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アイテム鑑定士は頑張ってます ― 地図のないダンジョンからの脱出  作者: 智信
第一部

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第05話 見知らぬ天井

「回廊で拾った素材も、道具も、携行食も、そのまま残っている」

—— 魔法拡張の収納バッグ

 気づけば固い床の上だった。


 最初に戻ってきたのは掌の感覚だった。

 冷たい石のざらついた手触り。

 それから膝、肩、指の先。

 自分の体がどこか固いものの上に投げ出されているのだと、少しずつ分かってくる。


 耳の奥では、まだ轟音の残響が鳴っていた。

 あの白い光に呑まれた瞬間の音が鼓膜の内側にこびりついている。

 目を開けてもはじめは何も見えなかった。

 光に灼かれた視界がじわじわと色を取り戻していく。


 徐々に目が慣れてくると周りの様子が少しずつ形になってきた。

 見上げた先に見慣れない天井がある。

 高く、薄暗い、知らない石の天井。

 あの円い広間ではない。

 揺れはいつのまにか止んでいた。

 あれほど暴れていた地面が嘘のように静まり返っている。


「……ここ、どこだ」


 掠れた声が、口からこぼれる。


 近くで、誰かが咳き込む音がした。

 ヴェラの、うめき声。

 少し離れて、ゴードンが「全員いるか」と、絞り出すように問う。


「……ウチはいる」


「おいらも、なんとか」


「あたいも無事だ。ライルは?」


「ここに。……体は動く」


 ひとりずつ身を起こしていく。

 みんな大きな怪我はないらしい。

 荷物も幸い散らばってはいなかった。


「よかった、全員いるね」


 立ち上がったイングリッドがぐるりと周りを見渡す。

 その声にはいつもの張りがなかった。


 薄ぼんやりと明るい壁は、さっきまでの坑道の壁とはまるで違う。

 継ぎ目もなく磨かれた灰色の石。

 人の手で造られたものだと一目で分かった。

 だが、こんな造りの場所を、グレンモア回廊でも他の場所でも自分は知らない。


 空気はひやりと乾いていた。

 埃と黴に慣れた鼻に、この澄んだ冷たさはひどく場違いに感じられる。

 物音ひとつしない。

 ただ、自分たちの荒い息だけが石の壁に低く反響していた。


 あの円い広間でもなければ、見知った回廊のどこでもない。


「……なんだよ、これ」


 アッシュが珍しく掠れた声を漏らす。

 あれだけ何でも見透かすこの男が途方に暮れた顔をしていた。


 誰も、何も言えなかった。

 さっきの光が何だったのか。

 自分たちがどうやってここへ来たのか。

 見渡しても、考えても、手がかりひとつ掴めない。


 出口は……帰り道は……


 薄暗い石の部屋のなかで、その答えを持つ者は誰もいなかった。


 最初にその沈黙を破ったのはイングリッドだった。


「……よし」


 小さく、けれどはっきりと言う。

 膝の埃を払って立ち上がるその姿に、少しずついつもの張りが戻っていく。


「落ち込むのは後だ。まずは、今どうなってるかを確かめる。ライル、荷は無事かい」


「ああ。……見てみる」


 肩の収納バッグに手を入れ中を検める。

 幸い中身はひとつも欠けていなかった。

 回廊で拾った素材も、道具も、携行食も、そのまま残っている。

 ——道具が使える。

 それだけで少しだけ息がつけた。

 この状況で自分にできることがあるとすれば、まずはそこからだ。


「荷は全部ある。道具も無事だ」


「上等。それが一番でかい」


 イングリッドが頷く。


 その一言を合図にしたように、それぞれが自分の受け持ちを確かめ始めた。

 収納バッグから荷物を取り出し、ゴードンは食料を、自分はそれ以外の荷物を。

 イングリッドとアッシュは周囲の様子を。

 ヴェラは残った魔力の量を。

 こんなときでも五人の役割は体に染みついている。

 その手慣れた気配がほんの少しだけざわついた心を鎮めてくれた。


「ちょっと、待って」


 そんな中でヴェラが叫んだ。

 全員が身構える。


「……なにこれ。灯りもないのに、ぼんやり明るい」


 ヴェラが壁に手を這わせる。

 壁のどこからかほのかな光が滲んでいる。

 青みがかった頼りない光。

 まるで石そのものがうっすらと発光しているようだった。

 その目に、恐怖より先にいつもの好奇心が戻りかけていた。


「火を焚いている様子も油の匂いもしない。なのに、光ってる。こんなの、見たことないよ」


 誰にも答えられなかった。

 薄暗いが真っ暗ではない。

 この場所は、誰かが——あるいは何かが、今も灯し続けている。

 そう考えると背筋を冷たいものが撫でていった。


 自分もつい壁の石へ目を凝らし鑑定をしてみた。

 鑑定士の染みついた癖だ。


────────────

 【鑑定】壁の石

 種別:石材。人の手で削られている。

 来歴:古い。

 価値:不明。

────────────


 返ってくるのはそれだけだった。

 この光がどこから来るのかまでは鑑定では読めない。


