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第4話 悪の組織にも就業規則は必要だと思います

 小日向奏斗は、ブラック企業で働いていた。

 だからこそ、よく知っている。

 職場環境というものは、放っておくと際限なく悪くなる。

 仕事ができる人間には仕事が集まり、仕事を断れない人間にはさらに仕事が集まり、やがて仕事ができる人間から順番に壊れていく。

 そして残された人々は、口を揃えてこう言うのだ。

 あいつは責任感が強かったからなあ、と。

 責任感は便利な言葉である。

 残業代を払わなくても、人間を働かせることができる。


 そんな奏斗が異世界に来て四日目。

 彼は早くも、かつての職場とよく似た光景を目撃していた。


「おい、ニコ! 東地区の集金は終わったのか!」

「はいっ! 昨日、全部回ってきました!」

「よし! じゃあ今日も行ってこい!」

「はいっ!」

「ちょっと待ってください!」


 奏斗は思わず声を上げた。

 黒梟商会の一階にある詰所である。

 大きな机を囲み、十人ほどの男たちが朝の仕事を割り振られていた。壁には街の地図が貼られ、各地区の名前が乱雑に書き込まれている。

 その中央で腕を組んでいるのが、武闘派幹部のガルド・バルバロッサだった。


「なんだ、カナトの兄ちゃん」

「今、東地区の集金は昨日終わったとおっしゃいましたよね?」

「おう」

「でしたら、今日も行く必要はないのでは……?」

「何言ってんだ。顔を出さなきゃ舐められるだろうが」

「……なるほど」


 奏斗は頷いた。

 なるほど、ではない。

 昨日集金した相手に、今日また集金に行く。

 それは仕事ではなく、嫌がらせではないだろうか。


「ちなみに、東地区には何軒ほど取引先があるんですか?」

「十五軒だな」

「全部、毎日回っているんですか?」

「そうだ」

「……集金日が決まっているところも?」

「決まってるが?」

「……でしたら、その日に行けばよいのでは?」


 ガルドは腕を組んだまま考え込んだ。


「……確かにな」


 奏斗は頭を抱えたくなった。

 この組織は、なぜ今まで経営できていたのだろう。


 *


「というわけで、業務の見直しをしたいと思います」


 奏斗は机の上に紙を広げた。

 そこには、各地区の担当者と訪問日を整理した一覧表が書かれている。

 前の会社で、毎週のように作らされていた営業管理表を思い出しながら作ったものだった。


「まず、集金日が決まっている取引先については、原則としてその日に訪問します。日常的な見回りが必要な場所については、別途担当を決めましょう」

「ふむ」


 ガルドが顎を撫でた。


「つまり、毎日全部回る必要はねえってことか」

「はい。もちろん、緊急の対応が必要な場合は別ですが」

「……おい、ニコ」

「はい!」

「お前、昨日何軒回った?」

「十五軒です!」

「一昨日は?」

「十五軒です!」

「その前は?」

「十五軒です!」

「……お前、暇だったのか?」

「兄貴が行けって言ったんじゃないですか!」


 ニコが珍しく抗議した。

 ガルドは豪快に笑った。


「ハハハ、そうだったな!」


 笑い事ではない。

 奏斗は咳払いした。


「それから、皆さんの勤務時間についても確認したいんですが……」

「勤務時間?」

「はい。朝は何時から働いているんですか?」

「日の出からだな」

「終業時刻は?」

「仕事が終わるまでだ」


 奏斗の顔から血の気が引いた。

 聞き覚えがある。あまりにも聞き覚えがある。


「……休日は?」

「休みたいときに休めばいい」

「実際には?」

「誰も休まねえな」

「…………」


 奏斗は静かに目を閉じた。

 完全にブラック企業だった。

 しかも、本人たちに自覚がない。


「ガルドさん」

「なんだ?」

「このままでは、皆さんが倒れてしまいます」

「はあ? うちの連中は鍛えてるぞ。多少の寝不足で倒れるような奴はいねえ」

