来訪
多田野がアサマの会議室に入った時には彰子の指示で二階堂の二人が座っていた。
多田野は部屋の一番端にあるいつもの席についた。艦隊運営の素人だという意識がある多田野は勉強を建前に末席に当たるこの席を指定席としていた。彰子はまたかと半ば呆れ顔で中央の席についた。定例会議でも、多田野の位置はお決まりになっており、もはや第13艦隊に席次について意見する者はいなかった。
少し緊張の色のある井上がよく冷えたお茶を配った。
まだ晩春の頃とはいえ南方にあるレブ島は、キュンと冷やされた冷茶がよく似合う気温になっている。
一心地ついて、咳払いとともに口を開いたのは猿渡だった。
「ロビエトアの参戦で遠藤艦隊が引き抜かれた今、増援というわけにはいないでしょうし。やはり、実験艦隊と報告したのが不味かったですかな。」
人数が少ない分、第13艦隊の会議は、こうして緩やかに始まることが多いが、今日のそれは独白に近かった。
猿渡も多田野もそれから後の2人も、どうニュアンスを変えたところでロビエトアの侵攻で、北方海が戦場になれば、世界有数の艦艇と練度を誇る海軍国である扶桑帝国をもってしても、大国2カ国相手に3方面作戦をとれるはずはないと分かっていた。
同盟国から物資の目処がついた今、最も本土から離れ、かつ脅威の薄い南方を切り捨てる。それは、一度でも戦略論を学べばわかることだった。それでも、実際にやられると堪えるなと多田野は素直に感じ、そもそも帝国の安全保障政策は破綻したのかもしれないということに思い立った。
帝国は戦線を限定し、仮想敵国を一国すなわち、アメリアに絞り戦力を集中配分することで、国力にかかわらず、強力な艦隊を作ることを可能にした。
だからこそ、同じ立憲君主国として長年の友好関係にあったウエスタン連合王国はもちろん王政打倒の革命後、一党独裁政権となったロビエトアにも、国会の審議の緩い陸海軍の余剰物資を回してまで経済援助をし、不可侵条約を取り付けていた。
やがて、彰子が口を開いた。
「北方海の中立条約が破られた今、扶桑海、北方海を支えるだけの戦力を回した上、こちらまではとても。一応、敵に損害を与えてますし、南方は一番脅威度が低いと判断されたんでしょう。ただ、物資と明後日には陸軍の増援は来るようですから、攻略隊の余剰分を基地防衛や島の治安維持に回していただいて、その分を純粋な海軍戦力に回すことはできそうです。」
さて、どうするか…と考えたところで猿渡のため息が多田野の思考を止めた。
「陸さんが来ても艦艇が増えるわけではありませんが、確かに交代要員が増えるだけでも良しとしなくてはなりませんかね。」
多田野は頷いた。
次に、すこし発言をためらうように二階堂が手を上げた。二階堂の仕事は軍令部への戦況報告と戦争全体の戦況を掴むことであった。情報官とよばれるこの職務は無口で冷静な二階堂には向いている職種だった。
二階堂は戦況が書かれているだろう分厚い資料を軽くパラパラとめくっていく。
「扶桑海は膠着状態で我が軍、アメリア軍双方の攻勢が収まりつつあるようです。」
猿渡がやはりかとどっしりとしたその腹を掻いた。
「いかに国力に勝るアメリア軍も主力の損失は避けたい。しかしこちらも物資の援助があるとはいえ、長期戦になればなるだけ不利か。」
猿渡の発した長期戦という言葉が会議室全体をまた沈黙に包んだ。運良く、空気を変えるように扉が急に叩かれ、ちらりと多田野を確認した井上がドアを開けた。
「失礼します。通告電です。」
若い伝令兵が入ってきて、敬礼した。緊張しているのか手に持った紙がかすかに震えていた。
「陸軍の増援を乗せた艦隊から通告がありました。輸送艦2。護衛艦6。残り2時間でレブに到着予定。中央の輸送艦には椿の旗が揚がっているとのこと。」
その報告に多田野は思わず声を飲んだ。椿の旗は皇族のひいては近衛の旗印であった。そしてそれは彰子や猿渡、二階堂だけでなく、部屋の隅にある井上にさえも伝播した。
「ばかな。近衛を出すとは、陸軍の奴ら、そこまでやるか?」
その場にいる者の気持ちを代弁したように猿渡が思わず机を叩きつけ、まだ少年の面影を残す伝令兵がぴくりと飛び上がった。
多田野にとっても、近衛が派兵された事は驚きだった。改めて確認するまでもなく、近衛部隊は要人警護と儀礼に特化した極めて特殊な部隊である。島国の扶桑帝国において、陸軍にも華を持たせるためという裏事情から、近衛兵は名目上、陸軍の兵科の一つとして存在しているが、戦闘力という点で見れば皆無といって良かった。
つまり、大本営は資源地帯である南方諸島攻略を放棄し、陸軍には一応、派『兵』させることでそのメンツを保たせたという『政治』だった。
「陸軍さんも我々海軍も協力したという実績がほしいんでしょう。一応、近衛も陸軍の兵科の一つですから。それに第二連隊なら、余っているくらいでしょう。ただ、軍令部は本当にこの海域の危険度を低く見ているようですね。」
頭を下げた彰子の言葉にもため息が少し混じる
そして、ため息は猿渡にも伝染った。
「しかし、参謀長。二階堂君の言う様に沈静化してるとしても、まだ敵は存在しています。儀仗では敵艦は沈みません。」
「大本営は南方攻略を止めたということだろう。」
多田野はほっとするのを感じ、顔を引き締めた。
「遠藤艦隊がいなくなったレブ島の水上戦力では、ギリギリでしたから。それに近衛の皆さんもきっと基地の警備や治安維持くらいは出来るかと。」
と言ってみた彰子が困ったように多田野を見たが、来てしまう以上、多田野にもまた致し方ない事だった。
二階堂がまた手を上げた。
「あの。護衛艦はどこからか捻出したんでしょう。本国にはあまり余剰艦艇は無いはずですが。」
二階堂はまた分厚い紙の束を懸命にめくると、真面目にそういった。多田野は少し気になったが、猿渡から今、そこを突くかという目線がバチバチと二階堂に浴びせられ、伝令の少年は生真面目にそこまでの通告はありませんと言った。
「陸の野郎。嫌がらせだな。二階堂。そういう情報こそ、聞いとけよ。」
それは猿渡の八つ当たりだった。誰が近衛が来ると思うのだろうか。二階堂が目をパチパチとさせながら必死になって首を振った。
「まさか、近衛がくるなんて思いませんでしたし。少なくとも陸軍受け入れの用意が先かと。」
二階堂の意見は芯を突いていた。彰子が頷いた。
「そうですね。部屋割もありますし…。少なくとも我々の司令部移転の話は無くなりそうです。」
改めて告げられた事で、皆の空気が重くなった。そして会議は今後を何も決めぬまま、慌ただしく散会となる以外なかった。
ため息はずっと深くなって最後に多田野にうつった。




