第04話 急転
「白い光のなかへ、体だけが吸い込まれていく」
—— 転移
闇の奥で何かが蠢いていた。
湿った岩肌を這うような低い足音。
それはひとつではなかった。
灯りの届かないその先で、いくつもの目がこちらを窺っている気配がした。
「魔物だね。数は三、いや、四か」
アッシュが短剣を抜きながら低く告げる。
軽口はもうどこにもない。
こういうときのこの男は、恐ろしく静かだった。
「ならいつもどおりだ。ゴードン、前。ヴェラ、灯りを強く。アッシュは遊撃。ライルは下がって援護に徹して」
イングリッドの声に迷いはない。
剣を抜き放つと、その切っ先が灯りに照らされ鋭く光った。
こういう号令のとき、自分の名はいつも最後に呼ばれる。
しかも決まって「下がって」と一緒に。
慣れたものだった。
そう、慣れてしまっている。
それでも言われたとおり一歩下がって弓に矢をつがえた。
仲間の背中越しに獣の影へ狙いをつける。
隙があれば一矢くらいは援護できる——いつもそのつもりでいる。
「はいよ。——来る!」
ヴェラが手をかざすと灯りがぱっと膨らんだ。
灯りは坑道の奥を白く照らし出す。
浮かび上がったのは犬ほどの大きさの鱗に覆われた獣だった。
それが四匹、牙を剥いて一斉に飛びかかってくる。
先頭の一匹へイングリッドが真正面から踏み込んだ。
迷いのない一閃が鱗ごと胴を断つ。
息をつく間もなくその切っ先はもう次の獣へ向いている。
動きに淀みはひとつもない。
二匹目が横合いから跳んだ。
だがそこにはゴードンの盾がある。
鈍い衝突音とともに獣が弾き返される。
よろめいたその首をゴードンが盾の縁で打ち砕いた。
「ここは通さん。残りを回り込ませるな!」
「アッシュ、一匹そっちへ抜けた!」
イングリッドの号令が飛ぶ。
「見えてるよ」
アッシュの姿が灯りの影に溶けた。
次の瞬間には逃げた三匹目の背後へ回り込んでいる。
短剣が一度きらめき、獣は声もなく崩れ落ちた。
これが軽口ばかりの男の真の顔だった。
残る一匹が隊列の隙を突いてヴェラへ飛びかかる。
「ヴェラ、右!」
「分かってるって!」
ヴェラが手をかざす。
指先から奔った細い炎の線が獣を一直線に貫いた。
短い悲鳴。
最後の一匹が床に転がって動かなくなった。
——ほんの少しの間の出来事だった。
自分は……その間ずっと隊列の後ろにいた。
弓に矢はつがえていた。
だが、味方と獣が入り乱れる乱戦は自分が割り込むには速すぎる。
下手に射れば仲間に当てかねない。
結局、指一本動かせないまま戦いは終わっていた。
弓の腕がないわけではない。
道具の使いどころも心得ているつもりだ。
それでも、この四人の速さと呼吸のなかに、自分の入る隙間はなかった。
四人はまるで、ひとつの生き物のように動く。
息を合わせ、互いの隙を埋め合う、四人だけの円。
誰かに弾き出されたわけではない。
ただ、あの戦いの輪の中に、自分の役割だけが、なかった。
分かっている。
分かっていて、なお、胸の底が小さく軋んだ。
「ライル、無事か」
息を整えながらゴードンが振り返る。
「ああ。……何もできなかったが」
「上等だ。お前に援護してもらうほどの戦いだったら、おれたちの手には負えない相手ということだからな」
慰めなのか、事実なのか。
たぶん両方なのだろう。
「そうそう。ライルには後で戦利品を鑑定してもらって、それでぜんぶ担いでもらうんだ。ここで消耗されちゃ、こっちが困る」
アッシュが軽口を取り戻してにやりと笑う。
張り詰めていた空気がそれでいくらか緩んだ。
「ねえ、この獣、見て見て。鱗の並びがやっぱり面白い」
「ヴェラ、倒したばかりの獲物に張りつくのはやめな。血がつくよ」
ヴェラの好奇心をイングリッドが呆れ半分でいなす。
いつもの光景だった。
ついさっきまで牙を剥いていた相手を前にもう軽口が飛び交っている。
肝の据わった連中だと思う。
そして、その輪の中で、自分だけがまだ少し息を詰めていた。
倒した獣を鑑定する。
鱗が魔道具の触媒に使える上物だと分かった。
「ライル、それ、金になりそうか」
「ああ。いい触媒になる。四匹ぶん、全部剥いでいく価値はある」
「よし聞いたね。ライルがそう言うなら間違いない。手分けして剥ごう」
イングリッドの一声で皆が獣に取りかかった。
