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アイテム鑑定士は頑張ってます ― 地図のないダンジョンからの脱出  作者: 智信
過去

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第38話 セレスト

「もう誰も覚えていない、遠い昔の物語だ」

—— 忘却の三千年

 その場所を覚えている者は、もうどこにもいない。


 そこは地の底。

 青く、白く、静謐な光に満たされた祈りの神殿。

 その最奥に据えられた石の棺の中で一人の娘が眠っている。

 それは三千年もの長き眠り。


 彼女が何者であったのか。

 なぜそこに眠るのか。

 何を願って、自らをこの地の底へと閉じ込めたのか。

 ——それを知る者は、今の地上にはもうただの一人も残っていない。


 だが……忘れられたということは、無かったということではない。


 これは忘れられた一人の"聖女"の物語である。

 いや——セレスト、という名を持っていた、一人の少女の物語。

 もう誰も覚えていない、遠い昔の物語だ。


---


 三千年前。


 この世界——エルドラウズには、一つの古い王国があった。


 しかし、王国は長く続いた分だけ、内側が取り返しのつかないほどに腐りきっていた。

 それは、王も、神殿を束ねる者たちも、みな同じであった。

 民の暮らしになどとうに関心を失っていた。


 そんな王にも満たされていないものがあった。

 それは……己こそが正しいのだという揺るぎない証だった。

 "女神に選ばれた、正統なる王"

