第37話 英雄は仕事を終えた
レイネルがフィックにとどめを刺そうとしたその瞬間。彼女の兄であるボレゾアは地面に膝をついて背を向けることしかできなかった。
しかし最大限の勇気だけは絞り出し、耳を塞ぐことはせず。すると背後から聞こえてきたのは生々しく痛々しい音。
武器を手にした勇者が魔物化した妹の骨を砕き、肉を貫き、その頭部を破壊したさまを。ボレゾアはその目で見ずともすべて察した。
「これで全部が終わったのか……」
じきにその場に静寂が訪れると、彼は涙を地面にこぼす。
両親に次いで妹までこのような末路をたどってしまった。
一体自分たち家族が誰に何をしたというのか?
どうして何度もここまでの苦しみを味合わなければならないのか?
疲労困憊のポーレウスとリクァツはカグリゥの馬車の中で眠りについている。
ふたりはまだ10歳と7歳の子供、いくら言いつけを破って自宅の外に出た身だとしても、兄であるボレゾアのことを探してここまでよく頑張ったと言えよう。
父親も母親も、そして妹のフィックまで魔物になってしまった。つい数年前まで家族6人で幸せに暮らしていたのにもうその半数が失われたのだ。
それでもボレゾアは残された妹と弟を守って生きていかなければならない。まだ子供のポーレウスとリクァツ、両者は間違いなくこれから寂しさに見舞われるだろう。ふたりのために長兄として情けない姿は見せられないのだ。
しかし、しかしどうか今この時だけは。
あまりにも神に見放された家族の運命を恨んで、肩を落として絶望することを、どうか許して欲しい……。
大きな体を縮ませて、小さく震えて泣いているボレゾア。すると彼のもとにノボルたちが近づいてきた。
「今から葬儀場に行こう。フィックのことはきちんと俺が弔う。ご遺体だが、勇者のスキル・『細胞の操作』で腐敗しないよう処置はしてある。ただ傷跡はそのままで貫通した頭部の穴も塞ぐことはできない。そこは許してくれ」
この説明を聞いたボレゾアは静かにうなずき、涙を拭うと、ゆっくりと立ち上がって体ごと後ろに向ける。
すぐ近くに立つのはノボル、サラヴィス、カグリゥ、そしてフィックの遺体を担いでいる勇者レイネル。そんなレイネルは目を赤く腫らせているボレゾアの足元に、倒されたばかりのフィックを優しく置いた。
「フィック……」
すでに雨は上がって太陽は昇り、十分明るくなっている空。そんな中でボレゾアは改めて妹の変わり果てた姿を視界に入れる。
もちろん彼は先ほど、雨が降りしきる暗闇の中で魔物になった妹のことを目の当たりにしている。だが陽光によって照らされたその様相を見てみるとやはり言葉を失うほど凄惨だ。
さらに額から後頭部にかけて貫通している穴もフィックの遺体には確認できる。これは勇者レイネルの攻撃によってなされたものだ。目を逸らしたくなるような損傷だが、このように頭部が破壊されたことで彼女の動きは完全に止まった。
「これは……。この子の大事なもので……」
そしてボレゾアはあるものを手に取り、大きく目を見開く。
フィックの遺体に引っかかっている、生前彼女が常に頭に着けていたトレードマークともいえる赤いリボン。これは亡き母のお手製で本来ふたつあるはずなのだが、もう片方はまったく見当たらない。
ボレゾアはフィックの宝物ともいえるこれに触れながら、唇を噛みうなだれた。
変わり果てた妹を前にして気落ちするボレゾアにノボルも同情心を抱く。さすがに彼も言葉に詰まってしまうが、生者は前を向いて、歯を食いしばってでも、死者のことを弔わなければならない。
「俺とサラヴィスは徒歩、勇者はスキルを使ってできるだけ民衆に見られないよう注意して葬儀場に向かう。フィックのご遺体は……少し悩んだんだが、やっぱり勇者に運ばせた方がいいと思う。ボレゾアはカグリゥの馬車で子供たちと一緒に移動してくれ」
