第3話 初仕事は借金取り。なお、取り立てはしません
営業マンにとって、最も避けたい仕事は何か。
飛び込み営業。休日の接待。理不尽なクレーム対応。達成不可能なノルマの消化。
いろいろあるが、小日向奏斗は今朝になって、新しい答えを見つけた。
借金の取り立てである。
「いやあ、ええ天気ですなあ。こういう日は仕事が捗りますわ」
隣を歩くロイド・ベルガーは、実に機嫌がよさそうだった。
仕立てのよい三つ揃いの服に、磨き上げられた革靴。片手には細身の杖を持ち、道行く人々に愛想よく会釈している。
どこからどう見ても、裕福な商人か銀行家である。
ただし、道行く人々のほうは、彼を見るなり露骨に道を空けていた。
「……ロイドさん」
「なんです?」
「本日の訪問先について、もう少し詳しく伺ってもよろしいでしょうか」
「熱心ですなあ。ええことです」
ロイドは笑いながら、懐から一枚の紙を取り出した。
「織物商のベルント・ハーゼ。四十二歳。妻と娘が一人ずつ。店は創業二十年。うちから借りた銀貨三百枚のうち、百八十枚が未返済。返済期限を三度延ばしてます」
「なるほど……」
「先月は銀貨二十枚払う約束やったんですが、入金はゼロ。で、今日が四度目の訪問いうわけです」
「……それは、確かに問題ですね……」
「でしょう?」
ロイドは嬉しそうに頷いた。
「せやから今日は、きっちり話をつけよう思うてます」
「ちなみに、どういう形で?」
「まずは払えるかどうか聞きます。払えへん言うたら、担保の店をいただきます」
「……店をですか?」
「契約書にも書いてありますさかい。別におかしな話やありません」
奏斗は紙に目を落とした。
確かに、担保として店舗と倉庫が設定されている。
しかし、店を取り上げてしまえば、商人は収入源を失う。
そうなれば残りの借金を回収することも難しくなるのではないか。
「……あの、ロイドさん」
「はいな」
「先方の経営状況は調べていますか?」
「そらもう。売上が落ちて、仕入れ代金も払えんようになっとる。取引先も減っとるそうですわ」
「売上が落ちた原因は?」
「さあ。商売が下手なんと違います?」
奏斗は考え込んだ。
前の会社でも、取引先の経営が悪化することは珍しくなかった。
その際に重要なのは、目先の売上だけを見るのではなく、何が問題を引き起こしているのかを調べることだった。
商品が悪いのか。販路が悪いのか。価格設定が悪いのか。
原因によって、打つべき手はまるで違う。
「とりあえず、先方のお話を聞いてみたいです」
「もちろん。商談いうんは、相手の話を聞くところから始まりますさかいな」
ロイドはにっこり笑った。
「まあ、聞いたあとで何をするかは別ですけど」
奏斗は黙って頷いた。
この人と話していると、どうにも胃が痛くなる。
*
ベルント織物店は、商業地区の外れにあった。
二階建ての古い建物で、一階が店舗、二階が住居になっているらしい。看板には糸巻きの絵が描かれていたが、塗装は剥げかけている。
店内には色とりどりの布が並んでいた。
厚手の毛織物、光沢のある絹布、細かな刺繍が施された装飾布。どれも丁寧に作られているように見える。
しかし、客の姿はなかった。
「毎度おおきに。ベルントはん、いてはります?」
ロイドが明るい声で呼びかけた。
奥から出てきた中年の男は、その顔を見るなり青ざめた。
「ロ、ロイドさん……!」
「いやあ、お久しぶりです。お元気そうで何より」
「そ、それは……」
「今日はええお知らせ、聞かせてもらえるんでしょうなあ?」
ロイドは笑っている。
だが、店主の額には脂汗が浮かんでいた。
奏斗は二人を見比べた。
前職でも、支払いが滞っている取引先を訪問したことはある。
しかし、ここまで露骨に怯えられた経験はない。
「ベルントはん。約束の日、過ぎてますやろ?」
「も、申し訳ありません! もう少し、もう少しだけ待っていただければ……!」
「その言葉、もう三回聞きましたわ」
「必ず払います!」
「いつや?」
「そ、それは……」
