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女囚

南方海域。

深度80メートル。


アメリア海軍特務潜水艦艦長ニキータ・ミュールは気温30度、湿度90パーセント以上のなんとも言えない蒸し暑さに耐えかね、隠していたタバコに火を付けようとして副官に止められた。

「わかってるよ。アマールカ。でもよ。来る日も来る日もお天道様を拝めず、おまけにタバコ一つ吸えないのか、これじゃあ、ムショと変わらないじゃないか。」

副官のアマールカはニキータが後ろ手に隠そうとしたタバコの箱を素早くもぎ取ると、わざとニキータの目線の高さまで上げてからニコリと笑って勢い良く潰してみせた。アマールカの銀の長い髪は暑さで、少し紅に染まった頬に汗で光りながらくっつき、その笑みには、なぜか怒りを押しとどめる婉然とした美しさがあった。

「ニキータ姉さん。定時連絡の為の浮上まで後4時間ほどあります。空気は貴重ですから汚さないでください。一月か二月に一度は補給基地で羽根を伸ばせますし。それに孤島の地下独居房で250年の刑期よりはマシだと思いますがね。撃沈した艦艇に応じて報酬も出るようですし。」

「確かに金は魅力的だな。ここにいる奴も金と自由な暮らしを求めてる奴だろうし。でもよ。アマールカ。浮上っていったって、海面ギリギリまでじゃねぇか。変な筒を出して外気を取り入れて通信して、また潜る。こんなんに乗って、こんな環境で、こんなとこに潜っていて船がくるのか。」

ニキータは、短くした髪の汗を頭を振って落とし、腕で額の汗を拭った。

呼吸するのも億劫になる重苦しい空気の中、細く息を吐くと3ヶ月前の潜水艦乗員養成プログラムを思い出していた。1月半にもわたる促成プログラムは、自由と金という希望があっても、荒くれ者の3割は耐えられないほどつらかった。

先の大戦時に扶桑帝国が開発した潜水艦は、敵の攻撃の届かぬ海中から魚雷を喰らわす夢の隠密兵器で、アメリアはすぐに扶桑帝国から技術を盗み、国力に任せ、莫大なコストを払って潜水艦を量産したが、潜水艦乗組員達は潜水艦特有の循環空気による過酷な閉鎖空間で精神を病み、やがて扶桑帝国が対潜攻撃の手段を開発すると被弾時の脱出、生還の可能性も低いことから、海の棺桶と呼ばれるようになった。

無論、教官たちは潜水艦の素晴らしさのみを宣伝していたが、ニキータやアマールカの前では教官たちの資料や会話は筒抜けであったし、乗組員の候補が生死を問われない、女子重刑務所の独居房囚から選ばれている時点で教官たちの話のボロは明らかだった。

ニキータは、国宝をいくつか簡単に盗んだ美術品専門の盗賊の頭で、副官のアマールカは財務事務次官をはじめとする高級官僚を何人も手玉に取って、情報を売っていた詐欺師という具合で、他にも殺し屋や猟奇殺人犯、爆発物製造のプロなど裏社会においては輝かしい経歴の持ち主であった。

なれない手つきで海図にあたり現在地を確認していたアマールカは赤鉛筆で大きめに印を付けると、ニキータの肩を叩いた。

「ここは、レブ島への補給航路上です。ウエスタンがフソウに支援を表明した今、ルートを変えても何日かに一回は通りますよ。それにレンブラント少将によれば、そろそろ確実に大物がくるとか。」

「あの狸は気に食わないね。」

ニキータは口寂しさを紛らわすように煙草を吸う真似をした。

「でも、ニキータ。ソナーに反応。結構、反応が大きいし間違いないよ。」 

と凄腕の金庫破りだったソナー手がニキータを見た。艦内の口調はフランクなものであった。

アマールカがそろりと潜望鏡を上げた。

「姉さん。輸送艦2、護衛の軍艦が2、3、4、…6です。大漁ですよ。あの旗の意匠は近衛でしょうか。」

ニキータも潜望鏡を代わった。

「その狸もそれなりの情報は持ってくるから厄介だな。」

ニキータは不機嫌そうにフンと鼻を鳴らした。鈍重な輸送艦に先制雷撃を仕掛けられる位置にはいるが、第六感が罠だと告げていた。

「あー。なんだか、ますます、気に食わないね。海軍総司令部からはこれをやれって言ってるわけじゃないんだろ。」

不思議そうにアマールカが頷いた。

「指定はありません。そもそも海軍だって我々が戦力になると考えているかどうか。」

「だろうな。素人は見逃すこともあるよな。」

アマールカの顔が曇る。

「攻撃しないのですか。」

その疑問は乗員の総意であった。

ニキータは気温とはいえない無言の熱気と湿度を感じ、恐怖した。この艦に軍隊のような秩序はない。ただ、ニキータが頭脳派の著名な犯罪者であり、『舐められていない』だけだった。だからこそ、ニキータは余裕そうな声を出す。

「手は出すなよ。兵隊さんはご飯食べないといけないだろ。ましてフソウの奴らの大事な皇帝陛下を守る近衛部隊なら、きっと奴ら補給物資が届くまで輸送するぜ。そうなりゃ次々来る輸送船を叩き放題じゃないか。しかし、近衛兵なんて金ピカの鎧に白馬の騎士みたいなやつらを何に使うんだろうな。」

アマールカの目が光り、指が何かを計算をはじめた。

「さすが、姉さん。ここで叩いたら、一度きりかも知れないが、補給艦なら楽して報奨金もらい放題ってわけですか。」

そうか、金も悪くないなという声が艦内に満ちて、ニキータは少しうんざりしながら頷いた。

「よし。わかったら、まだ無音潜航とやらだよ。ここまで来たらとことん待とうじゃないか。」

ニキータの顔からは暑さが原因ではない汗がポタリポタリと滴となってたれていた。

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