こういうとき、自分の見立てはちゃんと信じてもらえる。
戦えなくても、そう、せめてこの目だけは。
誰かが倒した獲物を金に換える。
前で戦えないぶんを、その後で埋める。
それがいつもの自分のやり方だった。
目立たない、派手さはない。
けれど、この流れが止まればパーティーの稼ぎも確かに細る。
そう思うことで胸の軋みにそっと蓋をした。
「よし、粗方片づいたね。この奥、もう少しだけ覗いて、そしたら引くよ」
イングリッドが灯りの先へ目をやった。
獣の出た先は、たいてい別の通路が続いている。
旧街道の名残ならまだ何か眠っているかもしれない。
その"もう少し"がいつもの冒険者の欲でもあった。
獣の死骸を越えてさらに奥へ。
通路はこれまでより明らかに古びていた。
掘っただけの坑道だった壁が、いつのまにか、きちんと積まれた石組みに変わっている。
「この造り……ずいぶん昔の街道の名残かな」
ヴェラが壁を撫でながら呟いた。
旧街道のいちばん古い区画に踏み込んだのかもしれない。
その通路を抜けると、ぽっかりと開けた空間に出た。
円い広間だった。
天井は高く、床にはうっすらと苔むした石畳が敷かれている。
中央には円を描くように古い石の枠のようなものが埋め込まれていた。
妙な造りだった。
苔と汚れに埋もれてはいるが、石の継ぎ目がやけに精緻に見える。
こんな廃道の奥にこれほど手の込んだものが残っているとは。
つい、鑑定を向けてみた。
────────────
【鑑定】古い石の枠
種別:不明。
来歴:古い。
価値:不明。
────────────
返ってきたのは、それだけだった。
これほど手の込んだ造りなのに、種別すら掴めない。
「なんだろ、これ」
ヴェラが灯りを近づけ、床の石枠に見入る。
好奇心がまた頭をもたげたらしい。
「あんまり踏み込むな。古いもんは、崩れやすい」
ゴードンが窘めた、そのときだった。
地の底から、低い唸りが這い上がってきた。
最初は、遠い雷のように。
それが、みるみる近く大きくなる。
足元の石畳ががたがたと鳴り始めた。
「地震だ——!」
ヴェラが叫ぶ。
揺れはこれまで感じたどれとも違った。
立っていられないほどの大きな縦揺れ。
天井から砂と小石がばらばらと降り注ぐ。
「退くよ! 来た道へ——」
イングリッドが叫ぶ。
だが、足元がまともに定まらない。
揺れは収まるどころか地の底から突き上げるように激しさを増していく。
「固まるな! 広間の真ん中は崩れが——」
ゴードンの声が途中で途切れた。
床の石枠が青白い光を帯び始めていた。
苔の下から滲み出すように、円が、線が、次々と光を灯していく。
それはもうただの石枠ではなかった。
複雑な紋様が床一面に浮かび上がり、広間を昼のように照らし出す。
逃げ場を探して足を止めた誰もが、その光に射竦められた。
紋様は、いまや広間の隅々にまで広がっている。
冷たい光が足の裏から体の芯へと這い上がってくるようだった。
「——退け! みんな、離れろ!」
叫んだのは、アッシュだった。
だが、その彼も光に縫い留められて動けていない。
いつもの読みも勘も、この光の前では何ひとつ役に立たなかった。
「なに、これ……なに、これ!」
ヴェラの声が上ずっていた。
地脈がどうの、と続けかけて——その先は、轟音にかき消される。
光が渦を巻いた。
足元の石畳がまるで水面のようにぐにゃりと歪む。
次の瞬間、体を支えていたものがすべて消えた。
白い光のなかへ、体だけが吸い込まれていく。
誰かの手を掴もうと伸ばした指先がむなしく空を切った。
「みんな——!」
自分の声も、光に呑まれた。
視界が白に灼かれる。
上も下も分からないまま、体だけがどこかへ引きずられていく。
やがて、その白い光がゆっくりと晴れていった。
初日は4話連続掲載でしたが、これで本日の投稿は最後になります。
そしてプロローグもここで終了となります。
明日からは第一部の開始で、4話連続掲載の予定になっています。
投稿は12時、15時、18時、21時の予定となっています。
今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、
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