01-35 : 長いプロローグは幕を閉じる
居間から出て行ったハルカは縁側にて九重に問うた。
「で、アレはどういうことかしら?」
ハルカが言ったアレとは一樹のことだ。一目見て彼が普通じゃないことは察した。少し言葉を交わしたがアレは人の精神から片足踏み外してしまっていた。
ハルカは人ならざる者と戦うための古流武術、桜薙流統合戦技、その宗家の跡取りとして、一般的でない生活環境で生きてきた。全ては人ならざる者を滅するための技術を後世に残すという使命の下で。
そんな桜薙流の理念は『人は生れながらにして人に非ず。己を律し、鍛え、やがて人へと達し、神をも超える』
要するに『人間は猿と人の間に位置し、人として相応しい格を有することが出来て初めて人と名乗れる。人であることに満足することなく、その先へと己を昇華させていくべし』ということ。
宗教観の強い古流武術だけに人を超え、鬼や妖怪等の人外へとも、神へとも至れるというものだ。神は絶対ではなく人の進化する先の一つ程度という考えである。その点では九重の持論と同じである。
さて、そんな一般的な価値観から離れた桜薙流の観点から一樹の精神を捉えれば、彼の精神は人の領域から逸脱した人外のものであり、その価値観も歪なものであった。
人の身でありながらその精神は人に非ず。
これは気が触れているとかそういったレベルではない。気が触れている状態であれば、まだ人の領域内で不安定に揺れているのだが一樹はその辺をすっ飛ばして安定してしまっていた。
だがしかし、これは本来有り得ないこととされている。何故なら精神とはどうしても肉体の影響下に置かれてしまうからだ。精神が人外となったならば精神に引っ張られ肉体の方も人外へと変化するのだ。そうなった者達を古来では鬼や妖怪、化生などなど様々な呼び方をしていた。故に人の身でありながら人外の精神を宿すことなど出来はしない。
九重もそれを理解しているからか妙に口が軽かった。
「凄いだろう?あれだけの被害を出しておきながら負い目も罪悪感も全く感じていないんだよ。初めて魔法少女を手に掛けた日も動揺一つしないでぐっすり眠っているし。襲われたことには慌てたりするけど何事も無かったかのように抹殺して終わってしまう。どう考えても人間の価値観じゃあないんだよね。このご時世、一体どう生きていればああも歪んだ価値観が身に付くのやら」
九重は信じられないとで言うかのように肩をすくめた。
ハルカもその意見には同感だが今は置いておく。
「そうじゃない。私が聞いていたのは臨界しそうな魔法少女の封印処置だけだったでしょう?それがどうして世界を割るような規模にまで膨れ上がったのかよ」
そもそもハルカがやって来たのは臨界しそうな魔法少女を封印して欲しいという依頼を九重から受けたからだ。数年前から暗躍している異世界人どもがこの世界の少女を誑かし、魔法少女なるエネルギーを搾取するため家畜を育てていることを知っていた。
魔法少女となった者の末路が臨界。
魔法少女として魔法を行使するごとに魂を強化していき、やがて肉体の許容量を超えた時、強制的に魂をエネルギーへと変換し膨大なエネルギーを搾取すること。こうなると周囲も巻き込み大惨事となるため、ハルカは世界の守護者となってからは見つけ次第時間経過の遅い空間へと放り込んで封印してきた。
今回もそんな調子で依頼されたものと思い来てみればどういうことかその規模は桁外れで二重三重の結界を平然と破壊してなお溢れ出す異常なエネルギー量だった。
過去の経験則から言えば有り得ない規模だ。
問われた九重はあっさりと答える
「さっきも言っただろう?一樹君が臨界状態の魔法少女から異世界因子を切り離した結果だよ」
「それにしては規模が大き過ぎるって言ってるの」
そう、大き過ぎた。魔法少女とマスコットと呼ばれる異世界人、それにハルカが張った結界を易々と突破してみせた臨界はどう考えても規模が大きい。
臨界状態で異世界因子を切り離し、制御不可能になったとしても、結局は魔法少女が内包する量しか溢れ出さないのだ。
ハルカは声を荒げずにトーンを落とすことで九重にプレッシャーをかける。
しかし九重はどこ吹く風と全く動じない。
「まぁ、元の魔法少女がね、凄かったんだ。多分馬鹿正直に真正面から戦ったらハルカ、君でも勝てないよ。知ってる?最近の魔法少女って物質を素粒子レベルで分解するんだよ?訳分かんないよね」
