第37話 生還
坑道を抜けて外へ出た。
三日ぶりの外の世界は、どうということもないいつもの景色だった。
剥き出しの街道。
丈の高い草。
なのに、そのなんでもない景色が、どうしようもなく色鮮やかで懐かしかった。
ゆっくりと歩いて戻っていった。
誰も多くは語らなかった。
北門をくぐりケルウィックの街に入ると、あちこち灯りが目に染みた。
そして——ギルドへの報告は明日に回してでも、五人の足は自然といつもの酒場へと向かっていた。
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「——生きて、帰った! それで、上等だ! 今夜は、飲むよ!」
イングリッドがなみなみと注がれた木のジョッキをどんと掲げた。
「「「「乾杯!」」」」
五つのジョッキがぶつかり合う。
その粗末な木のぶつかる音が、今の自分たちにはどんな祝いの鐘よりもありがたく響いた。
大した稼ぎにはならないだろう。
あの神殿からは金目のものなど一つも持ち帰れなかった。
拾い集めた金具など、確かに記号は珍しいが、ただそれだけのもの。
二束三文にもならないだろう。
あとはグレンモア回廊で集めたいくつかの品だけ。
そんな些細な収入など、今晩で使い切ってしまうだろう。
だが——誰もそんなことは気にしていなかった。
生きて帰れた。
それが何よりの稼ぎだったのだから。
「しかしさ」
しばらくして、ヴェラがジョッキを置いてぽつりと言った。
その目にはもういつもの好奇心の色が戻っていた。
「ウチ、ずっと、考えてたんだけどさ。……あそこ、いったい、なんだったんだろうね」
「なんだったって……」
アッシュが串焼きを頬張りながら首をかしげる。
「意味の分からねえ、とんでもねえ、迷宮。それ以上でも、以下でもねえだろ」
「ううん。ちがうよ」
ヴェラは身を乗り出した。
「あそこ、たぶん……聖女様を呼び出すための場所、だったんだよ。あの白い光の部屋。地脈の力が、あそこに集まってた。……あんなの、そうそう造れるものじゃない」
「……聖女の、召喚の、祭場か」
ゴードンが太い腕を組んだ。
「そして……あの石の棺」
ヴェラが静かに続けた。
「あれは、その、聖女様の……お墓。……そして、聖女様は、自分の亡骸を使って、あの場所を、封じてた。……ライルの、鑑定の結果が、正しければ、だけどね」
「ああ」
自分はうなずいた。
「あの棺には、こうあったと鑑定した。……"二度と、私のような者が、生まれませんように"、と。……あの人は、自分の身を封印の要にして、あの場所を封印したんだ」
しばらく誰も口をきかなかった。
賑やかな酒場のざわめきの中で、その卓だけが一瞬だけぽつんと静かになった。
「……とんでもねえ所に、飛ばされちまったもんだよな、おいらたちは」
アッシュがふうと息を吐いた。
「聖女様の、お墓の中に、な」
「まったくだ」
イングリッドが苦笑してジョッキを傾ける。
それからその視線がふと自分のほうへと向いた。
「でもさ、ライル」
「……ん?」
「あそこであんたの鑑定がなかったら」
イングリッドの声はいつになく真っすぐだった。
「あたいたちは、今ごろ、あの地の底で干からびてた。……ぜんぶ、あんたが、読み解いてくれたから、帰ってこられたんだ」
「……いや、自分は」
「謙遜は、なしだ」
イングリッドがぴしゃりと遮った。
「あたいは剣は振れる。ゴードンは盾を持てる。アッシュは先を切り開ける。ヴェラは魔法を使える。……でも、それだけじゃダメだ。……あたいたちを、導いているのは、あんたのその鑑定だよ」
そしてイングリッドはまっすぐに言った。
「あんたはあたいたちの立派な戦力なんだよ、ライル。……そう、とっくの昔から、そうだったんだよ」
喉の奥がぐっと詰まった。
前で戦えない、鑑定するだけの地味な裏方。
誰かに弾き出されたわけでもないのに、戦いの輪の中に自分の役割だけがない。
そう思い込んでいた。
だが——違ったのだ。
この鑑定が、いや、自分もちゃんとこのパーティーの戦力だった。
「……ありがとう」
やっとそれだけを口にした。
柄にもなく声が震えていた。
「けどな、イングリッド」
自分は顔を上げて言った。
「あの最初の部屋の魔法陣に、気づいたのは、あんただ。……あれがなかったら、自分の鑑定の出番はなかった。……あれは、あんたの、手柄だ」
「……あたい?」
イングリッドがめずらしくきょとんとした。
「あたいは、ただ、思い出しただけだよ。……学の、ない、あたいは覚えるしか、できないからね」
「学は関係ない」
自分ははっきりと告げた。