ロイドの笑みが、ほんの少しだけ薄くなった。
「なあ、ベルントはん。ワシらも慈善事業やってるわけやないんです。払えへんなら、契約どおり店をいただく。それだけの話ですわ」
「そ、そんな! この店を取られたら、家族が……!」
「せやから、そうならんように払うてもらいたかったんですけどなあ」
店主は言葉を失った。
奏斗は慌てて口を挟んだ。
「あの、少々よろしいでしょうか……?」
ロイドが振り返る。
「なんです、カナトはん?」
「まず、現状を確認させていただけませんか。店を処分するかどうかは、それからでも遅くないと思いますので……」
「……ほう?」
ロイドは目を細めた。
「ええですよ。せっかくですし、お手並み拝見といきましょか」
奏斗は店主に向き直った。
「初めまして。小日向奏斗と申します。本日は黒梟商会の者としてお伺いしました」
「こ、黒梟商会の……」
「はい。まず、お店の状況について、いくつか質問させていただいてもよろしいでしょうか?」
店主は戸惑いながらも頷いた。
「こちらの商品は、すべてご自身のお店で製造されているんですか?」
「え、ええ。裏手に工房がありまして……職人を四人雇っています」
「品質には自信がおありで?」
「もちろんです! うちは代々、上等な毛織物を作ってきました。王都の商人にも卸していたんです」
「卸していた、ということは、今は?」
ベルントは顔を曇らせた。
「二年前に、大口の取引先が倒産しまして……それから、新しい卸先が見つからないんです」
「なるほど。では、商品が売れなくなったというより、売る先が減ってしまったわけですね」
「……そうです」
奏斗は店内を見渡した。
棚には布がぎっしりと並んでいる。奥の倉庫にも在庫が積まれているのだろう。
「ちなみに、在庫はどのくらいありますか?」
「倉庫に百二十反ほど……」
「百二十反……!」
奏斗は少し驚いた。
かなりの量である。
「仕入れ代金の支払いは?」
「糸や染料の代金が、来月に……」
「なるほど……」
奏斗は腕を組んだ。
これは、単純な売上不足ではない。
売れる商品があるのに、売る場所がない。
そのため在庫が積み上がり、資金が回らなくなっている。
いわゆる資金繰りの悪化である。
「ロイドさん」
「はいな?」
「黒梟商会は、運送業もやっていますよね?」
「ええ。荷馬車も倉庫もありますで」
「王都や近隣都市との取引も?」
「もちろん」
「でしたら、少し提案があるんですが」
ロイドは黙って奏斗を見つめた。
奏斗は店主に向き直った。
「ベルントさん。こちらの商品を、別の都市で販売することは考えられませんか?」
「別の都市……?」
「はい。現在のお取引先が減っているのであれば、新しい販路を開拓する必要があります。ただ、ご自身で遠方まで売り込みに行くのは難しいでしょう」
「ええ……運送費もかかりますし、どこに売ればいいのかも分かりません」
「そこで、黒梟商会の運送網を利用するんです」
奏斗は指を一本立てた。
「まずは在庫の一部を、需要が見込める都市へ運ぶ。現地の商人に見本を提示し、注文を取る。売れた分の代金から、運送費と一定額の返済金を差し引くんです」
ベルントが目を瞬いた。
「そ、それなら……!」
「もちろん、売れる保証はありません。ただ、店を手放してしまえば、今後の返済原資そのものがなくなります。でしたら、商売を続けながら返済する方法を検討したほうが、双方に利益があると思います」
奏斗はロイドを見た。
「どうでしょうか?」
ロイドは答えなかった。
代わりに、ゆっくりと眼鏡を押し上げた。
「……はあぁ、なるほどなあ」
その声は、先ほどまでと少し違っていた。
「つまり、店を取り上げるんやなくて、店を働かせ続けるわけですな?」
「はい」
「しかも、うちは運送費も取れる」
「そうですね」
「借金の返済も続く」
「はい」
「そのうえ、商売がうまくいけば、今後も取引が増える」
「その可能性はあります」
ロイドは口元に手を当てた。
