第26話 疑惑
―――――ボールドン城門前
号外が貼り出された掲示板の前は喧騒としている。
ルスト辺境伯はここボールドンでも人気が高く、慕っている人間も多い。そのため清廉潔白な人物と言われているルスト辺境伯が暗殺未遂を犯すとは到底信じられなかったのである。
しかし、現行犯ということであれば偽ることもできない。そのことがボールドンの住民を混乱させているのであった。
そして、この騒ぎの中、目立たないが誰よりも平常心でいることができない人物がいた。
「あり得ない。あの父上が……。だが、しかし…。いや、それであれば……。どうして…。」
「クリス!落ち着くんだ、クリス!」
気が動転してしまっているクリスに対してシュウが必死に呼びかける。しかし、クリスは自身の思考の沼から抜け出すことができずにいた。
クリス、実の名をクリスチャーノはルスト辺境伯の嫡男である。
ルスト辺境伯自身、若い頃は国王軍の野営に参加して魔物を狩り、遠征隊を率いて蛮族に襲われている村を助け武功を立てるなどしていたため、クリスチャーノも二十歳を過ぎた頃から冒険者として密かに街を出歩くようになっていた。
幼い頃は父とともに出歩くこともあったが、十代になると王国の貴族院に通って寮生活をしていたため、成長したクリスチャーノの素顔を知る者は極僅かしかいなかった。そのため冒険者クリスとして活動しても誰からも咎められることはなかったのである。
そのクリスが二十三歳になった年にルインルスアルテ大陸から侵略軍が攻めてきた。冒険者としてある程度実力を持ち始めていたクリスもルスト従軍兵団の一員としてこの戦争に参加することになる。
その戦場は激戦区で、所詮は冒険者と農夫の寄せ集めである彼らでは統率の取れた動きはできず、徐々に敵軍に圧され侵略されていく。その度に多くの仲間が目の前で倒れていき、そして死んだ。
極めつけには、アルスカイン従軍兵団の隊長が蛮行を繰り返しているという情報まで入ってくる始末である。この世の地獄を味わう気分の中で敵の勢いも衰えることがない。アルスカイン領が落ちれば、自身が受け継ぐことになるルスト領もタダでは済まないだろう。そうなれば王国が出てきて全てを自分から奪い去っていくだけだ。半ば人生を諦めかけていたクリスはやけになっていた。
だが、この地獄を一人の若者が救ってくれた。その若者は盗賊のような隊長の首を掻っ捌き、従軍兵団を粛正したうえで軍隊としての体裁を整えたのである。その彼のおかげで敵の勢いも次第に弱まっていき、クリスのいたルスト従軍兵団も敵を押し返すまでに立て直すことができた。
そして、戦争はカルカス国の勝利で幕を閉じる。最後は平民出身の女騎士が敵軍の大将を討ち取ったことが終戦のきっかけであった、と後で知ったクリスは無性に彼らと会いたくなった。地獄から救ってくれた二人にお礼が言いたいという気持ちもあったが、同世代の彼らがどんな人物か見たくなったのだ。
実際に彼らと会ってみて、クリスは心に誓いができた。それは、彼らのような身分が低いだけで不遇を味わっている者たちの救済。いや、もっと単純な想い。人は宝だという領主の息子ならではの欲求が芽生えたのである。
それからすぐに父であるルスト辺境伯へ彼らの取り立てを嘆願した。すると、ルストは笑って二つ返事に承諾をしたのである。
父も同じ想いだったことがクリスは純粋に嬉しかった。普段から厳しくも優しい父であったが、このとき諦めかけていた人生の路を父に見出したのである。
その後、クリスは城にいるときはオルレアと。それ以外の時はダラスと行動を共にすることになる。彼らと共にすることでクリス自身も人間として大きく成長することができた。そのきっかけを作ってくれたのは父である。だからこそ父への羨望は彼の中で強くなっていた。