話しながら上機嫌にケラケラ笑う九重を前にハルカは「こりゃダメだ」と諦める。
九重は研究者だ。興味のあることにはとことん突き詰めるが興味のないことには全く関知しない。一樹やその魔法少女は九重の興味対象だがそれ以外は別。
ハルカも今回の大震災も九重が計算して起こした可能性が高いと考えているくらいだ。きっと問い詰めたところで無意味だろう。
「はぁ、もういい」とハルカは諦め、話題を変える
「一樹に関してはこれからどうするの?彼、家族も友人もこの震災で失くしちゃったでしょう?親戚とかは?」
「居ないみたいだし、このままここに住まわせてもいいんだけど」
「それはダメね」
「おや?反対かい?ここなら時間の流れが違うから現実で一年しかないタイムリミットも伸ばせる名案だと思うんだけど」
首を傾げる九重。
確かに九重の空間やハルカの世界であれば時間という概念を調整できる。しかし
「九重、私たちが使っている『固有結界』は本来人を超えた者達の特権よ?一樹は精神こそ人外の領域に踏み込んではいるけれど正真正銘の人間。どんな影響が出るか分かったもんじゃないわ。そもそもここに入り浸ったりしてたから精神が人外化した可能性もあるのに」
一樹の精神がおかしいのは人の世界とは違う場所へと出入りしたせいという可能性も考えられる。肉体が精神に、精神が肉体に影響を与え合うのと同じく、外部からの刺激、情報というのも十分な影響力を持っている。むしろ外部からの刺激の方が影響力という点では上だろう。
しかし、九重は「それのどこが悪いんだい?」と理解を示さないので
「貴方、そのリスクを説明していないでしょう」
一度人から外れた魂は、もう人には戻れない。人外となった魂に引っ張られ、肉体に何かしらの変化が齎されたとき、精神に与える負担は未知数だ。場合によってはせっかく人以上の存在になったというのに精神が崩壊しもの言わぬ抜け殻なんてこともあり得る。
研究者である九重は自身に都合の悪いことは決して明かしたりはしないし、失敗だって嬉々として受け入れるためどう転んでもいいと考えているであろうとことをハルカは知っている。それに
「一樹には色々と教えないといけないでしょう」
魂という現代社会から逸した力と技術を何も知らないまま使用するのは余りにも危うい。下手に扱われて問題を起こされないよう最低限の基礎技能だけでも習得させる必要がある。しかし独学でそれをやれと言うのは不可能だ。九重だって多少出来るが齧った程度。研究に必要だから学んだだけ、その程度の知識で他人に教えられるわけがない。
何より、中途半端に教え、学んだ結果が今回の震災の原因の一端でもある。
「だから一樹の身柄は私の方で預かるわ」
「ハルカの方って、それこそどんな影響があるか」
きっと九重はハルカの世界を指しているのだろう。格で言えば九重のところよりも上位に位置するため、精神や魂に与える負荷は大きい。ハルカは九重の勘違いを訂正する。
「勘違いしないで。私の世界に来させるんじゃなくて分家の方に預けるの。一樹の武器は妖刀でしょう?京都に刀を使う分家があるからそこで鍛えてもらうのよ」
桜薙流は全部で宗家桜薙と分家十一家の計十二門ある。これは魂の性質によってアプローチの仕方が異なるためだ。宗家桜薙は全てを網羅しているが、通常自身に合わない修行やアプローチは無駄な徒労に終わるため分家はそれぞれの専門でやっている。
九重もそのことは知っていた
「ああ、斬道御剣流剣術の!それは名案だ。一樹君には是非とももっと強くなってもらいたいし、妖刀との相性も悪くない!実にいいね」
と、乗り気だ。
九重が予想以上に乗り気なため若干の不安はあるが自身の言ったことが通ったのだからそれ以上言うことはない。
「それじゃあ一樹に言ってくるわ。そのまま京都の方へ行くから」
「はいはい。いってらっしゃーい。一樹君のことよろしくね」
ハルカは軽いノリで見送られ、一樹のいる居間へと戻った。
―――――――――
ハルカが去った縁側にもう一人来客があった。ダボダボのパーカーにダボダボのカーゴパンツを履いた、おおよそファッションというものに全く気を遣っていない青年は縁側の外の低い生垣からこちらを覗いていた。
「やぁ、シキじゃないか。久しぶりだね」
ダボダボファッションの青年は数年ぶりに見かけた九重の知り合いにして先程までいたハルカの友人で学友。ついでにハルカが創った桃色の空の世界にある空飛ぶ城の主であるキシとも友人だ。