そして、くつくつと笑い始めた。
「いやあ……カナトはん」
「は、はい?」
「あんた、なかなかえげつないこと考えますなあ」
「……えっ?」
「店を取り上げたら、それで終わりです。せやけど、店を生かしとけば、これから先もずっと金が入ってくる」
「いえ、あの、そういう言い方をされると……」
「しかも相手は助かった思うて、感謝までしてくれる」
ロイドはベルントを見た。
店主は、何度も頭を下げていた。
「ありがとうございます! 本当に、ありがとうございます!」
奏斗は慌てて手を振った。
「いえ、まだ決まったわけではありません。まずは商品の品質や市場の需要を確認しないと……」
「お願いします! 何でもしますから!」
「何でも、というのは困ります。できることと、できないことがありますので」
ロイドがまた笑った。
「ははは! ほんま、おもろい人や」
奏斗は困惑した。
何がそんなに面白いのだろう。
自分としては、ごく普通の営業提案をしただけなのだが。
*
その後、三人は店の奥にある小さな応接室へ移った。
ベルントが持ってきた帳簿を確認し、在庫の種類と数量を整理する。
奏斗は、まず試験的に二十反を別の都市へ運び、売れ行きを確かめることを提案した。
売上の一部を返済に充て、残りを次の仕入れや職人の賃金に回す。
ただし、運送費や販売手数料が高すぎれば意味がない。
そこでロイドと条件を詰め、返済計画を組み直した。
「……これなら、無理なく続けられそうです」
ベルントが呟いた。
「もちろん、売上次第では再調整が必要になります。ただ、少なくとも今すぐ店を手放すよりは、可能性があると思います」
「ありがとうございます……!」
店主は何度も頭を下げた。
奏斗は少しだけ胸を撫で下ろした。
どうやら、初仕事は何とか形になりそうだ。
ただし、これはまだ計画にすぎない。
実際に商品が売れなければ、意味がない。
その点を改めて説明すると、ロイドは意外にも真面目な顔で頷いた。
「せやな。売れるかどうか、まずは確かめなあきませんわ」
そしてベルントに向き直る。
「旦那。今日のところは店をいただく話、いったん保留にしときます」
「ほ、本当ですか!」
「その代わり、カナトはんの言うた計画には、きっちり協力してもらいますで。帳簿をごまかしたり、商品を勝手に売り払ったりしたら、そのときは分かってますな?」
「は、はい!」
「よろしい」
ロイドはにっこり笑った。
奏斗は、その笑顔を横目に見ながら思った。
この人は、やはり怖い。
できれば、あまり敵に回したくない。
*
店を出た頃には、日が傾き始めていた。
商業地区の通りには夕食の支度をする匂いが漂い、仕事帰りの人々が行き交っている。
ロイドは上機嫌で杖を回していた。
「いやあ、今日は勉強になりましたわ」
「いえ、こちらこそ……」
「カナトはん。あんた、前の職場でもああいう商売しとったんですか?」
「ええ、まあ……。取引先の課題を聞いて、解決策を提案するのが仕事でしたので」
「課題、ねえ」
ロイドは意味ありげに笑った。
「ワシらは今まで、金を返さへん奴から何を取るかばっかり考えとりました」
「……そうなんですか」
「せやけど、あんたは違う。どうしたら相手が金を稼げるかを考えよる」
「そのほうが、結果的にこちらの利益にもなりますから」
「なるほどなあ」
ロイドはしばらく黙って歩いた。
やがて、ふと思い出したように尋ねた。
「……ところで、カナトはん」
「はい?」
「あんた、ほんまにただの営業マンなんですか?」
「……はい?」
「いや、妙に手慣れとるもんで。どこぞの大商会で、相当えらい立場におったんと違います?」
「いえいえ! ただの平社員ですよ!」
「平社員?」
「はい。役職もありませんでしたし、部下もいませんでした」
ロイドは足を止めた。
そして、ゆっくりと奏斗を見つめた。
「……あんたの国、どないなっとるんです?」
「……私も、ちょっと分からなくなってきました」
二人はしばらく顔を見合わせた。