 ふとその壁の一箇所に目が留まった。

 古い金具のようなものが壁に埋もれている。

 がっちりと食い込み取り出すことはできそうになかった。

 その下には何かが砕け散ったあとのようなものもあった。


 その流れで自分の足元へも目を落とす。

 五人が投げ出されていた床にはうっすらと円い溝が刻まれていた。

 積もった埃に紛れよほど気をつけて見なければ気づかないほど淡い。

 指でなぞってみても古いというだけで何のための彫りなのかは見当もつかない。


────────────

 【鑑定】床の石

 種別:石の彫り。

 来歴:古い。

 用途:不明。

 価値:不明。

────────────


 ——それだけだった。

 入ってきた道の跡には見えない。

 今はまだ、意味の分からないものとして、頭の隅に置いておくより他なかった。


 そんな風にあたりを観察している間にも、イングリッドとアッシュは部屋の壁沿いを回って調べていた。

 ひととおり見て回ったのか、二人が戻ってくる。


「入ってきた道らしきものは、見当たらないな」


 イングリッドが低く言う。


「おいらたちは、文字どおり降って湧いたわけだ。……ただ、奥にひとつ、通路がある。進めるとしたら、あっちだけだね」


 アッシュが顎で示した先に、暗い通路がぽっかりと口を開けていた。

 来た道はなく進む道だけがある。

 選べる方向は一つきりだった。


 その静けさのなかで、食料を数え終えたゴードンが、低い声で口を開いた。


「……悪い報せがある」


 全員の視線が、集まった。


「食料だ。おれたちが担いできたのは、二日分。回廊で腰を据えて稼ぐつもりの、二日分だけだ。予備とやりくりで、なんとか耐えられるのは、最大で三日だ」


「三日……」


 ヴェラが繰り返す。


「水なら、ウチの魔術で作れる。……もっとも、魔術で出した水ばかり飲んでると、だんだん体に力が入らなくなるって言うけどね。でも、食べ物は——」


「そう、食料は作れない」


 ゴードンが頷いた。

 その口ぶりは努めて落ち着いている。

 落ち着かせようとしているのが分かる分、かえって事の重さが伝わってきた。


「勘違いするな。三日で飢え死にする、なんて話じゃない。食う分が尽きてもすぐにどうこうはならん」


 一度言葉を切ってゴードンは全員を見回した。


「だが、その先が問題だ。腹が減れば体が鈍る。頭も回らなくなる。ヴェラの魔力の戻りも落ちるだろう。……そうなると、まともに歩いて出られるだけの力は、残っちゃいない」


 言葉の意味がじわりと染みてくる。


「つまり」


 イングリッドが静かに引き取った。


「動けるうちに——三日のうちに、ここを出る道を見つける。それを過ぎたら、道が見つかってもたどり着く力がない。そういうことだね」


「そういうことだ」


 誰も、何も言わなかった。

 三日。

 安全に探索して脱出できる期限が、たった三日。

 その数字が、薄暗い部屋の空気をいっそう重くした。


 ヴェラがぎゅっと唇を結んだ。

 何にでも食いつくはずの好奇心が、今は行き場をなくしている。

 ゴードンは努めていつもの顔を保っていた。

 だが、その手が固く握りしめられているのを、自分は見ていた。

 一番現実が見えている男が、一番無理をしている。

 そんな気がした。


「……ま、しんみりしてても腹は膨れないしねえ」


 その重さを最初に押しのけたのはアッシュだった。

 いつもの飄々とした声。

 だが、その目はもう部屋の隅々を素早く検分している。


「幸い、みんな無事だ。道具もある。灯りの正体はさておき、ここが真っ暗じゃないのはありがたい話さ。歩ける」


「そうだね」


 イングリッドが立ち上がり、剣の柄に手を置いた。

 その背中は、もう、いつものリーダーのそれに戻っている。


「泣き言は三日後に取っておく。まずは現状把握だ。この部屋から探索を始める。出口の手がかりを一つずつ拾っていくよ」


 異論は出なかった。

 出るはずもない。

 それが、今の自分たちにできる、たった一つのことだった。


 歩き出しながら、自分はもう一度、収納バッグの重みを確かめた。


 剣も魔法もここでは皆に及ばない。

 それは、これまでも、そしてさっきの戦いでも嫌というほど思い知っている。

 だが——見知らぬ土地の、見知らぬ品を読み解くのは……鑑定士の仕事だ。

 もしこの場所を出るのに知恵が要るなら。

 そのときこそ、この目が、役に立つかもしれない。


 根拠はなかった。

 それでも、そう思うことが竦みかけた足を前へ進ませてくれた。


 ぽっかりと空いた通路の奥にも、あの頼りない光が細く滲んでいた。

 薄暗い入口から、その先の——まだ見ぬ奥へ。

 五人はゆっくりと足を踏み出した。

ここから第一部の開始になります。

そして2日目は4話連続掲載で、第6話は15時に公開予定となっています。

今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、

評価・ブックマークで応援いただけると嬉しいです。

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