「そういう問題ではありません。疲労が蓄積すると、判断力が落ちます。怪我や事故も増えますし、仕事の効率も悪くなります」

「……ふむ」

「それに、休みがない職場では、新しい人も定着しません」


 奏斗はニコを見た。


「ニコさん。最後に休んだのはいつですか?」

「えっと……」


 少年は指を折り始めた。

 一つ、二つ、三つ……。

 やがて、指が足りなくなった。


「……覚えてません!」


 奏斗は天井を仰いだ。

 ひどい。前の会社よりひどい。

 いや、あの会社も似たようなものだった。


「とにかく、まずは週に一日の休日を確保しましょう。全員が同じ日に休む必要はありません。交代制にすれば、仕事を止めずに休めます」

「交代制?」

「はい。例えば、東地区の担当者が休む日は、西地区の担当者が緊急対応を引き受ける。逆の日は、その反対です」


 ガルドは腕を組んだ。


「……なるほどな」


 そして、突然立ち上がった。


「おい、お前ら!」


 詰所に怒声が響いた。


「今日から週に一日、必ず休め!」


 部下たちが一斉に振り返る。


「えっ?」

「休み、ですか?」

「そうだ! 休まねえ奴はぶっ飛ばす!」

「ちょっと待ってください!」


 奏斗は慌てて立ち上がった。


「休暇を取らない人を殴ってはいけません!」

「なんでだ?」

「本末転倒だからです!」


 ガルドは不思議そうな顔をした。

 どうやら、この組織では労働環境の改善にも命がけの交渉が必要らしい。


 *


 昼過ぎ。

 奏斗はミレーユの事務室を訪れていた。


「……というわけで、各部署の勤務状況を整理したいんです」

「なるほど。確かに、無駄な人件費を減らせるかもしれませんね」


 ミレーユは眼鏡を押し上げた。

 机の上には、相変わらず帳簿が山積みになっている。


「ただ、問題が一つあります」

「何でしょう?」

「うち、人件費の管理がかなり適当なんです」

「……適当?」

「はい。ガルドさんのところなんて、人数すら正確に分かりません」

「…………」

「先月は二十七人だったはずなんですが、今月は三十一人分の給料が請求されていて……」

「増えた四人は?」

「分かりません」


 奏斗は頭を抱えた。


「……それ、まずいのでは?」

「まずいですよ。だから困ってるんです」


 ミレーユは涼しい顔で答えた。


「ただ、今まで誰も気にしなかったので」

「気にしましょうよ!」

「私は気にしてました!」


 ミレーユが机を叩いた。


「でも、誰も報告書を出してくれないんです! 人数が増えても減っても、全部口頭なんですよ!」

「……それは大変ですね」

「大変なんてもんじゃありません!」


 ミレーユは勢いよく立ち上がった。


「ガルドさんなんて、先月『新入りが五人入った』って言うから登録したら、そのうち二人は前からいた人でしたし!」

「……なるほど」

「ロイドさんは『必要経費や』って言って、使途不明の銀貨を請求してきますし!」

「……なるほど」

「シエルさんに至っては、領収書を出したことがありません!」

「……なるほど」


 奏斗は深く頷いた。

 だからなるほど、ではない。

 どう考えても、経営が破綻しかけている。


「……ミレーユさん」

「はい?」

「まずは、全員の名簿を作りましょう」

「……名簿?」

「はい。名前、所属、担当業務、給与、勤務状況。それを整理すれば、少なくとも誰が何をしているのか分かります」


 ミレーユは目を輝かせた。


「……カナトさん」

「はい?」

「あなた、やっぱり天才では?」

「いえ、これが普通なんです!」


 奏斗は即座に否定した。

 こんなことで天才扱いされるのは、あまりにも悲しい。


 *


 翌日。

 黒梟商会の詰所には、奇妙な光景が広がっていた。

 ガルドの部下たちが、一列に並んでいる。

 その前には、机に座った奏斗とミレーユ。

 そして、なぜかガルドが腕を組んで見張っていた。


「次の方、どうぞ」

「おう!」


 大柄な男が前に出た。


「お名前をお願いします」

