第2話 面接官が怖すぎるんですが、これって圧迫面接ですか?
小日向奏斗は、就職活動というものが嫌いだった。
履歴書を書き、企業研究をし、面接官の質問に答え、志望動機を述べる。大学時代には何十社も受けたが、あれほど自分の将来について嘘をついた経験はない。
御社の企業理念に共感しました。
社会に貢献できる仕事がしたいと考えております。
十年後には、会社を支える人材になりたいです。
実際には、給料がそこそこで、休日があって、できれば怒鳴られない職場ならどこでもよかった。
しかしその願いは、結局叶わなかった。
そして異世界に来た今、奏斗は人生で最も受けたくない面接に臨もうとしていた。
「入れ」
重厚な扉の向こうから、低い声が響いた。
ガルドが扉を開ける。
「ボス! 面白え奴を連れてきました!」
「ほう?」
部屋の奥には、大きな執務机があった。
壁には剣や槍、見たこともない獣の頭骨が飾られている。窓には分厚い暗赤色のカーテンがかかり、昼間だというのに室内は薄暗かった。
その中央に、一人の男が座っていた。
銀色の髪を後ろへ撫でつけ、黒い外套を肩に掛けた大柄な男である。頬には古い傷痕があり、鋭い眼光は、相手を睨むというより値踏みしているようだった。
男は机に肘をつき、奏斗をじっと見つめた。
「お前が、ガルドの失態を片づけた男か」
「えっ、あ、はい。いえ、片づけたというほどのことでは……」
「謙遜するな。ガルドから話は聞いている」
奏斗は隣の大男を見た。
ガルドは満面の笑みで親指を立てた。
余計なことを言っていないだろうか。
非常に不安だった。
「俺はヴォルフガング・グレイヴ。この黒梟商会を預かっている」
「は、初めまして。小日向奏斗と申します」
「コヒナタ……?」
「はい。小日向です」
「コヒ……なんだ。言いづらいな」
「あの、苗字が小日向で、名前が奏斗になります」
「じゃあ、カナトだな」
「できれば小日向でお願いします……」
「よし、カナト。座れ」
「……はい」
異世界に来て最初の自己紹介は、見事に失敗した。
奏斗が勧められた椅子に腰を下ろすと、机の脇に立っていた女性が一歩進み出た。
短い暗赤色の髪。整った顔立ちに、隙のない身のこなし。黒を基調とした軍服めいた衣装を身につけ、腰には細身の剣を提げている。
「ボス。発言をお許しください」
「なんだ、レオナ」
「素性の知れない男を、いきなり本部へ招くのは危険です。少なくとも身元の確認が先かと」
「ガルドが連れてきたんだ。問題あるまい」
「ガルドだから問題なのです」
「おい、レオナ! どういう意味だ!」
「言葉どおりだ」
女性は一瞥すらくれなかった。
ガルドが口をへの字に曲げる。
奏斗はそのやり取りを見ながら、少しだけ安心した。
どうやら、この組織にも意見を言える人間がいるらしい。
もっとも、その意見が採用されるかどうかは別問題だった。
「レオナ・ヴァイスだ。商会の副首領を務めている」
女性は奏斗に向き直った。
「まず訊く。お前は何者だ?」
「ええと、日本から来ました。会社員をしておりまして……」
「ニホン?」
「国の名前です」
「聞いたことがない」
「ですよねー……」
奏斗自身、ここがどこの国なのか知らないのだから、説明のしようがなかった。
「所属組織は?」
「東都総合ソリューションズ株式会社です」
「……ずいぶん長い名前だな」
「よく言われます」
「何を扱う組織だ?」
「企業向けの設備や業務支援サービスなどを……」
「武器か?」
「違います」
「兵站か?」
「いえ、そういうわけでも……」
「では、何を売っていた?」
「ええと……仕事を効率よくするための商品やサービスですね」
レオナは眉を寄せた。
「つまり、他人の仕事に口を出して金を取るのか」
