第28話 後悔先に立たず
ノボルが魔物化したフィックを見つける少し前。
彼女の兄であるボレゾアは雨に濡れることなどいとわず外へと飛び出していた。
14歳であるフィックよりも幼い、妹のポーレウスや弟のリクァツには「絶対に家から出ないように」と強く言い聞かせて。
「素直な妹や弟たちのことだ。自分の言うことを聞いておとなしくしていることを信じよう……」
モヒカンの髪型と屈強な肉体が目立つボレゾアはこう呟き、注意深く商店街を見渡しながら歩く。
その脳裏によぎるのは1年前に目撃した両親の末路。行方不明後、魔物と化し自宅の近くまでやってきて、生前とは一変した姿を見せて暴れていた。
ボレゾアにとってこれは生涯忘れることのできない光景。嫌になるほど頭にこびりついている記憶。
そこで彼は配達に出たフィックが戻ってこず行方が分からなくなったその直後から、すぐに最悪のことを想像し覚悟する。
しかし不安感を煽って周囲の混乱を招くことだけは避けたい。だからこの気持ちを妹と弟、もちろんノボルたちに伝えることはしなかった。
だがノボルと共にフィックが配達の際に通ったと思われる道を確認しに行き、しかし手がかりという手がかりが一切見つからなかったことで、やはり妹は生きて帰ってはこないと確信。
そして今夜。レバク市に響く魔物出現の警報。ボレゾアはこれを耳にすると「いよいよこの時が来た」と腹をくくり自宅を出たのだ。
「どうして自分の家族ばかりがこんなことに……」
彼は分かっていた。フィックは配達の最中に襲われて命を落として魔物と化してしまったことに。
さらに「もしかしたらフィックも家の近くまで来るではないだろうか。あの時の両親と同じように」とも想定していた。
ボレゾアは足を止めてがっくりと肩を落とし唇を噛む。
後悔。頭に浮かぶのはこの2文字だ。
どうしてよりにもよって、配達の前日に自分は体調を崩してしまったのか。
どうしてあの時、配達の注文を断ることができなかったのか。
どうして自分は、フィックをひとりで配達に行かせてしまったのか。
油断。甘え。慢心。どこかで己が違う行動を選択していればこんなことにはならなかったはず。
それでも彼はすぐ、迫力が一層増した顔面を上げる。
今のボレゾアは1年前に両親を失った時と異なる。妹が魔物になってしまったと分かっている彼は、自らの手ですべてを終わらせるべく、その右手に先が鋭く尖っている錐を握っていたのだ。
「他の者には妹を殺させない……! 自分がフィックにとどめを刺すんだ……!」
彼は知っていた。倒された魔物の所有権は、とどめを刺した人物が得られるということを。
思い出される両親の最期。魔物と化した父と母は女性のハンターに倒された後、弔われることなく処理場へと送られた。
しかしフィックは。妹だけは。
「自分が倒してノボルさんに葬儀を執り行ってもらう……! このレバク市に来たことを無駄にしてたまるか……!」
探し求めていた魔物の葬儀を行う男性──ノボル。そんなノボルがいるから、そんなノボルがいれば、フィックを自分の手で倒せばあの館で葬儀をしてくれる。
他のハンターに頼るわけにはいかない。譲るわけにはいかない。任せるわけにはいかない。自分以外の者がとどめを刺せば処理場へと一直線に間違いないからだ。
こうして再び歩み始めるボレゾア。
魔物の弱点は頭部であると知っている。だから変わり果てた妹がここに来れば、手に握る錐の切っ先をその頭に突き刺して、その動きを止めてみせると決めていた。
修羅のような雰囲気すらまとう彼の耳に、かすかに届く人々の声。ボレゾアはこれを魔物を探すハンターたちのものだと瞬時に察知し、荒い呼吸を懸命に整えながら錐を握る手の力を増していく。
心臓の鼓動は痛くなるほど激しい。
生まれた時から知っているフィック。愛おしかった彼女はどれほど変貌してしまっているのか。
これを想像するだけでも、胃の中のものがせり上がってくる感覚に襲われてしまう。
だがボレゾアはもう決意を固めている。見知らぬ誰かの手によって乱雑に討伐されるぐらいであれば、自分自身の手で妹のことを止めたい。
