第29話 肉体の複製
「フィ、フィック……」
覚悟はしていた。心の準備もしていた。ところが現実を受け入れられない。
今ボレゾアの目の前には変わり果てた妹がいる。
生前の面影をしっかりと残していながらも目は焦点が合っていない。
両腕は獣のような濃い黒色の毛が生えて爪も鋭利になっている。
歯も牙のように変化しているが口からは粘性の高い体液が垂れる。
家を出る時にしっかりと確認した女の子らしい服はボロボロ。
ツインテールはほどけて綺麗な橙色だった髪は泥や土まみれだ。
そして……。汚れた髪には赤いリボンの片方が引っかかってぶら下がる。
亡き母親お手製の、フィックにとってトレードマークであり宝物だと呼べるような赤いリボンが。
この姿と光景を目にしたボレゾア。彼はその場に崩れ落ちて「うっ……」と声を漏らして口元を抑えて。
「オ……オェェェ……!」
じきに目を潤ませながら嘔吐し始めてしまった。
しかしそれも無理はない。こんな化物になってしまった妹を目の当たりにしたことで、鮮明にフラッシュバックする両親の末路。
愛する父が、母が、そして妹までもが。このように生前の尊厳を踏みにじられた、見るに堪えない有様へと変化してしまったのだから。
「まったく。だからさっさと避難していればよかったものを」
他方で魔物駆除隊所属の女性ハンターであるリンは、フィックから目を離さないように気をつけながら、吐瀉物を地面へとぶちまけるボレゾアの姿を一瞥してぼやく。
本来は民間人の保護も業務内容。だが何度も通告した避難勧告を無視された以上、リンはもうボレゾアのことをそこまで気に留めようともしない。
それよりも大事なのは魔物を討伐すること。ィクス国の首都であるレバク市に魔物が出現したのはおよそ半年ぶり。地方の田舎とは違ってここは人口も多く取り逃がしてしまうと甚大な被害が出る。
ここで仕留めることができなければ。魔物を駆除する部隊としての沽券にもかかわる。
「あの反応を見れば、あちらで嘔吐を繰り返している男性の身内なのは間違いないでしょう。それならば早めに駆除するのがせめてもの情けですね」
そしてリンはフィックのことを睨みつけながら、腰に携えていた鞘に手を伸ばす。
「あちらもこちらの動きをうかがっている様子。であればとにかく分身体で動きを止め、すぐに頭部を破壊しましょうか」
淡々とするリンが鞘から取り出したのは鋭い刃を持つ鉈。
リンは左手でこれを持つと、袖をめくって露わになった自分の右腕に、鋭く研がれた刃の部分を振り上げて。
「スキル発動:『肉体の複製』」
こう口に出した後、鉈を思い切り振り……肘から先の部分を切り落としたのだ。
「……」
しかしリンはまるで痛みなど感じないのか表情ひとつ変えない。それどころか肘部分からも出血はゼロであって傷口なども見られず。
だが切り落とされた右腕の先。
地面に落ちているそれからも血液は流れ出ていないのだが、次第にリンの肉体と結合していた箇所から骨や肉のようなものが伸びていき、それはみるみるうちに人の体を形成していく。
「分身体はこちらの脳内と考えが共有されていて思い通りに動いてくれますからね」
こうしてじきに、リンの隣には彼女と瓜二つとなる分身体が現れた。
もちろん顔も髪型も、果ては着用している軍服まで同一。それに本体であるリン本人の右腕は失われたままであり、分身体もこのリン本体と揃って隻腕状態だ。
「あの魔物をさっさと拘束してください。そしてすぐに仕事を終わらせます」
鉈を握ったままの左手を前に伸ばして指さし、分身体に指示を出すリン。
『了解しました。マスター』
すると彼女の分身体は感情の乏しい口調でこう答え……結ばれた茶色の髪を雨風になびかせ、フィックに向かって一直線で駆け出し迫っていく。
「アァァ……!」
それにフィックも反応。飛びついてきたリンの分身体との取っ組み合いが始まった。
『おとなしく捕まってください。今日のマスター、何だか機嫌が悪いです』
「余計な事を言わない、分身体の分際で。黙って責務を全うしなさい」
『了解しました。マスター』
本体のリンとこのような言葉を交わしながら、彼女の分身体とフィックとの揉み合いは続く。一進一退の攻防の中、水溜まりができた砂利道の上でふたりは転がり、両者の体は砂や小石だらけだ。
それでもどこかへと逃げ出さないようにフィックのことを抑え込もうとする分身体を見ながら、本体のリンは鉈の刃をその方角に向けながら狙いを絞る。
