第5話 敵対組織との抗争? まずは商談の場を設けましょう
営業マンにとって、競合他社という存在は避けて通れない。
同じ商品を扱い、同じ顧客を奪い合い、時には価格競争を繰り広げる。昨日まで懇意にしていた取引先が、今日になって他社へ乗り換えることも珍しくない。
だからといって、競合他社の社員を殴ってはいけない。
ましてや、会社に火をつけてはいけない。
日本では、それが常識である。
しかし、異世界では必ずしもそうではないらしい。
「よし。灰蛇団の倉庫を三つほど焼くか」
「焼かないでください!」
小日向奏斗は、思わず立ち上がった。
黒梟商会本部、二階会議室。
長机を囲んでいるのは、商会の幹部たちだった。
首領ヴォルフガング・グレイヴ。副首領レオナ・ヴァイス。武闘派幹部ガルド・バルバロッサ。渉外担当ロイド・ベルガー。そして、なぜか末席に座らされている奏斗である。
議題は、敵対組織《灰蛇団》による運送路の封鎖だった。
「なんだ、カナト。倉庫三つじゃ足りねえか?」
ガルドが真顔で尋ねた。
「そういう意味ではありません!」
「じゃあ、五つか?」
「増やさないでください!」
ガルドは不思議そうに首を傾げた。
奏斗は頭を抱えたくなった。
この人たちは、どうして何か問題が起きるたびに建物を燃やそうとするのだろうか。
「ガルド。少し黙れ」
レオナが冷たく言った。
「敵の倉庫を焼けば、こちらの倉庫も焼き返される。そうなれば全面抗争だ。やるなら先に相手の指揮系統を潰す」
「レオナさんもですか!?」
奏斗は思わず叫んだ。
どうやら、この会議室には穏健派が存在しないらしい。
もっとも、ロイドだけは穏やかな笑みを浮かべていた。
「まあまあ。お二人とも、そうえらい物騒なこと言わんと」
「ロイドさん……!」
奏斗は救いを求めるように顔を向けた。
「せっかくですし、まずは相手の幹部を一人捕まえて、じっくりお話を聞いたらよろしいんと違います?」
「……どういうお話でしょうか……?」
「そらもう、二度と同じことをせんよう、身体に覚えてもらう話ですわ」
「全然穏健じゃない!」
ロイドは楽しそうに笑った。
奏斗は椅子に座り直した。
駄目だ。
この組織には、話し合いという概念が欠けている。
いや、正確には話し合い自体は存在する。
ただし、相手を椅子に縛りつけてから始めるものだと思っている節があった。
*
「事情を整理しよう」
ヴォルフガングが口を開いた。
それまで好き勝手に話していた幹部たちが、一斉に姿勢を正す。
「三日前から、灰蛇団が東街道の通行を妨害している。うちの荷馬車が二台足止めされ、昨日は運送業者が一人負傷した」
「……怪我人が出ているんですか?」
奏斗が尋ねると、レオナが頷いた。
「腕を折られた。命に別状はない」
「それは大変じゃないですか!」
「だから報復が必要だと言っている」
「いえ、まず治療費や補償の話を……」
「それはもう済ませた」
レオナは淡々と答えた。
「治療費は商会が負担する。負傷中の賃金も支払う。家族には私から説明した」
「……あ、そうなんですね」
「当然だ。うちの仕事で怪我をしたんだからな」
奏斗は少しだけ感心した。
犯罪組織なのに、労災への対応がしっかりしている。
前の会社では、営業先へ向かう途中に転倒した社員が、自己管理不足だと叱責されていた。
いや、比べる対象がおかしい。
「それで、灰蛇団の要求は何なんでしょうか」
奏斗は気を取り直して尋ねた。
「東街道の通行料を、これまでの三倍にしろという話だ」
レオナが答えた。
「三倍……?」
「それに加えて、港から運び出す荷物の一部を、灰蛇団の指定する業者に扱わせろと言っている」
奏斗は眉を寄せた。
「……つまり、通行料の問題だけではないんですね」
「どういうことだ?」
「先方は、運送事業そのものに参入したいのではないでしょうか」
ガルドが鼻を鳴らした。
