第35話 勝者はいない
「どうして……! どうしてまだ終わらないのよ……!」
リンは構えたその鉈を振り下ろしたはず……だった。
しかし刃が魔物化したフィックの頭部に届くことはない。リンのよる攻撃の動きは途中で止められてしまった。
なぜならいつの間にか彼女の背後に立っていた人物が、両手でリンの左腕を掴んでいたからだ。
「あ、危なかった。マジでギリギリ……」
震える足で踏ん張りながら「はあ……はあ……」と息を切らしてそこにいた男性。
坊主頭に傷跡だらけの顔、そして泥と雨水でぐちゃぐちゃになった茶色の袈裟を着用している……ノボル・アマツルだった。
「ノボル! 遅いよ!」
「すまん勇者! 色々あって物凄く遅れました! でもきちんとここまで来たので許してください! おじさんは本当に頑張ったんです!」
ようやくこの場に到着したノボル。必死にリンの腕を掴む彼の姿を見てレイネルも、一段階ギアを上げた。
「ぐっ! おっもいな、このデカネコ眷属!」
スキル・『筋肉の肥大』が解除されてまだ時間は浅い。そのためインターバルは少々短いが、連続して使うよりは幾分かマシだ。
「今度1週間ぐらいの休みを取るから……たまには無理しないとね!」
そして彼は叫ぶ。
「スキル発動・『筋肉の肥大』!」
するとその肉体は再び、年齢不相応で屈強なものへと変化。同時にレイネルは『禽獣の模倣』を解除し『武具の生成』で作り出した槍も投げ捨て、雄たけびを上げながら腕と足腰に力を込める。
「ガ、ガルルルル!?」
そしてこの様子に困惑するデルベランテの巨大な眷属を、おんぶのような体勢で担いだまま、その場に立ち上がり。
「お……りゃぁぁぁ!!!」
思い切り地面へと投げ飛ばしたのだ。
「ガッ! ガウゥゥゥゥ……」
強い衝撃で眷属は気絶。死んではいないので消滅こそしないが、文字通り目を回して伸びてしまった。
「次はあの分身体か。全部まとめて、ぶっ潰す!」
それからレイネルは投げ捨てた槍を急いで拾い上げ、それを次々とリンの分身体に突き刺していく。
『肉体の複製』によって生まれた分身体。だがそれらはあくまでも『現在の本体』のコピー。
つまり体の内外に大きなダメージを受けている『現在のリン』の複製であるため動きは遅く、攻撃も弱く、ろくに統制のとれた行動も取れない。
こんなもの勇者にとって苦労する敵ではないのだ。
「うぉぉぉぉ!!!」
こうして気づけば地面には。砂利にまみれて動かなくなった分身体が5体、力なく転がる様子が広がっていた。
「ふぅー……。さてデルベランテって言ったっけ? あんた、まだボクと戦う?」
リンの分身体を倒し終えたレイネル。彼は少し荒れた呼吸を整えてデルベランテの方に顔を向ける。
だが仰向けになっているデルベランテの上には、体格のいいモヒカンの男性が馬乗りになっていた。
「これ見てまだ戦えると思う? 眷属を全滅させられなかっただけで儲けもの、降参だよ」
「妹に手出しはさせない! 自分がこのまま止める!」
デルベランテに乗りかかるこの人物はフィックの兄であるボレゾア。彼は包帯を巻いた腕に血を滲ませ、必死の表情でデルベランテの両手首を掴んでいた。
「あれ? あの人、いつの間に?」
ボレゾアの姿に首を傾げるレイネル。すると今度は彼のもとに長い銀色の髪を揺らしながら、高身長の女性が駆け寄ってきた。
「よっ、レイネル。そっちは大丈夫……とは言い切れないか?ボロボロだな」
それはノボルの協力者であるカグリゥ、デルベランテのものとは異なる小柄な眷属を2体率いている。
「あー、なるほど。もしかしてカグリゥさんが色々と助けてくれた?」
カグリゥはこの言葉にうなずいた後、ここに至るまでの事情を説明する。
ノボルのことを案じて馬車を出し、その道中で助けた彼からフィックの顛末について聞いたこと。
それから少し休憩を与えたノボルと共に商店街へと出発、近くに差し掛かったところで眷属を偵察に向かわせたところ、倒れていたボレゾアを発見して馬車まで運んで治療したこと。
さらにもう一度眷属に様子を確認しに行かせると、レイネルとデルベランテの戦闘が始まり、今度は脇道にいたサラヴィス・ポーレウス・リクァツを見つけて3人のことも保護したことも。
「なるほど。知らないところでかなり助けてもらってたみたいだね。カグリゥさん本当にありがとう」
「別に構わないよ。それよりもあそこにいる魔物、レイネルが討伐しないと駄目だろ?」
カグリゥの言葉を聞き、レイネルはノボルがいる方向に視線を移す。