 そう名乗るために王は禁じられていた古い術に手を伸ばした。


 召喚の儀。


 女神の遣わす"聖女"を異界よりこの地へ降ろすという秘儀。

 もし本当に聖女を降ろせたなら。

 それは王が女神に選ばれた証となる。


 そして神殿も"聖女"という存在を自身の正当性として渇望した。

 "聖女"を召喚できること、そのことこそが神殿の正当性のもっともな証だと。


 二つの欲望が重なった時、その術は不幸にも、成ってしまった。


 地脈の力のすべてを注ぎ込んだ召喚陣が発動し、召喚の間を、白い光が満たした。

 そして、その光の中に——一人の娘が立っていた。


 どこか遠い別の世界から。

 わけも分からぬまま引きずり出された、ただの一人の娘が。


---


 その娘——セレストには、何が起きたのか分からなかった。


 ついさっきまで彼女は自分の世界にいた、普通の日常を送っていた。

 それが、まばゆい光に呑まれた次の瞬間には、見知らぬ、この荘厳な召喚の間に立っていたのだ。


 居並ぶきらびやかな衣の者たち。

 ひざまずき、口々に聞いたこともない言葉で彼女を讃える声。


『聖女様』

『女神の御使い』

『我らの証』


 彼らはセレストに名を尋ねることなく『聖女』と彼女を呼んだ。

 役割だった。

 彼女という一人の人間を覆い隠す欲望に彩られた仮面だった。


---


 聖女は飾り立てられた。


 最も美しい衣を着せられ、最も高い座に据えられ、人々の前に掲げられた。

 "見よ、我らは女神に選ばれた"と。

 その動かぬ証として。


 彼女は言葉の分からぬまま、ただ微笑むことだけを求められた。

 問われることは何もなかった。

 異界で彼女がどんな娘であったのか。

 何を好み、誰を愛し、どんな日々を、どんな気持ちで過ごしていたのか、そんなことに関心を持つ者はただの一人もいなかった。


 聖女は正しく道具だった。

 王の正しさと神殿の正しさを飾るための、生きた装飾品であった。


---


 だが、セレストは愚かではなかった。


 言葉は周りを観察し続けることで覚えた。

 覚えてしまえば見えてくるものがあった。


 自分を召喚した者たちが、自分を掲げている者たちが、どれほど腐っているかを。

 その足元で民がどれほど飢えているか。

 女神の名は、ただ彼らが民を踏みつけ続けるための体のいい道具でしかないことを。


 自分は、彼らの欲望を覆い隠すために呼び出されたということを。


 彼女を絶望が覆い尽くした。

 帰る術はない。

 異界から無理やり引きずり出されたこの身が、日ごとに重くだるくなっていくのも感じていた。

 もう長くは生きられまい、そう悟ってもいた。


 ——けれど。


 セレストはうつむかなかった。


 彼女は本当にただの娘だった。

 女神の御使いなどではない。

 だが、ただの娘であったとしても、意思はある。

 そして感情もある。

 そう、怒りがあった。

 そして、その心の奥底に、決して譲れぬ誇りがあった。


 こんな彼らのために利用され続けてたまるものか。

 自分の名は"聖女"ではない。


---


 抗いは静かに始まった。


 彼女は見続けていた。

 誰がこの腐敗を憎んでいるか。

 どこに消えぬ火がくすぶっているか。


 やがて彼女は彼らと繋がった。

 王の独裁に声を上げようとする者たち。

 神殿の独善に声を上げようとする者たち。

 名もなき革命の徒。


 その、名もなき者たちの側に——"聖女"が、立とうとしていた。


 女神に選ばれたはずの聖女が、王にではなく、神殿にでもなく、民の側に立つ。

 それは、王の正しさ、神殿の正当性、その根本を断ち切る一撃だった。


 彼女は自分に被せられていた欲望に彩られた仮面を脱ぎ捨てた。

 そして、その仮面を、仮面を被せていた彼らへと突きつける刃に変えてみせたのだ。


---


 王は倒れた。

 神殿は信心を失った。


 己の正しさを誇るために聖女を降ろした者たちは。

 その聖女自身の手によって、正しさの根本を絶たれ崩れ去った。


 腐敗した時代が終わる。


 だが、その勝利の中でセレストはすでに限界を迎えていた。

 勝利を見届けるようにして、彼女の命は、静かに燃え尽きようとしていた。


---


 死の床で、セレストは一つの事実を知らされた。


 あの召喚の儀。

 自分をこの世界へ引きずり出した、あの忌まわしい術の根幹である召喚陣は、完全には壊せないというのだ。


 地脈の力を集めたそれは、あまりに深く、あまりにも強固に、あの場所に定着してしまったのだ。

 打ち砕こうとすれば、地脈が荒れ狂い、この地を丸ごと呑み込みかねない。


 この召喚陣がある限り、いつかまた己の欲望を満たそうとする誰かが召喚の儀を行うだろう。

 そして、またどこかの世界から、名も知らぬ娘が、あるいは少年が、自分と同じように引きずり出され、飾られ、すり潰されるのだ。


 ——それだけは。


 薄れゆく意識の中でセレストは思った。


 それだけは二度とあってはならない。


---


 彼女は最後の願いを遺した。


 "召喚の陣を封じてほしい"と。


 外から内へは決して通さぬように。

 もう二度とこの世界に異界の者を呼び込めぬように。

 そしてその封印の要には——この自分の亡骸を使うように、と。


 異界より来た聖女の身は地脈の力と深く親和性がある。

 その亡骸を核として据えれば、封印は永く保たれる。

 一方通行の決して破られぬ閂として。


 賛同する者たちは涙ながらにその願いを受け容れた。


 彼女が亡くなった。

 石の棺が用意された。

 地脈のすべてが集う召喚の間にそれは据えられた。

 そして、彼女の亡骸を要として、封印が施された。


 石の棺にはその言葉が刻まれていた。


 "二度と、私のような者が、生まれませんように"


 それは聖女の荘厳な神託などではなかった。

 一人の少女のありふれた、けれど譲れなかったたった一つの祈り。

 セレストという名の娘が、この世界に遺した最後の言葉だった。


---


 賛同者たちは一つだけ彼女の願いに背いた。


 召喚の間を開くために必要な品の中に、女神を象った小さな石の像があった。

 本来なら封印を完全にするためにも、砕かれるべきものだった。

 召喚の間も、聖女の棺も、すべて封印されてこそ彼女の願いは完遂される。


 だが、彼らはその像を砕けなかった。


 あの娘の抗いを。

 その誇りを。

 この世界から完全に封印してしまうことに——彼らはどうしても耐えられなかった。


 だから、彼らは像を砕く代わりに、その像を、誰も訪れることのないこの部屋の奥深くに隠した。

 もしも誰かがこの地の底に辿り着くことがあったなら……

 そして、その者がこの像を手がかりに封印の手順を読み解き聖女の棺を見つけてくれたなら……

 いつかの遠い遠い未来に、その希望を託して……


 封じられ、忘れられることを望んだ、セレストの願い。

 その名を完全には消したくないという賛同者の未練。

 その二つの相容れぬ思いが、一つの隠された女神像に託された。


---


 そして——時が、流れた。


 聖女の物語は人から人へと語り継がれた。

 そして、少しずつ擦り切れていった。


 百年で、彼女の名前が、忘れられた。

 千年で、彼女の抗いが、忘れられた。

 そして三千年で——彼女の存在すら、忘れられていた。


 セレスト。

 その名を呼ぶ者も、その存在を覚えている者も、もう一人もいない。


 残ったのは、ただ地の底で封印を続けている聖女の棺。

 そして、隠された一体の女神像だけ。


 彼女の願いは叶った。

 この召喚の間は、完全に忘れ去られたのだ。


---


 三千年のあいだ、封印は静かにその務めを果たし続けた。

 この封印の地へ辿り着けぬよう、魔法陣を内から外への一方通行に正しく保っていた。

 だが、どれほど精緻な仕組みも、三千年という時の前では無力だった。

 その封印を支えていた器具の要——鍵が少しずつ蝕まれていた。


---


 その日、大きな地震が起きた。

 三千年、耐え続けてきた鍵が、その震動でついに砕けてしまった。


 鍵を失った器具は、地脈の流れを制御する力そのものを失った。

 制御を失った地脈の流れは荒れ狂った。

 そして、その荒れ狂った地脈は、魔法陣を反転させた。

 内から外への一方通行であったはずのそれが。

 制御を失い——外から内への一方通行に反転したのだ。


 今、この魔法陣は、地上に繋がるその出口の一点から、居合わせた者を内へと引きずり込もうとしていた。


---


 その名を、誰も覚えていない。

 その抗いを、誰も覚えていない。


 けれど、一人の少女が確かにいた。


 利用され、飾られ、すり潰されそうになりながら……

 それでも、諦めず、誇りを手放さず……

 最後の最後まで抗いぬいた一人の少女が……


 セレスト。


 これは、そんな忘れられた聖女の、誰にも知られることのない、けれども確かにあった、一つの物語である。

これにて本作は本当に終了となります。

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。


投稿6作目で、鑑定スキルを使ってみた脱出型の構造ミステーに挑戦してみました。

鑑定ということもあり、ヒントも難しいものになってしまったかもしれませんが、どうでしたでしょうか?

少しでも、面白い・気になったと思ってもらえる作品となっていれば嬉しい限りです。

今後の参考になりますので、評価・ブックマークで応援いただけると嬉しいです。


そして、「冒険者はあきらめない」シリーズの第7弾として新作の連載がはじまっています。


 「愛を弔う館 ― 閉じ込められた四人」

 https://ncode.syosetu.com/n9783mq/


新作の方も引き続き応援していただけると、とても嬉しいです。

どうぞよろしくお願いします。

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