「(あの魔物はたいして強くない。簡単に分身体によって動きは止められそうだし、そうなればすぐに頭部をこの鉈で切断できる)」
必死に抵抗するフィック。だが左腕しかない状態でもリンの分身体の方が上手であり、徐々に組み伏せられていく。
「ア……アァァ……!」
漏らすうめき声。生前のそれとは違って低く重厚感がある声。
しかしどのような状態になったとしても。これは彼にとって最愛の妹の声なのだ。
「や、やめろ……! い、妹に手を出すな……!」
いつの間にか這って移動しリンの足にしがみついていたボレゾア。散々嘔吐をした後、乱れた呼吸をしたままで。
彼の身からすればここで簡単にとどめを刺すことを許してはいけない。このリンがフィックの頭部を破壊してしまったら亡骸の所有権は彼女のもの。
そうなればノボルの葬儀場へと運ぶことも、弔うこともできるはずがない。
「そちら、本当に腹の立つ邪魔をしてきますね。ここまで的確に感情を逆なでする人も珍しい」
眉間にしわを寄せたリンはボレゾアのことを見下し、軽蔑するような冷たい視線を眼鏡のレンズ越しに送る。
「まさに不愉快の極み。もしかして『魔物駆除隊は民間人に手を出せるはずがない』と高を括っていますか? 先ほども言いましたよね? こちらは『妨害に対する拘束権も有している』と」
だがボレゾアはリンによる脅しに負けることなく、彼女の両足を掴み続ける。そしてここでとうとうリンの堪忍袋の緒が切れてしまった。
「分かりました。あれの駆除を最優先とするので後回しにしますが、魔物駆除の状況が落ち着き次第、強制的に拘束及び連行をいたします。逃げでも無駄ですよ? その憎たらしい顔はしっかりと覚えました」
厳しい表情でこう伝えたリンは素早くしゃがみ込み、自身の足を掴んでいるボレゾアの左腕を鉈の刃で切りつけた。
「うあっ!」
先ほど自身にしたように切り落とすことはないが、声を上げるほどの痛みを伴う切り傷をつけたリン。
これにはさすがにボレゾアもこらえきれず、リンから手を離し、血が流れ出る傷跡を反対の手で押さえる。
「あー、久しぶりに腹が立った。あの魔物にも多少の情けをかけようと思ったけど前言撤回。頭は見るに無残なほどぐちゃぐちゃにしてやるわよ」
首をコキッコキッと音を立てながら動かすリンは結んでいた髪をほどき、それに用いていた紐をその場に投げ捨てた。
「分身体。絶対にその魔物を逃がすな。これは主人であるこちらからの命令」
徐々に口調が荒々しくなる本体のリンの言葉を聞いた分身体のリンは、全力で暴れるフィックが仰向けになった瞬間にその足を掴む。
それから先ほどまでと比較にならない力を込め、片足ずつバキッ! バキッ! と音を鳴らしながら、年頃の少女らしさが残っているフィックの細い足を折っていったのだ。
さらに続いて馬乗りになりフィックの下半身に体重をかけ、それ以上動けない状態にした。
『マスターの言うことは絶対。何があっても離れない』
「その通りよ、分身体」
こうして怒りを顔に滲ませたリンは一気に走って、分身体とフィックがいる場所へと素早く移動。
「これで終わり。業務終了」
そのまま動きを止められたフィックの頭部を目がけて、左手に持った鉈の刃を振り上げた。
……のだが。
「……は? どういうこと?」
鉈をいざ振り落そうとした直前、リンの手の中からそれはなくなり、気づけば少し離れた場所に落ちていた。
「いやあ。興味深くてしばらく様子を見学させてもらってたけどさ、さすがに民間人を切りつけたら駄目でしょ」
「勇者レイネル……!」
その犯人は勇者レイネル。実はここまで彼は、スキルによって生やした翼を使い上空を旋回しながら眼下に広がる光景を観察していた。
しかしいよいよリンがフィックの頭部を攻撃しようとしたところ、颯爽と彼女の背後に回って鉈を奪い取り、遠くへと投げ捨てたのだ。
「邪魔をするな勇者! この魔物はこちらの獲物だ!」
「ひぃー、すっかりキャラ変わってんじゃん。でも悪いけどその魔物はボクがとどめを刺すから。上に乗っかってる分身体、邪魔だからどかすね」
煽るようにわざとらしく怖がる素振りを見せたレイネルは、翼をはためかせたままさらに能力を発動させる。
「スキル発動:『武具の生成』」
じきに彼は、どこからともなく作り出された己の体よりも大きな金づちを両手で持っていて。
「それじゃあ、よいしょっとぉ!!!」
それを全力でスイングし、フィックに馬乗りの分身体にぶつけ、遠くへと吹っ飛ばした。