「……言い方によっては、そうなりますね」
奏斗は否定しきれなかった。
ヴォルフガングが低く笑った。
「面白い。うちにも必要な商売かもしれんな」
「ボス!」
レオナが抗議したが、首領は気に留めなかった。
「カナト。お前は交渉が得意だそうだな」
「得意というほどでは……仕事でしたので」
「ガルドの話じゃ、刃物を突きつけられても笑っていたそうじゃないか」
「あれは、その、癖でして……」
「大した度胸だ」
「いえ、ものすごく怖かったです」
「恐怖を認める余裕まであるか」
違う。本当に怖かったのである。
しかし、訂正すればするほど評価が上がっていく。
奏斗はこの現象に、早くも嫌な予感を覚え始めていた。
ヴォルフガングは椅子の背にもたれた。
「単刀直入に言おう。うちで働かんか?」
「……はい?」
「黒梟商会には腕の立つ奴が大勢いる。だが、口の立つ奴は少ない。お前のような人材は貴重だ」
奏斗は返事に窮した。
断りたい。
できれば今すぐ断りたい。
しかし、目の前の男は犯罪組織の首領である。
面接を辞退したらどうなるのか、考えたくもなかった。
そこで奏斗は、前職で何度も使ってきた手法を思い出した。
即答を避け、まず条件を確認する。
これは契約交渉の基本だった。
「あの、差し支えなければ、いくつか質問してもよろしいでしょうか……?」
「ほう。何を聞きたい?」
「まず、具体的な業務内容についてです」
「債権回収、荷物の運送、取引先との交渉。それから、必要に応じて揉め事の処理だな」
「揉め事の処理というのは……?」
「話が通じる相手なら話す。通じなければ力で解決する」
「……なるほど」
なるほど、ではない。
やはり犯罪組織だった。
「では、給与について伺っても?」
「給料か。仕事に応じて払う。最初は月に銀貨二十枚でどうだ」
「銀貨二十枚……」
奏斗は相場を知らない。
日本円に換算できなければ、高いのか安いのかも分からなかった。
「ちなみに、この街で一人暮らしをする場合、生活費はどのくらいかかりますか?」
レオナが怪訝そうな顔をした。
「質素に暮らせば、月に銀貨八枚もあれば足りる」
「八枚……ということは、家賃や食費を差し引いても、かなり残るんですね」
「まあ、そうだな」
奏斗は思わず身を乗り出した。
前職では、家賃と生活費を払えば、手元にほとんど残らなかった。
しかも、会社の付き合いで飲み会に参加させられ、その費用まで自腹だった。
それに比べれば、条件は悪くない。
いや、待て。
犯罪組織である。
金銭面だけで判断してはいけない。
「それと、勤務時間は……?」
「決まった時間はない。仕事が終われば自由だ」
奏斗の顔が曇った。
聞き覚えのある言葉だった。
前の会社でも、上司はよくそう言っていた。
仕事が終われば帰っていい。
ただし、仕事は終わらない。
「……ちなみに、休日は?」
「週に一日だな」
「えっ」
奏斗は顔を上げた。
「休日が、あるんですか?」
室内が静まり返った。
ヴォルフガングが眉を上げる。
「当たり前だろう。休まなきゃ働けん」
「……そうですよね」
奏斗の声が震えた。
当たり前。その言葉が何故かひどく懐かしかった。
「休みの日は、本当に休んでいいんでしょうか?」
「何を言っている?」
「いえ、休日に急な仕事が入ったり、上司から連絡が来たり、会社の行事に強制参加させられたり……」
「そんなことをしたら、部下が疲れるだろうが」
「…………」
奏斗はしばらく黙り込んだ。
犯罪組織の首領が、まともなことを言っている。
いや、まともなのは当然なのだ。
むしろ、前の会社がおかしかったのである。
それは分かっていた。
分かっていたが、まさか犯罪組織に教えられるとは思わなかった。
「……あの、もう一つだけ」