やがてロイドが吹き出した。
「ははは! いやあ、ほんまにおもろい人や!」
奏斗は苦笑するしかなかった。
しかし、悪い気分ではなかった。
少なくとも今日は、誰かを殴ったり、脅したりせずに仕事を終えられた。
相手の商売を立て直す手助けもできた。
久しぶりに、営業という仕事を少しだけ誇らしく思えた。
もっとも、勤務先が犯罪組織であることを除けば、だが。
*
黒梟商会の本部へ戻ると、ミレーユが帳簿を広げて待っていた。
「お帰りなさい。どうでした?」
「いやあ、上々ですわ」
ロイドが契約書を差し出した。
「ベルントの店は当面そのまま。代わりに、うちの運送網を使うて商品を売ることになりました」
「……え?」
ミレーユが書類を読み始めた。
そして、数秒後。
「ちょっと待ってください。これ、運送手数料も入るんですか?」
「そういうことです」
「しかも、返済計画まで組み直してある……?」
ミレーユは奏斗を見た。
「カナトさん。これ、あなたが考えたんですか?」
「ええと、まあ……ロイドさんにも協力していただいて……」
「……すごい」
ミレーユは小さく呟いた。
「今まで、回収できない借金は担保を処分するしかなかったのに……」
「いえ、今回は商品に価値がありましたから。どんな場合でも使える方法ではありませんよ」
「それでも、です」
ミレーユは帳簿を閉じた。
「少なくとも、商会にとっては新しい収入源になります」
奏斗はほっとした。
どうやら、初仕事としては合格点らしい。
そのとき、部屋の奥から低い声が響いた。
「話は聞いたぞ」
振り返ると、ヴォルフガングが立っていた。
その後ろにはレオナもいる。
「ボ、ボス!」
奏斗は慌てて姿勢を正した。
ヴォルフガングは契約書を一瞥すると、満足げに頷いた。
「よくやった、カナト」
「いえ、そんな……」
「一滴の血も流さず、借金を回収する道筋をつけた。しかも、新しい商売まで持ち帰ったそうじゃないか」
「ま、まだ売れると決まったわけではありませんので……」
「慎重だな。気に入った」
ヴォルフガングは豪快に笑った。
「レオナ。どう思う?」
「……少なくとも、交渉能力は本物のようですね」
レオナは腕を組んだまま答えた。
「ただし、商会のやり方に馴染むかどうかは別問題ですが」
「構わん。むしろ、今までと違うやり方を持ち込む奴が必要だったのかもしれん」
奏斗は首を傾げた。
何やら、話が大きくなっている気がする。
「カナト」
「はい?」
「明日から、お前には商会の仕事をもう少し詳しく見てもらう」
「……えっ?」
「うちの商売には、まだ改善できるところがあるらしいからな」
「い、いえ、私はまだ新人ですし……」
「遠慮するな。期待しているぞ」
ヴォルフガングは奏斗の肩を叩き、部屋を出ていった。
レオナもその後に続く。
残された奏斗は、しばらく動けなかった。
やがて、ミレーユがそっと声をかけた。
「……カナトさん」
「はい?」
「実は、ちょうど相談したいことがあるんです」
「相談、ですか?」
「ええ。商会の帳簿についてなんですけど……」
彼女は机の上に積まれた書類を指さした。
その量は、奏斗の胸の高さほどもあった。
「この三か月、収支が合わなくて困っているんです」
「…………」
「あと、各部署の経費申請もめちゃくちゃで……」
「…………」
「それから、勤務時間の管理もできていなくて……」
「…………」
奏斗は、ゆっくりと天井を見上げた。
見覚えがある。
この光景には、非常に見覚えがある。
前の会社でも、仕事ができると判断された社員のところには、次から次へと業務が集まってきた。
そして、気づけば自分の担当ではない仕事まで抱え込んでいた。
まさか異世界に来てまで、同じことになるとは。
「……あの、ミレーユさん」
「はい?」
「こちらの商会って、残業代は出るんでしょうか」
ミレーユはきょとんとした。
「残業代?」
奏斗は静かに目を閉じた。
どうやら、異世界の労働環境改善は、思っていた以上に前途多難らしい。