「鑑定士の自分でも思い出せなかった、見落としていた。……あれは、ちゃんとした洞察だ。……学があろうと、なかろうと。……あんたの、あの一言が、自分たちを、救ったんだ」
イングリッドはしばらく黙っていた。
それから——照れ隠しのように乱暴にジョッキを呷った。
その耳がほんのり赤かった。
「……ふん。調子の狂うこと、言うんじゃないよ」
「ウチも! ウチも、役に立ったよね!?」
ヴェラが勢いよく割り込んできた。
「地脈が乱れてるの、気づいたの、ウチだもん! あれ、けっこう、すごくない!?」
「ああ。記号もそうだが、ヴェラのあれがなかったら、帰ってこれなかったな」
自分がそう言うと、ヴェラはえへんと胸を張った。
「……なあ」
と、それまで静かだったゴードンがアッシュにジョッキを向けた。
「あのとき……おれが、膝を、ついたとき。……お前が、引き止めて、くれたな」
ゴードンの声がわずかに掠れた。
「情けない話だ。……いちばん年上の、おれが。……いちばん先に、折れちまうとは、な」
「よせやい」
アッシュがひらひらと手を振った。
「あれで折れねえやつのほうが、どうかしてる。……おいらだって、内心じゃとっくに泣きべそだったさ」
それはいつもの飄々とした軽口。
だが自分は知っている。
あのときこの男がどれほど必死だったかを。
崩れかけたパーティーを、たった一人、その言葉だけで繋ぎ止めたことを。
「……ありがとうな。アッシュ」
ゴードンが深く頭を下げた。
「おう」
アッシュはばつが悪そうに鼻の頭を掻いた。
それから、ぽつりと、いつもより少しだけ落ち着いた声で伝えてきた。
「……おいらは、ただ。……この五人が、バラバラになるのだけは、見たくなかった。……それだけ、さ」
その一言に、この男が背負ってきた何かの影が、ちらりと覗いた気がした。
だが誰もそれ以上は訊かなかった。
訊かなくてもいい。
今はこうして五人揃っている。
パーティーが全員揃っている。
それだけで十分だった。
「しかし——」
ゴードンがジョッキの縁を指でなぞりながらぽつりと言った。
「結局、おれたちが、あそこで、やったことは、なんだったんだろうな」
「言われてみりゃ、そうだねえ」
ヴェラがくすりと笑った。
「壊しに行ったわけでも、盗みに行ったわけでも、ない。……ただ、帰り道を探して、戻ってきただけ。行き方すらわからない、ままだ」
「でも、行き方がわからなきゃ、だれも閉じ込められないよ。それに、行き方がわからなきゃ……聖女様も、ね」
ヴェラはジョッキの中をそっと覗き込んだ。
「また、静かに眠れる。きっとそうなると、いいけどね」
自分はなぜだろう——その言葉に、ほんの一瞬、胸の奥があたたかくなるのを感じた。
あの地の底で、たった独り、気の遠くなるほどの時を眠り続けている人。
その眠りを自分たちはほんの少し乱してしまった。
それが正しいことだったのかどうか、自分には分からない。
ただなんとなく、あの人も悪い気はしていないんじゃないか、そんな気がしていた。
もっとも、それはただの勘のようなもの。
あの人の本当の思いなんて、自分たちが知ることは、たぶん、ない。
「——さあて!」
イングリッドがその湿っぽくなりかけた空気を断ち切るように、大きく伸びをした。
「湿っぽい話は、おしまい! 今夜は、生きて帰った祝いだ! 飲んで、食って、寝る!」
「そうこなくっちゃな!」
アッシュがにっと笑う。
「けど、次は、頼むぜ、リーダー。……崩落もなけりゃ、聖女様の墓もない、平和な稼ぎ場に、しておくれよ」
「あたいもそう願っているよ」
イングリッドが肩をすくめて笑った。
その笑い声が賑やかな酒場のざわめきに溶けていく。
この三日間、あんな場所にいたとはもう思えないほどに、日常が戻ってきていた。
自分はそっと手の中のジョッキを見つめた。
諦めなければ。
五人で、力を合わせ、知恵を絞れば。
きっとまたこうして帰ってこられる。
それを、この三日間で、確かに知ったのだ。
——賑やかな夜はまだ続く。
本編はこれにて終了となります。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
……っが、実はまだあと1話あります。
よろしければ、ぜひそこまでお付き合いいただければ幸いです。
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「愛を弔う館 ― 閉じ込められた四人」
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