「まだあるのか。いいぞ」
「退職する場合は、どういった手続きになりますか?」
その瞬間、レオナの目が鋭くなった。
「退職?」
「はい。いえ、もちろん、今すぐというわけではないんですが……」
「商会の内情を知った者が、簡単に抜けられると思っているのか?」
「……ですよね」
奏斗は背筋を伸ばした。
ようやく犯罪組織らしい答えが返ってきた。
なぜか少し安心してしまった自分が嫌だった。
ヴォルフガングはそんな二人を眺め、愉快そうに笑った。
「レオナ、脅すな。まだ入るとも言っておらんだろう」
「しかし、ボス!」
「それに、こいつは面白い。仕事の内容より先に待遇を聞く奴は初めてだ」
「……申し訳ありません」
「謝る必要はない。自分の働く場所を見極めるのは当然だ」
奏斗は目を瞬いた。
前の会社で待遇について質問すると、決まってこう言われた。
仕事への情熱が足りない。
給料のことばかり考えるな。
会社への忠誠心を見せろ。
ところが、目の前の犯罪組織の首領は、労働条件を確認することを当然だと言っている。
どうなっているのだろう、この世界は。
「どうだ、カナト。試しに働いてみるか?」
「試しに、ですか……?」
「ああ。いきなり幹部にするわけでもない。まずは一つ仕事を任せる。それでお互いに判断すればいい」
奏斗は考えた。
正直なところ、選択肢はほとんどなかった。
こんな世界に来たばかりで、金も住む場所もない。知り合いもいなければ、帰る方法も分からない。
そのうえ、相手は犯罪組織だ。
断ったところで、無事に帰してもらえる保証はない。
ならば、少なくとも当面の生活を確保するほうが合理的だった。
「……分かりました」
奏斗は深く息を吸った。
「では、試用期間ということで、よろしくお願いいたします」
椅子から立ち上がり、深々と頭を下げる。
「小日向奏斗と申します。至らぬ点も多いかと存じますが、精一杯努めさせていただきます」
ヴォルフガングが満足げに頷いた。
「うむ。期待しているぞ、カナト」
「……はい」
名前の訂正は、やはり聞き入れられなかった。
*
面談が終わると、奏斗はレオナに連れられて廊下へ出た。
「カナト」
「はい」
「一つ忠告しておく」
レオナは足を止め、振り返った。
「ボスはお前を高く評価している。だが、私はまだ信用していない」
「……はい」
「妙な真似をすれば、容赦はしない」
彼女の手が、腰の剣に触れた。
奏斗は反射的に背筋を伸ばした。
「承知いたしました!」
「……妙に返事がいいな」
「前の職場で、返事だけは大きくするよう指導されておりまして……」
「……どんな職場だったんだよ、お前のところは」
「……あまり思い出したくありません」
レオナは不審そうに眉を寄せたが、それ以上は追及しなかった。
やがて、一階の事務室へ案内される。
そこには、帳簿や書類が山のように積まれていた。
机の向こうでは、黒髪の眼鏡をかけた若い女性が羽根ペンを握り、何やら計算している。
「ミレーユ。新人だ」
「はいはい、またですか。今月何人目です?」
女性は顔も上げずに答えた。
「今回は少し事情が違う。ボスの推薦だ」
「ボスの推薦? それなら余計に不安なんですけど」
「聞こえているぞ」
「聞こえるように言いました」
レオナは小さくため息をついた。
「……この男の給与を登録しておいてくれ」
「名前は?」
「カナトだ」
「あの、小日向奏斗と申します」
「コヒ……?」
「小日向です」
「……カナトさんですね。分かりました」
「…………」
もう諦めたほうがいいのかもしれない。
ミレーユは書類を一枚取り出し、奏斗に差し出した。
「こちら、雇用に関する確認書です。読めますか?」
奏斗は紙面に目を落とした。