その父が囚われた。しかも、暗殺未遂の現行犯である。周囲にいる民も信じることができないだろうが、一番信じられない想いを抱いているのは他でもないクリスであった。
「クリス!……。ごめんよ。〈迷える者に良き夢を〉」
クリスへ必死に呼びかけていたシュウであったが、クリスの動揺が尋常でないことを知ると小声で謝罪しながら呪文を唱える。すると、クリスの血走っていた目は次第に虚ろな眼差しへと変化していった。
シュウが掛けた魔法は精神に作用する魔法である。幻覚を見せて相手を操る魔法。掛け続ければ一生自我を取り戻すことができなくなる危険な魔法であった。今回は一時的に作用するように調整して掛けたため、クリスはすぐに自分を取り戻していく。
「…シュウ。君がやったのかい?」
「ごめん。だけど、どうしてもクリスには落ち着いてもらいたくて…。まだ混乱しているだろうけど、今一番大事なのはオルレアさんたちと合流して事実を確認することだと思うんだ。」
茫然としていたクリスであったが、目を閉じて暫し間を置くと再びシュウのほうへと向く。その瞳に迷いはなかった。
「いや、謝らなければならないのは僕のほうだ。常に冷静でいるための鍛錬を積んできたはずなのに、何て体たらくだろう。シュウの言う通りだね。今はとにかく仲間と合流して情報を集めることが先決だ。」
いつもの調子を取り戻したクリスはシュウと共に城門へと引き返す。そして第三部隊へ取り成しを頼むが、門番の答えは素っ気ないものであった。
「第三部隊は現在、演習中である。故に取り成しは叶わん。」
「演習?ここへ着いたばかりなのに?どこの部隊と演習に行ったっていうんだい?」
「それは答えられん。」
「クリス、これじゃあ埒が明きません。一旦出直しましょう。」
シュウが声を掛けながら目線でクリスに訴える。門番の奥にいる人物が城から出てきた衛兵と耳打ちで話をしていたのだ。ほとんどの者が知らないこととはいえ、クリスはルスト辺境伯の息子である。このまま自分たちまで騒動に巻き込まれるわけにはいかなかった。
万が一のことを考えて二人は城をあとにする。今後のことを考えるため目立たないように路地裏へと入って行き、ある程度進んだところで置いてあった酒樽に腰を掛けた。
「さて、どうしたものか。……。まずはボールドンに着いたところから整理してみようか。」
「僕たちが着いたときは、そこまで不審な感じはありませんでしたね。敢えて言えば召喚状を渡してから二時間も入場に待たされたことくらいです。」
「そうだね。そもそも召喚状っていうのは書いた時点で各部門に通達が届くものなんだ。それが国主のものであれば尚更ね。だから本来城壁の守衛が召喚状のことを知らないはずがないんだ。
その確認に二時間はどう考えても遅い。最初はボールドンの役所が機能していないことも疑ったけど、街の賑わいからするとそのような気配もない。」
「知っているはずが確認に時間がかかる。役所の腐敗かと思えば街は栄えている。何だかチグハグな話ですね。」
「あぁ、そして城に着いてからだ。城門の門番は召喚状を受け取ると碌に内容を改めることもせず、さっさと城の中へ僕たちを連れて行った。
これも本来であれば門番頭なり衛兵長なりに確認を取ってから指示するのが習わしだ。僕たちの外に召喚状を持ってくるものがいないからだとその場は納得したけれど、身元確認もせずに国主の元へ連れていくなんてやはりおかしいことだよ。」
「重要拠点のはずである城の衛兵にしては杜撰ですね。普段から仕事を怠っていたか、もしくは召喚状を持ってきたものは誰でも通すように命令があったか…。」
「後者だとするとその命令をした人物は誰だ。僕らが謁見室に着いて左側にいたのはどれもアルスカイン特別侯爵の忠臣とも言える人物だった。
左大臣と呼ばれていた彼は特に堅実な仕事をすることで有名なんだ。普段からこの有様であれば法の番人でもある彼がこんな初歩的なミスを許すとは思えない。それに加えて左大臣が左側にいること自体がおかしい。」