彼とはハルカとキシがまだ人間だった頃、九重も交えた四人でよく世界の神秘の解明に取り組んでいたものだ。
その結果、九重は仙人となり、ハルカとキシは守護神となり、目の前にいるシキは世界から消えた。
正確には人間の世界から、だ。彼の住んでいた家は勿論、彼が存在していた痕跡まで綺麗さっぱり『なかったこと』になっていた。
ただ九重たちはこの時点で人を超えていたがためにシキの存在が消えることはなかった。
人間の世界から消失したはずの彼が、今日、このタイミングで現れたのはきっと偶然ではないだろう。
「おう、九重、久しぶりだな。俺もようやっとコイツのコツみたいなものを掴めてきたところでな」
数年前と何ら変わることのない対応に九重は内心おや?と訝しむが今はシキの話を聞くのが優先された。
「どうやら俺は因果関係に関与することに成功したらしい」
「は?」
突然現れて何言ってんだコイツ。というのが九重の素直な感想だ。
けれどシキの方は何も気にせず
「だから因果関係に関与することによって、俺は俺の死因を全て取り除き、不死の存在へと至った。おそらく格だけでいえば神を超えたぞ」
数年ぶりの再会であまりに突拍子のない報告を受け九重の思考は停止した。
シキの言っていることが理解できなかった。
それでもどうにか思考を動かし、それで思い至る。
九重は記憶の奥底からサルベージに成功する。
シキの言っていることは数年前に彼が消失するその直前までの会話の続きだ。
まさかと思い九重はシキに「今、西暦何年だ」と訊ねれば、やはりシキがいなくなった年を答えた。
このまま話をしていてもいいが噛み合わない会話というのは案外ストレスを感じるもの。故に九重は古き友人に「今は西暦200X年だよ」と答えた。
シキはしばし動きを止め、首を傾げてから九重を見ると「⋯⋯⋯マジで?」と一言。
硬直するシキを置いて九重は推測する。
もし、シキが言う通り因果関係に関与することが出来るようになったのだとしたらシキは世界の外側へと弾かれてしまったのではないだろうか。そして世界の外側には時間という概念がないか、流れが全然違っており、シキは今日までそこにいた。
そしてつい今しがた、世界が割れたあの瞬間にシキは再びこの世界へと舞い戻った。随分と都合がいい気がするがそう考えられなくはない。
チラッとシキを覗けば後頭部をくしゃくしゃと掻きながら「参ったな」と呟いている。
だが実は参ったは九重の方だった。九重にとってシキという存在は鬼門以外の何者でもない。可能な限り関わり合いたくないというのが心情だ。そして何よりが都合が悪い。
そんな存在が因果関係に関与できる異能と共に舞い戻って来たというのは凶報以外の何でもない。
しかし、シキはまだ、この数年間のことを知らない。ならば
「今はとりあえず君がいなかった間のことを調べてみなよ。僕が教えるよりも自分で調べた方が納得するでしょう?」
と、とりあえず引かせることにした。
シキは「⋯⋯⋯それもそうだな。ちょっくらその辺行ってくる」というと九重の「行ってらっしゃい」という言葉も聞かずに一瞬で消えてしまった。
何が起こったのか全く理解できなかったがその現象には見覚えがあった。
「シキが消失した時もあんな感じに消えたっけ。出来ればもう一度世界の外側にでも飛ばされてくれないかな」
そう呟いたのも束の間、消えてくれないかと願った人物が目の前へと現れた。これにはさすがの九重も動揺せざるを得なかったが辛うじて堪える。
「九重、お前何やってんの?」
開口一番そう言うとシキはまるで咎めるかのように九重を見てくる。
「何やってんのって?シキがいきなり現れたからビックリしてただけだけど」
むしろ何してんの?は九重の台詞である。
しかし、消えてから一分もせずに現れたとなると消えたというよりも隠れていた可能性の方が高い。先程の呟きでも聞かれたのかと内心ドキドキしながらシキの言葉を待った。
「いや、お前⋯⋯まあ、いっか。だけどな、程々にしておけよ?俺の邪魔するようなら容赦なくぶっ潰すからそのつもりでいろよ」
一体何を言っているのかさっぱり理解出来ない九重を置いてけぼりにし、シキは話を進める。
「それより聞きたいんだけどさ、お前何で一樹だっけ?にかまけてんの?」
「え?」
何故一樹の名前が出てきたのかまたも理解出来ない。この成り立たない会話に若干のストレスを覚え、思い出す。
これだよこれ。勝手に話しに入ってきながら答えを待たずに何かを察して切り上げる。