「だったら自分たちで荷馬車を走らせりゃいいだろ」
「それができない理由があるのかもしれません」
奏斗は机に広げられた地図を見た。
商業都市ベルグラードの東側には、王都へ続く街道が伸びている。南には大きな河港があり、そこから各地へ荷物が運ばれていた。
黒梟商会は、河港と街道を結ぶ運送網を持っている。
一方、灰蛇団は東街道沿いの宿場や荷役人夫を押さえているらしい。
「……あの、グレイヴさん」
「なんだ」
「灰蛇団は、港の倉庫や荷馬車を持っているんですか?」
「いや。奴らの縄張りは東街道だ。港にはほとんど手を出せていない」
「……なるほど」
奏斗は頷いた。
「でしたら、一度、正式に交渉の場を設けませんか?」
会議室が静まり返った。
ガルドが口を開いた。
「……誰とだ?」
「灰蛇団の方々とです」
「何のために?」
「お互いの利益を確認するためです」
「……カナト」
レオナが低い声で言った。
「相手は敵対組織だぞ?」
「承知しています」
「交渉の席で襲われる可能性もある」
「……それは、困りますね」
奏斗は青ざめた。
できれば、そんな可能性は考えたくなかった。
しかし、ここで引き下がれば、倉庫が燃える。
倉庫が燃えれば、商会の従業員も取引先も困る。
そして何より、自分が後始末を任される可能性が高い。
それだけは避けたかった。
「ですから、安全を確保したうえで、お話しするのがよいかと……」
ヴォルフガングが腕を組んだ。
「……面白い。やってみろ」
「えっ?」
「交渉の席を用意してやる。お前が話をまとめてみせろ」
「い、いえ、私一人では……!」
「安心しろ。レオナとロイドをつける」
奏斗は二人を見た。
レオナは無表情で頷いた。
ロイドはにこにこと笑っている。
安心できる要素が、ほとんどなかった。
*
交渉は翌日の午後、河港近くの中立地帯にある料理屋で行われた。
店内には黒梟商会と灰蛇団の関係者が向かい合って座り、壁際には護衛たちが立っている。
その数、合わせて二十人。
奏斗は思った。
これは商談ではない。
抗争の直前に開かれる、最後の会合ではなかろうか。
「お前が、黒梟の新しい交渉人か」
向かいに座る男が尋ねた。
灰色の外套をまとった、痩せぎすの中年男だった。左頬に蛇の刺青があり、細い目で奏斗を値踏みしている。
「灰蛇団の幹部、ダリオ・セルペンテだ」
「初めまして。小日向奏斗と申します。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
奏斗は深々と頭を下げた。
ダリオが眉をひそめる。
「……妙に礼儀正しいな」
「いえ、当然のことですので……」
「俺たちが敵だと分かっているのか?」
「もちろんです。ただ、だからこそ、まずはお話を伺いたいと思いまして……」
奏斗は営業スマイルを浮かべた。
ダリオの表情がわずかに変わった。
この状況で笑っていられるとは。
しかも、背後には《赤刃》レオナと《笑い梟》ロイドが控えている。
なるほど、噂の《黒梟のカナト》という男は、相当な胆力の持ち主らしい。
もちろん、奏斗はそんなことを考えていなかった。
ただ、緊張で顔が引きつっているだけである。
「さて、ダリオさん」
「……なんだ」
「今回の通行料の件ですが、三倍という条件について、理由を伺ってもよろしいでしょうか」
「理由だと?」
「はい。運送費の増加には、何らかの事情があるかと思いまして」
ダリオは鼻を鳴らした。
「東街道は俺たちの縄張りだ。通りたければ金を払え。それだけだ」
「なるほど。では、通行料そのものが目的ということでしょうか」
「……何?」
「いえ、先方から港の荷物についてもご要望があったと伺いましたので」
ダリオの目が細くなった。
奏斗は続けた。
「灰蛇団の皆さんは、東街道の宿場や荷役人夫を管理されているそうですね」
「……それがどうした」