「え?左大臣なんだから左側にいるのは当たり前なんじゃないですか?」
「それは国主から見て左の話さ。そもそも僕らからみて左側は下手の位置になる。役職や地位によっても違うけど、国主の麾下となる主要な人物は右側に置くことが多いんだ。」
「なのに彼らは左側にいた。その忠臣と言われる人たちを差し置いて右側にいた人物は何者なんでしょう。今思えばあまり良い人相の人たちではありませんでしたが…。武器も隠していましたし。」
「そうだね。…。しかし、謁見中に武器を隠し持っているなんてよくわかったね。それも気配察知かい?」
「はい。そういえば右側の一番前にいたのが執政顧問の人でしたね。ずっと僕らのことを見下してました。」
「僕は彼に会ったことがない。それなのに僕のことを知っているようだった。…これは全ての謎は彼が握っていると見て良いかもしれないな。ただ、この後どうやって彼のことを調べるか。左大臣と会話ができれば少しは進展するんだろうが、門番の対応からして正面から入って行くのは危ういな…。」
疑わしい人物に当たりを付けたものの、次なる手が浮かばず悩みだす二人。しかし、シュウには八方塞がりのように思えたこの状況を打破できる可能性があることに気づく。
「そうだ!占星術!」
「せんせ…。何だっていうんだい、それは?」
「あぁ、すいません。これもオフレコ、僕の抱える秘密の一つです。」
「良く分からないが、これまでシュウには助けられてきた。今回も信じてみるよ。もちろんこのことは他言しないと約束する。」
「ありがとうございます。それでは…。〈星の民に導きを〉」
シュウが呪文を唱えるとシュウの目の前に星のお告げが書かれた画面が浮かび上がる。
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【星のお告げ】
鐘の鳴るほうへ向かいなさい。
さすれば次なる扉が開くでしょう。
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「鐘の鳴る方向へ、か。クリスさん、どうやら次の手がかりは教会にあるみたいです。」
「シュウ、君は次から次へと不思議な才能があるんだな。僕としては興味が尽きないね。
それじゃあ、そのお告げとやらを信じて教会へ向かうとしよう。着く前に何かあっても詰まらないな。シュウ、気配察知は使えるかい?」
「実はここまで人が多いところは初めてでして、どうやら周りの気配が多いと上手く感知できないみたいなんです。感知する箇所を絞って集中すればいつも通り使えるんですが、広範囲は精度が落ちます。」
「そうか。なら迂回することになるが、このまま裏通りを使って行こう。あぁ、それから今更だけど僕に敬語は要らないよ。二週間を共にしてシュウが尊敬に足る人物ということも理解したし僕も蒼天の牙なんだ、ダラス達と同じように接してほしい。」
「ありがとう、クリス。それじゃ、案内は頼んでいいかな?」
「はは、喜んで。」
こうして二人は城の裏手となる場所にある教会を目指して動き出すのだった。
◆◆◆
一方、シュウたちが謁見室で質問攻めにあっている最中、オルレアたち第三部隊は兵舎の一角で体を休めていた。
「久しぶりに来ましたが相変わらずですね、ここは。」
「あぁ、弛んだ顔ばかりだ。先ほど修練場を覗いたが、第二部隊など大半の兵が作業を熟しているだけのように感じる。三年前にあれだけの打撃を受けたのに、これではアルスカイン特別侯爵も気が気ではないだろうな。
しかも、今は近衛隊も王国へ出張演習に向かっているらしい。せっかくユスタス殿と手合わせができると思ったのだがな。」
