだ入社して十日ほどなんですが……」
「だからこそだ。お前はうちの昔の事情に詳しくない」
「……それ、むしろ不利では?」
「知らないことを、知らないと言えるだろう」
奏斗は言葉を失った。
確かに、そうかもしれない。
しかし、だからといって、国家機関との交渉を新人に任せるのはどうなのだろう。
「安心しろ。レオナとミレーユをつける」
ヴォルフガングは豪快に笑った。
「期待しているぞ、カナト!」
奏斗は静かに目を閉じた。
またしても、断る機会を失ってしまった。
*
翌日。
黒梟商会の本部に、王国騎士団の調査官が訪れた。
先頭に立っていたのは、三十代半ばほどの男だった。
短く刈り込んだ茶髪に、鋭い灰色の瞳。鎧の上から濃紺の外套を羽織り、腰には長剣を提げている。
「王国騎士団、商業監察部門所属。アーネスト・ヴァルナーだ」
男は名乗ると、奏斗を見た。
「お前が、黒梟商会の代表者か?」
「い、いえ! 代表ではありません!」
奏斗は慌てて首を振った。
「小日向奏斗と申します。本日は説明担当として同席しております」
「……説明担当?」
「はい。まだ入ったばかりですが、運送関係の書類整理を担当しておりまして……」
アーネストは怪訝そうに眉をひそめた。
「……新入りを窓口にするとは、随分と余裕があるな」
「いえ、余裕はまったくありません!」
奏斗は正直に答えた。
レオナが横で小さく咳払いした。
「……カナト」
「……はい」
どうやら、余計なことを言ったらしい。
アーネストはしばらく奏斗を見つめていたが、やがて椅子に腰を下ろした。
「では、始めよう」
*
「まず、黒梟商会の運送事業について確認する」
アーネストは書類を広げた。
「東街道を通る荷物の一部に、申告内容と実際の積荷が一致しないものがあるという情報が寄せられている」
奏斗は背筋を伸ばした。
「……申告内容と、実際の積荷が?」
「そうだ。特に、港から東街道へ向かう荷物だ」
レオナの表情がわずかに険しくなった。
ミレーユも、帳簿を握る手に力を込めた。
奏斗は二人の様子を横目に見た。
嫌な予感がした。
この組織は、表向きには運送業を営んでいる。
しかし、裏では密輸も行っている。
そのことは、すでに聞いていた。
つまり、騎士団の疑いは、必ずしも見当違いではない。
「……具体的には、どの運送記録でしょうか?」
奏斗は慎重に尋ねた。
アーネストは紙を差し出した。
「この三件だ」
奏斗は書類に目を落とした。
日付、荷主、運送経路、積荷の種類。
三件とも、港から東街道へ向かう運送だった。
しかし、そのうち二件には見覚えがあった。
「……こちらの二件については、記録があります」
奏斗はミレーユに目配せした。
彼女が用意していた帳簿を開く。
「一件目は、織物商からの依頼です。二件目は、食料品の運送ですね」
「証拠は?」
「契約書と受領記録があります。こちらです」
奏斗は書類を差し出した。
アーネストは無言で目を通した。
「……なるほど」
しばらくして、男は頷いた。
「この二件については、確かに記録が一致している」
奏斗はほっとした。
少なくとも、二件は説明できた。
しかし、問題は残りの一件だった。
「……では、三件目は?」
アーネストが尋ねた。
奏斗は書類を確認した。
そこには、見知らぬ荷主の名前が記されていた。
積荷は、工業用の鉱石。
しかし、運送記録には詳細がない。
「……申し訳ありません。こちらについては、現時点では確認できません」
アーネストの目が細くなった。
「確認できない?」
「はい。私が整理した帳簿には、該当する記録がありません」
「……つまり、記録を残していない運送があるということか」
「その可能性はあります。ただ、記録の所在を確認しなければ、断定できません」
奏斗は正直に答えた。
アーネストは腕を組んだ。
「……随分と正直だな」
「……そうでしょうか?」
「普通、こういう場では、何とか言い逃れようとするものだ」