こうして気づけば彼は商店街の端まで進んでいたが……そこに人影が見えた。
「……っ! フィックか!?」
錐を一層強く握りしめるボレゾア。しかしその影はこちらの方に近づくにつれ、魔物ではない生者の女性であることが確認できた。
「こちらはディケ傘下の魔物駆除隊、レバク市とその周辺の対応を担当しているリン・ユエシエントと申します。周辺に魔物が出現しておりますので民間人の方は建物内に避難してください」
ボレゾアの目の前で足を止めた女性、リン。
年齢は20代前半ほどで長い茶色の髪を後ろにまとめ、顔には薄い縁の眼鏡をかけている。身に着けているのは黒い軍服。腰には刃物を収めている鞘も見えた。
「魔物がこの商店街に向かってきているのですか?」
「ええ。ですから屋内に避難してください。このままですとそちらも危険です」
ボレゾアからの質問に対して淡々とした口調でリンは返す。
「今出現している魔物は女性ですか?」
「さあ。それはまでは知りません。こちらもここに来たばかりで、断片的な情報しか把握していませんので」
「魔物駆除隊は何人のハンターをこちらに向かわせているんですか?」
「それ関係ありますか? 見たところそちらは一般市民、ギルドに加盟しているハンターでもなさそうですし」
次々と投げかけられる質問の数々に首を傾げるリン。そんな彼女にボレゾアは錐の先端を向ける。
「関係あります。自分の妹が最近、行方不明になりました。きっと魔物になってしまって……今このレバク市に出現しているのは彼女でしょう」
さらに「妹のとどめは自分が刺します。邪魔をしないでいただきたい」と続けるボレゾアだが、その言葉を耳にした女性は口元に手を当て、クールな様子ながら少々悩んだような素振りを見せて。
「それではこちらからも、そちらの男性に質問を。その証拠はありますか?」
冷静な態度をしつつ眼鏡のレンズ越しに冷たい視線をボレゾアに向けた。
「そもそもここに向かっている魔物が誰の血縁者だろうが関係ありません。こちらの仕事は人々と町の平和を守ることですから」
リンの意見はもっともだ。
この魔物駆除隊だろうと、ギルドに加盟しているフリーのハンターだろうと、もしくは勇者レイネルだって。魔物は逃がすことなど許されない討伐対象。たとえその身元が分かったところで遠慮など絶対にしない。
彼/彼女らが考えるべきは魔物から民衆を守るということ。しかもディケ傘下の魔物駆除隊は特にその意識が強い組織なのである。
「とにかくそちらは早くどこかへ避難してください。これ以上の妨害をするとなれば一時的拘束も視野に入れますよ。こちらはその権限も有していますから」
錐の切っ先を向け続けるボレゾアに怯む様子など一切見せず、厳しく警告するリン。彼女は冷静こそ欠かさないように注意しているが少しずつ苛立ちが表情や口ぶりに現れ始めている。
「……っ」
ただ、観念したボレゾアは素直に腕を下ろした。
彼としても必要以上に魔物駆除隊と揉めるのは避けたい。最悪拘束となってしまったら『自らの手でフィックにとどめを刺す』ことが一層不可能になるわけであって、ここはひとまず引いた方が得策だ。
「分かりました。無礼を働いて申し訳ございません」
こう言いながらボレゾアは屈強な体を縮めて頭を下げる。
「(とにかく今はこの女性から離れよう。それでどこかに身を隠し、フィックが来れば飛び出して弱点である頭部を狙う)」
頭を下げたまま後の動きについて簡潔な計画を練るボレゾア。だが彼は「はあ……」というリンの大きなため息を聞き、思わず顔を上げた。
「そちらの妙な時間稼ぎは効果ありでしたね。お目当ての魔物、こちらに来ましたよ」
その瞬間。
ドシン! という鈍く大きな音を伴い、両者から少し離れた場所に上空から何かが降ってきた。
不機嫌そうなリンと目を見開くボレゾアの視線の先。そこには雨によってびしょ濡れになってしまっているそれがいた。
「ア……アァ……」
魔物と化し、自宅と花屋があるこの商店街へと戻ってきたフィック・ナシィーが。