ノボルの出した指示を聞き、顔を上げ大きく深呼吸したボレゾア。彼は「ご遺族はアタシが責任を持って葬儀場に連れて行く。さ、こっちへ」と先導するカグリゥと共に、馬車がある場所へと歩き始めた。
離れていくカグリゥとボレゾアの背中をしばらく眺めていたノボルたち。だが周囲にちょっとした人だかりができていることに彼らは気づく。
「警報が鳴り止んだから外に出てきたのか。ちっ、早く館に戻らねえと面倒だな」
ノボルは自身とサラヴィスに奇異の目、レイネルに羨望の眼差しを送る野次馬に小さく舌打ちし、そばにいる両者に目を向ける。
「勇者は恐らくこっちやカグリゥたちよりも先に館へ到着する。鍵を渡しておくから、着いたら葬儀場にご遺体を運搬しておいて欲しい。それとできれば棺の中に入れてあげてくれ」
「ノボルが館に着いたらすぐに葬儀は始める?」
「いや、ボレゾアたちはもう心身ともにクタクタだ。館で様子を見て判断する。場合によっては少し間を開けるかもしれない」
「了解。それじゃあ魔も……いや、この人はボクが運ぶから」
ノボルの言葉にうなずいたレイネルは『筋肉の肥大』を維持したまま「スキル発動:『禽獣の模倣』」と口にし、再びその背中に大きな鳥の翼のようなものを生やす。
そしてろくに事情も知らず「勇者がまたしても魔物を倒した!」と歓声を上げる民衆のことを無視し、その翼をはためかせて葬儀場へと飛び立った。
「よし、サラヴィス。俺たちも館に戻ろう」
「……はい、分かりました」
最後に残ったノボルとサラヴィス。レイネルに向けてのものとは異なり、彼ら、特にノボルには変わらず冷ややかな視線が送られている。
野次馬はこの商店街で暮らし働いている面々がほとんど。つまりノボルにまつわる真実と虚偽が混ざってしまった変な噂を聞いたことがある人間も多いのだろう。
だがノボル本人はこのことなどまったく気にせず大股で歩みを進め、サラヴィスも黙ってそんな彼についていく。
ふたりはとにかく葬儀場へと向かわないといけない。
不幸にも魔物に襲われ、運悪く亡骸も同じような化物となってしまい、それでも皆の奮闘によって勇者レイネルからとどめを刺された少女フィック・ナシィー。
14歳にしてその生涯に幕を閉じた彼女の死を憂い、魔物化した肉体に閉じ込められている魂を解放するために。
◇◇◇
館への帰りの道中。
商店街を抜けて人目がなくなったところでノボルは歩くスピードを落とし、じきにサラヴィスのペースに合わせていた。両者の間に会話はほとんどない、夜中からこの時間に至るまで揃って動きっぱなしだったから疲れるのも当たり前だ。
それにサラヴィスはようやくできた友人が魔物になり、目の前で完全に動きを止めるための最期を見届けた。心労は計り知れない。
もちろんサラヴィスにフィックの最期の瞬間を見るかどうか尋ねたのは他でもないノボル本人。それに対して彼女も自分の想いに正直になり首を縦に振った。
しかしそれでも当然……サラヴィスに迫った選択は酷なものだったとノボルは理解している。何しろフィックの兄であるボレゾアは目を背ける決断を下したのだから、それほどこれは厳しく辛いものだったに違いない。
しかしノボルはとにかくサラヴィスに後悔して欲しくなかった。後々になって「あの時、私は友達の最期を見届けることができなかった」と自分を責めてしまう事態も避けたかった。
ふたりが着用している袈裟や外套もすっかり雨水や泥で汚れている。それでもノボルとサラヴィスは愚痴など一切こぼさず、ただ前を見据えて歩みを進める。
そしてじきに魔物専用葬儀場が中に設けられている、3階建ての館の姿が見えてきた。