「でしたら、港から東街道へ向かう荷物の一部を、正式にお任せする形ではいかがでしょうか」
沈黙が落ちた。
ダリオがゆっくりと身を乗り出す。
「……何を言っている?」
「共同運送契約です」
奏斗は用意していた紙を広げた。
「黒梟商会が港から荷物を運び、灰蛇団が東街道の宿場間輸送を担当する。双方が得意とする区間を受け持つことで、運送効率を上げるんです」
「……ふざけているのか?」
「いえ、真剣です」
奏斗は穏やかに答えた。
「もちろん、料金や責任範囲については協議が必要ですが、通行料を三倍にするより、継続的な収入を確保できる可能性があります」
ダリオは腕を組んだ。
「……つまり、お前らの仕事を俺たちに分けるということか」
「はい。ただし、正式な契約としてです」
「……ほう」
ダリオの目に、興味の色が浮かんだ。
しかし、すぐに口元を歪める。
「だったら、利益の七割は俺たちがもらう」
奏斗は瞬きをした。
「……七割、ですか?」
「そうだ。嫌なら話は終わりだ」
レオナの手が、腰の剣に伸びた。
ロイドの笑みも、わずかに薄くなる。
しかし、奏斗は首を傾げただけだった。
「……それは、少し難しいですね」
「何?」
「こちらが港湾設備と荷馬車を用意し、積荷の管理も行う以上、その配分では採算が合いません」
「俺たちを舐めているのか?」
「いえ、数字の問題です」
奏斗は紙に簡単な計算を書き込んだ。
「仮に運送代金が銀貨百枚だとします。七割をお渡しすると、こちらには三十枚しか残りません。そこから荷馬車の維持費、人件費、倉庫代を支払えば、赤字になる可能性があります」
「……だからどうした」
「赤字になる契約は、長続きしません」
奏斗は顔を上げた。
「一度きりの取引ならともかく、今後も継続してお付き合いするのであれば、双方が利益を得られる条件でなければ意味がないと思うんです」
ダリオは黙った。
奏斗はさらに続ける。
「それに、今回の条件で合意できなければ、こちらも別の運送経路を検討せざるを得ません」
ダリオの眉が動いた。
「……脅しか?」
「いえ、事業上の判断です」
奏斗は真顔で答えた。
「もちろん、迂回路を使えば費用は増えます。ただ、採算の合わない契約を結ぶよりは、損失を抑えられる可能性がありますので」
その言葉に、ダリオの顔色が変わった。
黒梟商会が東街道を使わなくなれば、灰蛇団は通行料を取れなくなる。
しかも、港の仕事に参入する機会も失う。
この若造は、それを承知で言っているのか。
ダリオは唇を噛んだ。
「……では、どういう条件なら受け入れる」
奏斗は小さく息を吐いた。
ようやく、交渉が前に進んだ。
*
それから一時間後。
両組織は、共同運送契約について基本合意に達した。
黒梟商会が港から東街道の入口までを担当し、灰蛇団が宿場間の輸送を請け負う。
利益の配分は、担当する区間と費用負担に応じて決める。
また、荷物の破損や紛失が発生した場合の責任範囲も明文化された。
ダリオは契約書を眺め、渋々ながら頷いた。
「……悪くない条件だ」
「ありがとうございます」
奏斗は頭を下げた。
「今後とも、よろしくお願いいたします」
「……ああ」
ダリオは立ち上がり、部下を連れて店を出ていった。
その背中を見送りながら、奏斗は椅子に深く沈み込んだ。
「……終わった」
全身から力が抜ける。
怖かった。本当に怖かった。
途中で何度、逃げ出そうと思ったことか。
しかし、何とか話がまとまった。
これで倉庫も燃えずに済む。
そう思うと、心の底から安堵した。
「……カナト」
レオナが声をかけた。
「はい?」
「お前、あの男に対して、よくあそこまで言えたな」
「……え?」
「七割という条件を突き返したときだ。あれだけ堂々と断れば、相手が激昂する可能性もあった」
「いえ、あの……」
奏斗は困ったように笑った。
「採算が合わないものは、どうしようもありませんので……」
「……そうか」