不思議なことに、見知らぬ文字なのに内容が理解できる。
異世界へ来た影響なのだろうか。
ただし、書かれている内容は、驚くほど簡素だった。
名前、所属、報酬。
それだけである。
「あの……勤務条件や業務範囲については?」
「口頭で説明されたでしょう?」
「はい。ただ、書面に残しておいたほうが、後々の認識違いを防げるかと……」
ミレーユの羽根ペンが止まった。
「……書面に?」
「ええ。例えば、給与の支払日や休日、担当業務の範囲などを明記しておけば、双方にとって安心ですし」
「…………」
ミレーユはゆっくりと顔を上げた。
丸眼鏡の奥で、緑色の瞳が輝いている。
「カナトさん」
「はい?」
「あなた、事務仕事の経験があります?」
「一応、営業でしたので。契約書や見積書、報告書などは毎日のように作っていました」
「……契約書」
「はい」
「……見積書」
「はい」
「……報告書」
「はい」
ミレーユは両手で奏斗の手を握った。
「ようこそ、黒梟商会へ!」
「えっ?」
「やっと! やっとまともに書類の話ができる人が来ました!」
「ちょ、ちょっと、あの……!」
「レオナさん! この人、絶対に逃がさないでくださいね!」
「……分かった。落ち着け」
奏斗は困惑した。
どうやら、ここでも妙な期待を背負ってしまったらしい。
しかし、契約書を作れるというだけで、ここまで歓迎されるとは。
黒梟商会の事務体制が、少し心配になってきた。
そのとき、廊下の向こうから陽気な声が響いた。
「おーい! カナトの兄ちゃん!」
現れたのは、ガルドとニコだった。
「ボスから聞いたぜ! うちに入るんだってな!」
「ええ、まあ……試用期間ということで」
「ちょうどいい! 明日から早速仕事だ!」
ガルドが豪快に笑った。
「仕事、ですか?」
「おう。借金を返さねえ商人がいてな。そいつから金を取り立てる」
「……取り立て?」
「安心しろ。今回は専門家もつける」
「専門家……?」
ガルドが廊下の奥を振り返った。
「おい、ロイド! こっちだ!」
ゆっくりと、一人の男が姿を現した。
三十代前半ほどだろうか。黒髪をきっちりと撫でつけ、細い縁の眼鏡をかけている。仕立てのよい三つ揃いの服を着込み、口元には柔らかな笑みを浮かべていた。
「いやあ、噂の新人さんですか。よろしゅう」
男は片手を上げた。
「ロイド・ベルガーいいます。渉外の仕事を任されとりましてな」
「あ、小日向奏斗と申します。よろしくお願いいたします」
「コヒナタ……? ああ、カナトはんですな」
「……はい」
訂正する気力は、もう残っていなかった。
ロイドは奏斗の肩に軽く手を置いた。
「明日はちょっとした商談ですわ。難しいことあらしまへん。相手に約束を守ってもらうだけです」
「それなら、何とか……」
「まあ、どうしても守ってもらえへん場合は、別のもんで払うてもらうことになりますけどな」
「別のもの?」
「土地とか、店とか。場合によっちゃ、指の一本二本でも」
「…………」
奏斗の笑顔が固まった。
ロイドは愉快そうに目を細める。
「冗談ですわ」
「……ですよね」
「三本からです」
「増えてません!?」
ガルドが腹を抱えて笑った。
ニコもつられて笑っている。
レオナは呆れたように目を閉じ、ミレーユは帳簿に何かを書き込み始めた。
奏斗だけが笑えなかった。
こうして、小日向奏斗の異世界での初出勤が決まった。
仕事内容は、債権回収。
同行する先輩は、笑顔で指の本数を数える男。
そして勤務先は、犯罪組織。
奏斗は窓の外を見上げた。
夕暮れの空に、黒いフクロウの紋章が浮かんでいる。
「……あの、やっぱり試用期間中の退職って、難しいでしょうか」
誰も答えてくれなかった。
どうやら、異世界でも転職活動は簡単ではないらしい。