ユスタスとは近衛隊隊長のことである。元はアルスカイン正規軍の第一部隊隊長であったが、戦争後の再編成の際に武功を上げたものを集めて近衛隊を新設したのである。そのため第一部隊の副隊長が隊長へと昇格し、アルスカイン正規軍もルスト正規軍と同じく二部隊から三部隊編成になっていた。
「ユスタス殿か。彼の武人としての凄さも去ることながら用兵技術も素晴らしいですからね。手合わせだけだなく、ぜひ第三部隊と近衛隊で演習を行ってみたいものです。」
「あぁ。だが、まずはここをどうするかだな。」
「はい。見慣れない顔が多いですが、それ以上に身に着けてる得物が気になりますね。」
「ほとんどが短剣や片手斧を持ってますね。騎士団ってよりはこれじゃあ…。」
「彼らは傭兵団の者だ。」
三人が話していると現れたのは第一部隊の現隊長であった。
「これはランド子爵、ご無沙汰しております。」
「あぁ、私も久しぶりに英雄に会えて光栄だ。ユスタス様がいないのは残念だろうがね。」
「ふふ、子爵には嘘がつけませんね。しかし、先ほど言っていたのはどういうことですか?傭兵団を雇うほどアルスカイン正規軍は人員不足ではないはずですが。」
「それについては実は私も良く分かっていないのだ。
アルスカイン特別侯爵閣下が異国の商人を最近重用し始めたんだが、次々に権限を与えた挙句に彼らのような傭兵が出入りするようになった。
中には閣下の側近になった者までいるそうだ。」
「不思議な話ですね、内部の人間でない者がそこまで重用されるとは。閣下は大改革でも計画されているのでしょうか。」
「それこそ一軍人の私には分からないことだ。だが、きな臭いことは確かだな。滞在中は気をつけたほうがいい。」
「ありがとうございます。今後の命令も辺境伯から頂いておりませんので、それまでは護衛任務を継続するつもりです。」
「そうか…。オルレア、実は法務局の奴から聞いたんだが……。」
ランド子爵がそこまで言うと衛兵がオルレアたちのいる部屋へ入ってくる。
「オルレア隊長以下第三部隊はこれより演習に向かうため東門まで来られたし。」
「何?私は第一部隊隊長だが、演習があるなど聞いていないぞ。誰の命令だ?」
「これはアルスカイン特別侯爵閣下からのご命令です。演習に行く隊はジェリオ執政顧問麾下の傭兵部隊となります。」
「傭兵たちとルスト正規軍の三人が合同演習するというのか?信じられん。それは確かに閣下からのご命令なのだろうな。」
「間違いなくこれに。」
そう言うと衛兵は双頭の鷲の紋章が押された命令書を差し出す。ランド子爵は命令書を改めてオルレアにも渡すとその場にいる全員へ聞こえるように話し出す。
「オルレア、これは確かに閣下の手記だ。お前に拒否権はない。三つの鐘が鳴り次第か…よし、この演習、面白そうだ。」
「ランド子爵?」
「丁度訓練も終えて暇を持て余していたところだ。この演習、私たち第一部隊もぜひ参加させていただくとしよう。そのほうが傭兵部隊の皆も実りある訓練ができるだろう?」
「ランド隊長!それは困ります!」
「何?何が困るんだ?命令書には合同演習の参加についての言及は一切ない。と、言うことはカルカス国正規軍内で効果的と判断できれば飛び入りで参加しても問題ないわけだ。どうだろう、オルレア。」
「あの精強無比なアルスカイン正規軍第一部隊の皆さんが一緒ならば我々も一皮剥けることができるでしょう。是非とも胸をお借りしたい。」
「し、しかし!それでしたら執政顧問と特別侯爵閣下に確認をせねば!」
「どうしてここで執政顧問が出てくる。あやつに軍部に関する権限はないはずだ。故にこれは軍部筆頭補佐の私の決定である。執政顧問から言われればそのように伝えよ。」
ランド子爵は衛兵に言い放つとオルレアたちとともに部屋を後にする。
一人取り残された衛兵はこの後の報告について考えながらゆっくりと頭を抱えた。
本日2:00amに次回【続・疑惑】を投稿します。