「おい勇者! 今ちょっと俺のこと忘れてたよね!? 結構ギリギリの状態なんだけどこっち!」
「いい加減、離せ! そもそも誰なんだ! 勇者の血族の一員か!?」
鉈を持つリンの左腕を掴むノボル。斜め後ろを向いてノボルを睨みつけるリン。膠着状態の両者だが、レイネルはふたりがいる場へ走り寄ろうとする。
「忘れてないよ。今すぐ行くから待ってて」
肩をすくめた後に駆け出したレイネルを見ながらリンは、仰向けになっているデルベランテに助けを求める。
「デルベランテ! そんな男さっさとどかせてこっちのことを助けなさいよ!」
「いーや、リンちゃん。もう僕らの負けさ。ここは譲ろう」
だがデルベランテは完全に戦意を喪失している。もう抵抗する意欲もなく、体中の力を抜いて明るくなってきた空を見上げているだけ。
「……っ! 何を言ってんのよデルベランテ! こんなみじめな思いして恥ずかしくないの!? まだ1体、追加で眷属を呼び出せるでしょう!? それでこの坊主頭も勇者も殺しなさいよ!」
凄い形相で大声を出すリン。それでもデルベランテの意見は変わらない。
「駄目だよ。僕らの仕事は魔物の駆除。人殺しじゃない」
「で、でも!」
するとデルベランテは顔の向きを変えてリンのことを見つめ、諭すようにこう伝えた。
「リン・ユエシエント。これは上官命令だ。もう諦めて鉈を手から離せ。その魔物は勇者レイネルがとどめを刺す」
これを聞いたレイネルは駆け足ながら思わず振り返り「ふーん。男の方が上司だったのね」と呟いて、再び前方を向く。
そうしてリンはデルベランテの指示を耳にすると「くそっ!」と吐き捨ててうなだれて、鉈を地面に落とした。
「もういいわ。マジで時間の無駄だった。深夜まで続いた会議さえなければ、すぐに駆けつけてこっちが駆除できたのに……!」
じきにノボルも抗う姿勢を崩したリンからゆっくりと手を離す。
それから背後にいる彼を一瞥したリンは鉈を拾った後、デルベランテのもとへと足を引きずって移動し始めた。
「さてモヒカンのお兄さん。僕らはもうあの魔物に手出しをしないからどいてくれるかな?」
しかしボレゾアは動かない。目に涙を溜め、デルベランテに怒りや憎しみが込められた視線を送り、こう口にしながら。
「妹や弟に放った言葉について、謝罪をしてほしい……!」
この言葉を聞いたデルベランテは少し思案し、すぐにその意味を察知。それから「あー……」と声にならない声を漏らした。
「君もあの魔物の身内か。それじゃあ僕が妹ちゃんや弟くんに余計なことを言ったのも知ってると?」
黙って首を縦に振るボレゾア。
そしてデルベランテは目を閉じて思い返す。
魔物化したフィックのことを目にした際、ポーレウスやリクァツに対して「気持ち悪い見た目だ」「今から僕が倒すから見守ってて」などと放った言葉や態度のことを。
「僕は思ったことをすぐ口に出すタイプでね。あの言葉も本心から放ってしまったものだよ、言い訳をするつもりもない」
これを聞いたボレゾア。彼がデルベランテの両手首を掴む力は、さらに増していく。
「だけど謝らないことを美徳だとも思っていない。こんな性分だから誰かを傷つけた時にはきちんと謝罪するようにしているんだ」
そしてデルベランテはゆっくりと目を開き、ボレゾアから一切視線をそらすことなく、こう詫びた。
「本当に申し訳なかった。魔物になった家族を侮辱すれば喜ぶと本気で思ったんだ。だがその様子を見る限り、とても怒っているのだろう。気が済むまで殴ってもらって構わないよ」
それなりの報いを受けることは覚悟したデルベランテ。ところがボレゾアは静かに涙をこぼすだけで、手を上げることはなかった。
じきにボレゾアはデルベランテのことを解放し、肩を落とし少し離れた場所に座り込んだ。
「参ったね。本当に人として僕の完敗だ」
ボレゾアがどいてもなお、仰向けの状態で空を見つめるデルベランテ。
徐々に雲が晴れ、顔を出してきた朝焼けに彼は照らされていく。
「デルベランテ。もう帰るわよ。これ以上ここにいたって無駄」
そんな彼のそばに立つリン。もう5体の分身体もすっかりその姿を消していて、右手には新たな指が生えていた。
彼女はデルベランテにその右手を貸して立ち上がらせる。
「今回トップクラスに疲れたなあ。あ、そう言えば赤毛ちゃんの名前は聞きそびれちゃったままだ。また会えるかなあ?」
こうして魔物駆除隊のふたりは互いに体を支え合いながら商店街から去っていき、目を覚ましたデルベランテの眷属も慌ててその後ろをついていくのだった。