「……いえ、間違った説明をすると、後で困りますので……」
奏斗は苦笑した。
前の会社でも、クレーム対応で最も避けるべきなのは、根拠のない説明だった。
その場を取り繕っても、後で矛盾が見つかれば信用を失う。
だから、分からないことは分からないと言う。
それだけのことだった。
しかし、アーネストは何かを考えるように黙り込んだ。
「……では、その三件目について、追加資料を提出してもらおう」
「承知しました」
「期限は三日後だ」
「……三日後、ですね」
奏斗は頷いた。
そして、ふと気づいた。
「……あの、一つ伺ってもよろしいでしょうか?」
「なんだ」
「今回の調査は、黒梟商会の運送事業全体を停止させるためのものなのでしょうか」
アーネストは眉をひそめた。
「……なぜ、そう思う?」
「いえ、もし全体が停止となれば、問題のない取引先にも影響が出ますので」
奏斗は慎重に言葉を選んだ。
「正規の運送については、継続できるようにしていただけないでしょうか?」
アーネストはしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……我々の目的は、違法な取引を取り締まることだ」
「はい」
「正規の商売を妨害することではない」
「……ありがとうございます」
奏斗は深々と頭を下げた。
アーネストは小さく息を吐いた。
「ただし、問題が確認されれば、相応の処分は行う」
「承知しています」
奏斗は頷いた。
それは当然のことだった。
犯罪組織だからといって、すべての商売が違法というわけではない。
しかし、違法な取引があるなら、それは別問題である。
少なくとも、そこを混同しないことが重要だった。
*
調査官たちが帰ったあと、奏斗は椅子に深く沈み込んだ。
「……終わった」
全身から力が抜ける。
怖かった。本当に怖かった。
あのまま連行されるのではないかと、何度も思った。
「……カナト」
レオナが声をかけた。
「はい?」
「よくやった」
「……えっ?」
「正規の運送事業について、停止を避けられた。あの場で余計なことを言わずに済んだのも大きい」
「……ありがとうございます」
奏斗は苦笑した。
「ただ、三件目の運送については、確認が必要ですね……」
レオナの表情が険しくなった。
「……ああ」
「何か、ご存じなんですか?」
レオナは少し黙った。
そして、静かに答えた。
「……あの運送は、私も詳細を知らない」
「……そうなんですか?」
「ただ、通常の運送部門とは別の経路で処理されている可能性がある」
奏斗は嫌な予感を覚えた。
別の経路。
つまり、裏の仕事である。
「……それ、まずいですよね」
「……ああ」
二人はしばらく黙っていた。
やがて、レオナが口を開いた。
「シエルに調べさせる」
「……お願いします」
奏斗は頷いた。
自分にできることは、書類を整理し、事実を確認することだけだ。
しかし、それだけでも、何かの役には立つだろう。
*
その夜。
黒梟商会の会議室では、ヴォルフガングが報告を受けていた。
「……なるほど。騎士団は三件目の運送を疑っているわけか」
「はい」
奏斗は頷いた。
「正規の取引については、継続できる見込みです。ただし、三件目については追加資料を求められています」
「……そうか」
ヴォルフガングは腕を組んだ。
しばらく考えたあと、低い声で言った。
「……カナト」
「はい?」
「お前は、うちの仕事をどう思う?」
奏斗は言葉に詰まった。
黒梟商会。
表向きは商会だが、実態は裏社会の組織である。
密輸、違法賭博、債権回収、縄張り争い。
そのすべてを、正しいと言うことはできない。
「……正直に申し上げても、よろしいでしょうか」
「ああ」
奏斗は少し考えた。
「……私は、できれば、誰かを傷つける仕事はしたくありません」
ヴォルフガングは黙って聞いていた。