レオナはしばらく奏斗を見つめた。
そして、ふっと口元を緩めた。
「お前は、本当に変わった男だな」
「……こっちにきてよく言われます」
その隣で、ロイドがくつくつと笑っていた。
「いやあ、カナトはん。ほんま、恐ろしいお人ですわ」
「……またですか」
「相手に利益を見せておいて、最後は逃げ道を塞ぐ。しかも、ずっと笑顔のまま」
「いえ、そんなつもりは……」
「分かってます、分かってます」
ロイドは楽しそうに肩を叩いた。
「せやけど、あんたのやり方、ワシは嫌いやありませんで」
奏斗は苦笑した。
褒められているのか、怖がられているのか。
相変わらず、よく分からない。
*
その夜。
黒梟商会の本部では、幹部たちが集まっていた。
「……というわけで、灰蛇団との共同運送契約が成立しました」
奏斗が報告を終えると、ヴォルフガングは満足げに頷いた。
「よくやった」
「ありがとうございます」
「これで東街道の問題は片づいた。しかも、うちの運送網はさらに広がる」
ガルドが腕を組んだ。
「……結局、倉庫は焼かねえのか?」
「焼きません!」
奏斗は即答した。
ガルドは残念そうに肩を落とした。
「せっかく準備したのによ……」
「準備してたんですか!?」
「おう。爆薬と油樽を二十個ほどな」
「今すぐ片づけてください!」
会議室に笑い声が広がった。
奏斗は額を押さえた。
まったく、油断も隙もない。
しかし、そんなやり取りを見ながら、ヴォルフガングは静かに笑っていた。
「……カナト」
「はい?」
「お前が来てから、うちの商会は少しずつ変わり始めている」
「……そうでしょうか?」
「ああ。今までなら、灰蛇団とは間違いなく抗争になっていただろう……」
ヴォルフガングは窓の外を見た。
「……俺たちは、力でここまで来た。だが、力だけでは手に入らないものもあるらしい」
奏斗は何も言わなかった。
ただ、少しだけ嬉しかった。
自分の仕事が、誰かの役に立っている。
それだけで、十分だった。
「……ところで、グレイヴさん」
「なんだ?」
「明日は、休暇をいただいてもよろしいでしょうか」
ヴォルフガングは眉を上げた。
「休暇?」
「はい。こちらに来てから、まだ一度も休んでいないもので……」
「……そうだったな」
首領は豪快に笑った。
「いいだろう。明日はゆっくり休め!」
「ありがとうございます!」
奏斗は深々と頭を下げた。
やった。ついに、異世界で初めての休日である。
しかし、その喜びは長く続かなかった。
「ただし、明後日からは新しい仕事を任せる」
「……へ?」
「商会の人手が足りなくなってきた。新しい人材を集めたい」
「……はい」
「お前に採用を任せる」
「…………」
奏斗は笑顔のまま固まった。
採用。つまり、面接である。
自分が面接官になるのだ。
しかも、犯罪組織の。
「……あの、グレイヴさん」
「なんだ?」
「ちなみに、応募される方々は、どういったご経歴の方が多いのでしょうか……?」
ヴォルフガングは少し考えた。
「傭兵、盗賊、元兵士、詐欺師……まあ、いろいろだな」
「…………」
「安心しろ。腕の立つ奴を集めてやる」
奏斗は静かに目を閉じた。
どうやら、異世界の人材採用は、前職以上に難しそうだった。
そして翌朝。
ようやく手に入れた休日を満喫しようと、奏斗が宿舎のベッドで寝返りを打った、そのときだった。
「カナトさーん!」
廊下から、ニコの元気な声が響いた。
「大変ですー! 応募者がもう三十人も集まってますー!」
「…………」
奏斗は布団を頭まで引き上げた。
聞こえない。何も聞こえない。
今日は休みなのだ。
「カナトさーん! ガルドの兄貴が、全員まとめて殴り合いで選ぶとか言ってますー!」
「それは駄目です!」
奏斗は飛び起きた。
異世界で初めての休日は、開始からわずか七分で終了した。
なお、本人はまだ、これを労働時間に含めるべきかどうか悩んでいる。