「バルクだ!」

「所属は?」

「ガルドの兄貴のところだ!」

「具体的なお仕事は?」

「殴る!」

「……他には?」

「脅す!」

「……なるほど」


 奏斗は紙に何かを書き込んだ。

 次の男が前に出る。


「お名前は?」

「ダンだ!」

「お仕事は?」

「殴る!」

「……他には?」

「蹴る!」

「…………」


 奏斗は静かに目を閉じた。

 どうして、この組織の人々は暴力以外の業務内容を説明できないのだろう。

 そのとき、列の後ろからニコが手を挙げた。


「あの、カナトさん!」

「はい?」

「俺、荷物運びもできます!」

「……おお!」


 奏斗は思わず顔を上げた。


「それは立派な仕事ですね!」

「あと、馬の世話もできます!」

「素晴らしいです!」

「あと、文字も少し読めます!」

「すごいじゃないですか!」


 ニコは嬉しそうに胸を張った。

 周囲の男たちがざわめく。


「……おい、ニコ。お前、そんなことできたのか?」

「はい!」

「なんだよ、早く言えよ!」

「言う機会がなかったんですよ!」


 奏斗はその様子を見ながら、ふと気づいた。

 この組織には、能力のある人間がいる。

 ただ、その能力を誰も把握していないのだ。

 ガルドは腕っぷしの強い男を集めた。

 ヴォルフガングは忠誠心のある人間を集めた。

 しかし、その人々が何を得意としているのか、細かく調べたことはなかったのだろう。


「……ガルドさん」

「なんだ?」

「ニコさんを、しばらく私の補佐につけてもらえませんか?」

「ニコを?」

「はい。荷物の管理や記録をお願いしたいんです」


 ガルドはニコを見た。

 少年は期待に満ちた目で見返している。


「……いいだろう」

「ありがとうございます!」


 奏斗が頭を下げると、ガルドは鼻を鳴らした。


「ただし、ニコ」

「はい!」

「カナトの兄ちゃんに迷惑かけんなよ」

「はいっ!」


 ニコは元気よく返事をした。

 そして奏斗に向き直る。


「カナトさん! 俺、頑張ります!」

「ええ。よろしくお願いします」


 奏斗は微笑んだ。

 前の会社では、部下を持ったことがなかった。

 新人の教育係を任されたことはあるが、あくまで一時的なものだった。

 それが異世界に来て、まさか自分に補佐がつくとは。

 しかも、犯罪組織で。

 人生とは分からないものである。


 *


 それから三日後。

 黒梟商会の詰所では、小さな変化が起きていた。


 各地区の担当者が整理され、集金日が一覧表にまとめられた。

 無駄な訪問が減ったことで、部下たちの移動時間も短くなった。

 さらに、交代制の休日を導入した結果、以前よりも休息が取れるようになった。

 最初は不満を漏らしていたガルドも、今ではすっかり機嫌がよかった。


「おい、カナトォ!」

「はい?」

「お前の言ったとおりにしたら、部下の怪我が減ったぞ!」

「それはよかったです」

「しかも、集金の取りこぼしも減った!」

「ええ。訪問日を整理した効果ですね」

「いやあ、驚いたぜ!」


 ガルドは豪快に笑った。


「今まで俺は、働かせりゃ働かせるほど成果が出ると思ってたからな!」

「……まあ、必ずしもそうではありませんね」

「休ませたほうが仕事が捗るとはなあ!」


 奏斗は苦笑した。

 しかし、その言葉は少しだけ嬉しかった。

 前の会社では、どれだけ効率化を提案しても、上司はこう言った。

 余裕ができたなら、もっと仕事を増やせ。

 結果として、効率化すればするほど仕事が増えた。

 だから、改善提案をすること自体が嫌になっていた。

 それに比べれば、ガルドは単純だった。

 効果があれば認める。

 良いと思えば採用する。

 それだけのことが、奏斗には新鮮だった。


「カナトさん!」


 そこへニコが駆け込んできた。


「東地区の集金、全部終わりました!」

「お疲れさまです。記録は?」

「はい! ここに!」


 少年は誇らしげに紙を差し出した。