「もちろん、商会にはいろいろな事情があると思います。ただ、誰かを脅したり、騙したりしなくても利益を出せる方法があるなら、そちらを選びたいです」
奏斗は顔を上げた。
「……それが、私の考えです」
ヴォルフガングはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと笑った。
「……そうか」
「……はい」
「実にお前らしい答えだ」
奏斗は少しだけ安心した。
しかし、ヴォルフガングは続けた。
「だが、カナト。世の中には、綺麗事だけでは守れないものもある」
「……はい」
「……俺たちは、そういう場所で生きてきた」
その声には、いつもの豪快さがなかった。
元傭兵として、行き場のない者たちを集め、組織を作った男の言葉だった。
奏斗は何も言えなかった。
ヴォルフガングは立ち上がった。
「……まあ、いい。お前のやり方を否定するつもりはない」
「……ありがとうございます」
「ただし、忘れるな。ここは黒梟商会だ」
奏斗は頷いた。
それは、分かっている。
分かっているつもりだった。
*
翌朝。
シエルが事務室に現れた。
「カナト。ちょっと面白いことが分かったよ」
「……面白いこと?」
「うん。騎士団に情報を流した人間のこと」
奏斗は顔を上げた。
「……分かったんですか?」
「まだ確定じゃないけどね」
シエルはにやりと笑った。
「どうやら、灰蛇団が関わってるみたい」
「……灰蛇団?」
奏斗は眉をひそめた。
つい先日、共同運送契約を結んだ相手である。
その相手が、騎士団に情報を流していた。
もし本当なら、かなり厄介な話だった。
「……それは、困りましたね……」
「でしょ?」
「はい。せっかく契約したばかりなのに……」
シエルは目を細めた。
「……怒らないの?」
「……え?」
「裏切られたかもしれないんだよ?」
奏斗は少し考えた。
「……まだ、裏切りと決まったわけではありませんから」
「……ふうん」
「それに、もし本当に問題のある運送があったなら、通報されても仕方がないと思います」
シエルはしばらく奏斗を見つめていた。
そして、くすりと笑った。
「……君って、本当に変わってるね」
「……そうでしょうか」
「うん。普通の人なら、まず裏切り者を探すのに」
奏斗は苦笑した。
「……私は、まず書類を探したいです」
シエルは声を上げて笑った。
「ははっ! やっぱり面白い!」
奏斗はため息をついた。
どうやら、異世界では書類を探すだけでも、変人扱いされるらしい。
そして、その日の午後。
黒梟商会の本部に、一通の手紙が届いた。
差出人は、金獅子商会。
ベルグラードの港湾事業を牛耳る、大商会の一つだった。
封を開いたレオナは、しばらく文面を見つめた。
「……カナト」
「はい?」
「面倒なことになった」
「……何でしょうか」
「金獅子商会が、港の運送契約を独占しようとしている」
奏斗は目を瞬いた。
「……独占?」
「ああ。うちの取引先にも、契約解除を迫っているらしい」
「…………」
奏斗は静かに目を閉じた。
ようやく騎士団の調査が一段落したと思ったら、今度は競合他社との争いである。
しかも、相手は巨大商会。
前の会社でも、大手企業との競争には苦労した。
だが、今回は事情が違う。
相手が雇っているのは、営業マンではなく傭兵だという。
「……あの、レオナさん」
「なんだ?」
「ちなみに、金獅子商会との交渉も、私が担当するんでしょうか」
レオナは少し考えた。
そして、静かに頷いた。
「……おそらくな」
奏斗は天井を見上げた。
異世界に来て、まだ二週間も経っていない。
それなのに、犯罪組織の経営改善、債権回収、採用面接、経費監査、国家機関への対応、そして競合他社との商談。
どう考えても、業務範囲が広すぎる。
「……あの」
奏斗は小さく呟いた。
「これ、もう営業マンの仕事じゃないですよね……?」
レオナは答えなかった。
ただ、少しだけ気の毒そうな顔をしていた。
それが、何よりも恐ろしかった。




