使者
アサマの修理と補給を済ませた第13艦隊はパトロール任務の一環で、モロ島方面へと航海していた。
つい先程、偵察機より、潜望鏡らしきものを確認したとの報告があり、第2種戦闘配置となったため、密閉された艦橋は、送風装置を目一杯にしても南の暑さを防ぐことはできず、多田野以下艦橋要員達は汗を拭いながら、いつ現れるかもしれない敵を警戒していた。
それでも、男達は少しシャツが見えるくらいまで、軍服をくつろげることができていたが、彰子と楢橋はそうもいかなかった。二人はきっちりと軍服の襟を詰めているので顔を上気させ、前髪が張り付くほどの汗をかきながら、職務を全うしている。慣例として提督が艦橋にいる時、各課の長が配置に着くようになっているから、艦橋の面子はそれほど変わらず、かなり打ち解けた雰囲気が漂っているのがせめても救いだった。
多田野は二人を見て、少し不憫に思ったが、敵潜水艦の出現が予測される以上、警戒を解くわけにも行かず、司令官席用に設けられた送風口をそっと二人の方に向けた。彰子がくるりと髪を纏めアップにした。
「流石に暑いですな。」
日野が、手でパタパタと仰ぎながら、いつものようにのんびりと話し始めた。
「重巡の艦橋は広いから、送風機じゃ風が回らないんですよ。」
南郷が南方航路は暑いんだ、以前乗務していた戦艦には冷房装置が付いていて快適だったが、艦橋から一歩出ると地獄で、敢えて艦橋配置を志願していたなどと思い出話を始め、日野もわかりますよと頷き、周りの若いものたちは歴戦の猛者の話を面白そうに聞き入っていた。
「砲塔は冷却装置があるから涼しそうだ。」
ふと思いついたように日野が言った。
「いや、冷却装置はあくまで砲身用ですから、逆に装置が熱を持つので砲塔内は暑いですよ。まぁ、要所要所で観測所に出て涼んでると思いますが。」
金沢は部下も仕事をしているとばかり少し真面目に応対し、日野が軽く申し訳なさそうに頭を下げた。
「艦長。我々も観測しませんか。」
ここで、こういう一言が出るのが日野の良いところだと多田野は素直に思った。
暑くて嫌になっていたのか珍しく彰子も日野の軽口に応じてきた。
「まずはお望み通り、冷却装置の中に入ってきたら。敵艦を見つけたら真っ先に発射してあげるわ。」
「日野。一本取られたな。」
多田野の声に呼応するように艦橋に笑い声が響いたが、一頻り笑うと気だるい嫌な沈黙が訪れる。
ふと時計を見て、第2種戦闘配置からそろそろ一時間が経つと気がついた多田野はこの暑さじゃそろそろ限界だなと伝声管を手に取って烹炊所を呼び出す。
「烹炊所はアイスか氷を。機関部と砲雷部には全員にアイスを届けよ。」
彰子が多田野にぬるくなった水を渡す。
「賢明な判断です。兵たちも喜ぶと思います。」
「しかし、それではアイスが士官の皆さんに行き渡りませんが。」
烹炊課長からそれでも良いかという確認がくる。
「この年になると医者から甘いものを止められましてな。」
一番年長の南郷がそう言い、皆も苦笑しながら仕方なくそれに追随して頷いた。アイスは旗艦乗組の士官以上に許された楽しみであり、元フレンチのシェフが烹炊長を務めるアサマのアイスは評判もよいだけに落胆の色は濃い。
「艦橋の分を回して。士官達に。私も氷で構わない。」
「司令に氷をお出ししたとあっては烹炊の名折れです。せめて、司令と艦長にはアイスをお届けします。」
伝声管から烹炊所の声が聞こえなくなった時、楢橋が声を上げた。
「偵察機より敵艦発見の報。軽巡1駆逐2重巡1。モロ島のパトロール艦隊かと。」
「アイスはお預けだな。総員第1戦闘配置。」
全くタイミングが悪いと多田野は少し残念そうに戦闘用意を告げたが、彰子の声は瞬時に厳しいものに変わりテキパキと指示を出した。
「て、敵艦に、し、信号旗っ。『本船は貴船との通信を求める。』周波数来ます。」
じっと敵艦を見ていた観測手が驚いたようにそう言った。
しばらくして水平線の彼方にゴマ粒のように敵艦が見え出すと観測手が戸惑ったように双眼鏡を彰子に渡した。
彰子はちらっと敵艦のマストを確認すると、敵艦の方角を指さして多田野に見るように言った。
確かに敵艦のマストには通信を求める信号旗が揚られ、周波数を示すだろう数字旗が添えられている。
命令を聞く前に周波数を合わせていた楢橋が右手を上げて、敵艦からの通信を告げ、帝国語に直して読み上げる。
「『此方、アメリア海軍、第4守備艦隊旗艦モハメッド。軍使を送る。話がしたい。』」
すでに白旗を上げた内火艇がかなりの速度で近づいて来ていた。
なぜ、いきなり軍使なのかと艦橋は疑問に包まれた。
「敵さんも何考えてんだか。乗員は3名。喫水も下がってるようには見えませんし、武装はないようです。」
じっと内火艇を追っていた日野がそう報告する。
南郷が振り返って多田野達を見た。
「罠かもしれないな。」
「しかし、罠にしてはわかりやす過ぎます。タイミングといい判断は迷いますが。とにかく会ってみよう。」
南郷は多田野の答えに満足したように笑った。
もはや肉眼でも人が確認できるくらいまで内火艇が更に近づいてくる。
「お会いになるつもりですか。意図がわかりません。撃沈することも可能ですが。」
戦闘中の厳しい視線と髪型のせいか悪女のような雰囲気をまとった彰子は他に聞こえぬように小声で多田野に耳打ちした。少し恐怖を感じながら多田野は首を振った。
「白旗を揚げられた以上、会うしか無いだろう。信号を確認した旨の信号旗を揚げ、陸戦隊用意。内火艇の収容準備をせよ。艦隊指揮を神城大佐に任せる。メルルさんに通訳として同行してもらおう。」
ふと微笑んだ彰子がお気をつけてと敬礼し、多田野は短く息を吐いて艦橋を出た。