 そこには、訪問先の名前、集金額、次回の訪問日が丁寧に書かれていた。

 ところどころ文字が曲がっていたが、内容は十分に分かる。


「……すごいですね、ニコさん」

「えへへっ!」

「これなら、次の担当者にも引き継げます」

「本当ですか!」

「ええ。立派な仕事ですよ」


 ニコは満面の笑みを浮かべた。

 ガルドも、その様子を見て満足げに頷いた。


「よし! 今日はもう上がれ!」

「えっ、でも、まだ日が高いですよ?」

「仕事が終わったんだろ? だったら休め!」

「……はい!」


 ニコは嬉しそうに駆け出していった。

 その背中を見送りながら、奏斗は小さく息を吐いた。

 少しずつではあるが、職場がまともになってきている。

 犯罪組織という根本的な問題は、まったく解決していないけれど。


 *


 夕方。

 奏斗が事務室で書類を整理していると、ヴォルフガングが現れた。


「カナト。少しいいか」

「はい、グレイヴさん」


 首領は一瞬だけ眉を上げた。

 この男は、いつまで経っても自分をボスと呼ばない。

 しかし、不思議と悪い気はしなかった。


「ガルドから報告を受けた。随分と働き方を変えたそうだな」

「いえ、少し整理しただけです」

「それで成果が上がったなら、大したものだ」


 ヴォルフガングは椅子に腰を下ろした。


「……うちは、腕の立つ連中を集めてきた。だが、組織を動かすとなると、力だけでは足りんらしい」

「……そうですね」

「お前は、それを知っている」

「……いえ、私もまだ勉強中です」


 奏斗は正直に答えた。

 奏斗は大学では経営学部だったが、経営の専門家ではない。

 ただ、ブラック企業で働いていたからこそ、やってはいけないことを少し知っているだけだった。

 ヴォルフガングはしばらく黙っていた。

 やがて、口元を緩める。


「……カナト。お前、うちをどうしたい?」

「えっ?」

「黒梟商会を、どんな組織にしたいと思っている?」


 奏斗は困った。

 そんな大それたことは考えていない。

 ただ、せめて普通に働ける場所になればいいと思っているだけだ。


「……そうですね……」


 少し考えてから、答えた。


「……働いている人が、ちゃんと休めて、ちゃんと給料をもらえて……無理なく仕事を続けられる組織、でしょうか」


 ヴォルフガングは目を細めた。


「……ほう」

「もちろん、仕事はきちんとやるべきです。ただ、そのためにも、働く人を大事にする必要があると思います……」


 奏斗は照れくさそうに笑った。


「……まあ、理想論かもしれませんけど」


 ヴォルフガングはしばらく黙っていた。

 そして、ゆっくりと笑った。


「……面白い」

「はい?」

「悪の組織を、働きやすい場所にしたいと言うか」

「……あ」


 奏斗は気づいた。

 そうだった。ここは犯罪組織だった。

 働きやすさ以前に、やっている仕事そのものが問題なのである。

 しかし、ヴォルフガングは気にしていないようだった。


「いいだろう。やってみろ」

「……えっ?」

「お前の考える、働きやすい黒梟商会というものを見せてみろ」

「い、いえ、そこまで大きな話では……」

「遠慮するな。期待しているぞ」


 ヴォルフガングは立ち上がり、豪快に笑いながら部屋を出ていった。

 奏斗は、その背中を呆然と見送った。

 そして、机の上に積まれた書類を見下ろした。

 どうやら、自分はとんでもない仕事を引き受けてしまったらしい。


 異世界に来て、まだ一週間も経っていない。

 それなのに、犯罪組織の働き方改革を任されている。


「……あの」


 奏斗は誰もいない部屋で呟いた。


「私、営業マンなんですけど……」


 返事はなかった。

 ただ、窓の外では黒いフクロウの旗が、夕暮れの風に揺れていた。

 こうして黒梟商会では、史上初の労働環境改善計画が始まった。

 なお、担当者の小日向奏斗は、まだ自分の休日を一度も取得していなかった。

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