おおよそ会話というものが成立しないシキという存在が九重は本当に苦手である。
「だってアレじゃダメだろ?お前の計画には少なくとも神以上の格が必要なはずだ」
突拍子もないことを言い出したシキに慌てて訊ねる。
「ちょ、ちょっと待った。シキ、君は一体何の話をしてるんだ?」
けれどシキは
「ん?一樹じゃダメだって話だろ?そもそも必要だったのか?今日までの過程」
九重は内心でクソがと毒を吐く。というのもシキが言っていることに心当たりがあったからだ。それは密かに隠れて計画中の内容。まず間違いなくハルカですらも感づいていない秘密計画。
あー、実に懐かしい。こういう言葉にしないのに色々と察するから嫌なんだよ。しかもよりにもよってソレに気付くかよ。
はあ、と盛大に溜息を吐き、九重はシキの質問に答えざるを得ないことを悟る。放っておけばシキは勝手に動き回った挙句、こちらの計画を台無しにしてしまう。ならばある程度説明をしておいて邪魔だけはしないでくれとお願いをしておかないと九重の与り知らぬところでやらかしかねないのがシキという男だからだ。
「今日までの過程は必要かと言われれば必要だった。けれどそれは一樹君にとってであり他者から見れば要らないと感じるかもしれないね。小説で言うならプロローグ、ゲームで言うならチュートリアルさ。添削やスキップされてもおかしくないものであることは認めるよ」
でも、と言葉を続けようとした九重にシキは言葉を被せた。
「ふーん。そこまで自覚があるならもういいや」
「え?」
まるで問い詰めるかのように訊いておきながら、こちらが答えると最後まで聞かずに興味を失くし、投げやりな感じに話を終わらせるシキに困惑するも、九重の記憶にあるシキはいつもこんな風に最後まで人の話を聞いたことが無かったなと思い出す。昔は傍から見ていただけだが実際にそういう風に扱われると実に不愉快だった。
意を決しての告白でさえこの扱い。そうか、僕はシキのこういうところが嫌いだったんだ。
昔から抱いていた苦手意識の理由を時を経て理解した九重はそれで冷静さを取り戻した。
気分を害することにはなったが、しかし、そのおかげでこちらの邪魔をされないのであればそれ以上は言うまい。
九重は現状維持で通りそうな状況にホッとしつつシキの様子を窺えばシキは何かと忙しそうにメモを取っていた。一体何をメモしているのかと見ればシキと目が合う。
すると「これな」とさっきまでとっていたメモを見せてきた。
「いや、ほら俺何か五年くらいこの世界から消えてたわけじゃん?その間に出たゲームとか漫画とか小説とかアニメとか、とにかく色々見ないといけないから結構時間がないんだわ。だから忙しいわけだ。まあ、九重が実験大好きで周りの迷惑を省みない奴だというのは知っているから何を言っても無駄だろう。俺は邪魔だと思ったら潰すと言ったさっきの宣言通りにするから、悪企みをするなら見つからないようにしろよってそれだけ。
何、俺とお前の仲だ。世界がどうなろうと鬱陶しくなければ見逃してやるよ」
どこまでも自然に上から目線の台詞を聞き流し、九重の計画はサブカルチャーに影響を与えないように細心の注意を払うよう軌道修正を余儀なくされたが、それでことが収まるなら安いものだ。
その後、他愛もない、本当に他愛もない世間話を数分してシキは去った。
シキが去ったあと、九重は全身を脱力させ縁側に寝転がると先程までのシキとのやり取りで分かったことを考える。
シキの気配が全く読み取れなかった。きっとハルカでも感じられなかったのだろう。もし感じていればすっ飛んできたはずだ。
仙人となって気配といった曖昧なものを感知できるようになった九重であったがどうやら自身よりも格が上の存在は無理なのかもしれないと考えた。
「本当に神以上の格を手に入れたというのか⋯⋯?少なくとも僕以上ではあるようだけど」
もしシキが言うように神以上の格が存在するというのが本当なら九重の計画にもいい意味で影響がありそうだ。
九重は一人悪企む。例え世界が滅ぼうとも、九重は世界を救うとそう誓ったのだ。
「でもまさか、一樹君にまで僕と同じ経験をさせることになるとは思わなかったな。感想は全く別物だったから友達にはなれないだろうけど」
さてさて、と九重はこれからの計画の軌道修正をどういう形で行うかの検討を始める。
この日から世界は大きく動くことになるが、それを認識出来る者は数える程しかいなかった。




