第36話 楽にしてあげる
「さて。ノボル、もうこの魔物にとどめを刺すけどいい?」
魔物駆除隊の両者が去った後。レイネルはスキル・『武具の生成』で新たに用意した、できるだけ先端を細く鋭利にした槍を持って問う。
魔物と化したフィックは仰向けのままであり、そのそばにはノボル、レイネル、そしてカグリゥが立っている。
結局、フィックはどれだけあがいても立ち上がって動けない状況に陥ってしまっていたのだ。
「ア、ア、アァ……」
リンの分身体から足の骨を折られ、馬乗りにされた時に腹の下から腰あたりまでを潰されて。
そんな状態でも生前には出したことがないであろう、低いうめき声を絞り出すその姿は目を逸らしたくなるほど惨たらしい。
「随分と苦しんでる。早く楽にさせてあげた方がいいよ」
このフィックの様子を見たカグリゥは気の毒そうな表情を浮かべながらノボルに提案するが、彼はそれを制した。
「ちょっと待ってくれ。身内と友達のことがあるから」
そして彼は少し遠くにいるボレゾアに声をかける。
「おい! もうすぐこの子を楽にさせるぞ! ……視界に入らないよう気をつけてくれ」
これを聞いたフィックの兄であるボレゾアは、地面に腰を下ろしたまま肩を震わせながら、ノボルたちの方向に大きな背を向けた。
「それとサラヴィス! こっちに来てくれ!」
続いてノボルがこう呼ぶと、少し離れたところからサラヴィスが姿を現した。彼女はゆっくりと、だがしっかりとした足取りでフィックがいる場所へと近づいてくる。
「いいの? あの人の友達なんでしょ、この魔物の」
槍を手に小声で尋ねるレイネル。しかしノボルは決意を固めて緊張した面持ちのサラヴィスのことを見つめながら答えた。
「大丈夫。その辺の話はさっきしっかり確認した。きちんとこの子の最期を見届けたいそうだ」
◇◇◇
レイネルとデルベランテの睨み合いが始まった時。サラヴィスは建物と建物の間にある脇道にポーレウスとリクァツを連れて逃げこんだ。
子供たちのことを守りながらそこでしばらく息を潜めていたところ、じきにカグリゥの眷属が登場。隠れていた脇道の先を誘導し安全な場所へと案内をしてくれ、ノボルたちと合流することができた。
到着した場所で目に入ったのは大きな馬車。その中からカグリゥによって施された腕の怪我の治療を終えたボレゾアが出てくると、ポーレウスとリクァツは長兄である彼に駆け寄る。
外に出ないよう言い聞かせていたはずの妹と弟がいることにボレゾアは驚くが、サラヴィスは彼に事情を説明。そしてようやく子供たちが兄と再会できたことに胸をなでおろしたサラヴィス。しかしこれによって緊張の糸が緩んでしまった。
途端にフラッシュバックする、フィックの変わり果てた姿。
もちろんサラヴィスは商店街に到着し、魔物化したフィックのことを初めて目にした時だって大きな衝撃を受けた。だがその時は近くにいたデルベランテに余計な反応を見せないよう、強く意識していたのだ。
「サラヴィス、お前もここに来てたのか。まあ今回ばかりは仕方がない、とりあえず子供たちと一緒に馬車の中で休んでろ」
「サラヴィス。アタシの馬車には温かい飲み物や毛布があるからさ。早く中に入りなよ」
だがノボルとカグリゥからこのような言葉をかけられると……自然と涙が目に溜まってくる。
友人であるはずの少女があのようなことになってしまって悲しかった。
ポーレウスたちのことを守りながらデルベランテと一緒にいることが怖かった。
ノボルから出された指示を無視して外に出たことにも罪悪感を覚えていた。
サラヴィスはこれまで我慢していた感情が体の内側から溢れてきて、もうそれをせき止めることは不可能に。体を震わせながらその場に崩れ落ちて慟哭し始めたのだ。
その姿を見たカグリゥはサラヴィスの気持ちを察して寄り添い、雨で濡れたその頭を優しく撫でる。ノボルもしばしの間はふたりの様子を静かに見守っていたが、残された時間は少ないとサラヴィスの隣にしゃがんでこう尋ねた。
「サラヴィス。もし勇者がフィックにとどめを刺すとなった時、お前はどうする?」
早々にこの質問の意図を理解したサラヴィス。
彼女は鼻をすすりながら目を充血させて顔を上げ、ノボルのことを見つめる。
彼はフィックの最期の場に立ち会うことを強要しているわけではない。もしサラヴィスが目を背けたいのであれば、当然その気持ちは尊重するつもりだ
実は彼女と合流する前、先んじてボレゾアにもノボルは同様の意思確認を取っていた。だがフィックの兄であるボレゾアは厳しいこの問いに対して苦渋の末に首を横に振り、もちろんノボルはそれを受け入れている。
それでもサラヴィスの答えは決まっていた。なぜなら彼女はノボルから受けた「外に出るな」という指示に反してまで、自分の想いに従ってこの場にやってきたのだから。
「私はフィックちゃんの最期を見届けます。たとえどんな見た目になったとしても……とっても大事な、大好きな友達であることに変わりはないから……」
サラヴィスの意思を聞いたノボルは大きくうなずき、カグリゥは彼女のことを力いっぱい抱きしめる。
そしてポーレウスとリクァツを馬車の中で休ませこの場に戻ってきたボレゾアもこのことを耳にし、深々と頭を下げたのだった。
◇◇◇
「それじゃあいくよ。ボクが持っているこの槍を、頭に貫通させるから」
レイネルの言葉を聞いたサラヴィスは震えながら小さくうなずく。静かに彼女の隣へと移動したカグリゥから優しく手を握られながら。
「ボクは魔物が最後の攻撃をどう感じるかなんて考えたことない。でも、できるだけ肉体の損傷を抑えられるようにした結果がこの槍なんだ。それだけは分かってよね」
ぼそっとこう呟くレイネルだが、この声は確実にサラヴィスの耳には届いていて、彼女は懸命に涙がこぼれるのを堪える。
もうここまでたくさん泣いてきた。いい加減、しっかりとした姿を友達に見せないといけない。
サラヴィスは今、色々な感情に襲われている。できるだけ早く事を済ませてあげないとむしろ彼女の精神状態が危ない。
このように判断したノボルはレイネルに「勇者。そろそろ頼む」と伝えて手を合わせる。
フィックが、自分が今からどうなるのか理解しているかなんて誰も分からない。
だが彼女はそれまで漏らしていたうめき声を上げることをやめた。
それから傷だらけで、砂利だらけで、泥だらけで、すっかり生前とは変わってしまった黒い体毛に覆われた右手を、力なく上空に伸ばした。
「安らかに眠れ、憐れな亡者よ」
それからレイネルは槍を両手で握り、空高く目一杯振り上げて。
バギッ! ズシュッ……!
耳を塞ぎたくなるような生々しく痛々しい音を立てながら、魔物になってしまったフィックの頭部に、槍を突き刺したのだった。
みるみるうちに晴れていく空。昇る太陽。建物の中に避難し、夜通しそこから事の顛末を観察していた商店街に暮らす民衆たちの目の前で、とうとう魔物は討伐された。
その場にいるのは勇者レイネル。
魔物の体液が付着した槍を持つ彼の手によって、再び町に平穏が訪れたのだ。
だが勇者の顔は浮かない。まるでまだ大事な仕事が残っているかのような表情の彼は、動かなくなった魔物を担ぎ上げ、そばにいる仲間とおぼしき面々と共にどこかへと歩き始める。
それからしばらくして、レバク市中に鳴り響いていたけたたましい警報音は、ようやく止まった。




