第32話 棺
門の奥には下りの階段が続いていた。
ヴェラと自分の灯りを頼りに、その石段を降りていった。
灯りで照らされた壁には数え切れないほどの彫刻が彫り込まれ、石段は欠けることなく、整然さを保っていた。
彫刻は、どれも、古い時代の、荘厳な意匠だった。
祈りを捧げる、大勢の人々の姿。
天へと、両手を差し伸べる、一人の女性の姿。
そして、あの、見慣れた記号の数々。
誰かが丹精を込めて、この石段の一段一段にまで、彫り込んだのだ。
ここが、ただの地下道ではないということを。
その彫刻の一つひとつが、静かに、告げているようだった。
その静謐で重厚な雰囲気に、一段降りる毎に、空気が冷たく、そして重くなっていく。
背後で開いたままの門が、いつの間にか小さくなり、青白い光が少しずつ遠ざかっていった。
一段、また一段と、地の底の、さらに底へと降りていく。
自分たちがこの三日間、彷徨ってきたあの迷宮よりも、もっと古く、もっと深い、どこかへ。
石段には、塵も砂埃も、踏み跡さえもなかった。
清らかでありながら、人とは異なる世界であるようだった。
そして、その石段は、ただ静かに奥へと続いている。
どれほど、降りただろう。
灯りの届く先には、ただ果てのない闇と延々と続く石段があるばかり。
自分たちの足音だけが、冷たい石壁に、こつ、こつ、と、反響していた。
誰も、口を開かなかった。
この場所の張りつめた静けさが、言葉を発することさえためらわせた。
ただ、灯りの輪の中を一歩ずつ降りていく。
その先に何が待っているのか。
確かめたい気持ちと、確かめるのが怖い気持ちとが、胸の中で静かにせめぎ合っていた。
やがて——石段が途切れ、扉が現れた。
今まで壁に施されていたものとは一線を画すほどの装飾の施された扉。
その一枚が、静かに行く手を閉ざしていた。
自分たちはその扉の前で足を止めた。
誰もがすぐには手を伸ばせなかった。
「……ここが、目的の場所か」
自分は、小さく、けれど皆に聞こえるような声でつぶやいた。
鑑定士としての勘のようなものが告げている。
この扉の向こうに、この三日間のすべての答えがある、と。
「……ずっと感じていた、やばそうな感覚。……この先から、だったんだ」
隣でヴェラが両手で身を抱きしめていた。
その肩が小さく震えている。
「……ウチ、この扉の向こう、すごく、嫌な感じがするの。……冷たくて、静かで……なのに、その奥から、大きな力の気配が、するの」
「おいらも……なんか、震えてきた」
アッシュが苦笑いしながら己の手を見つめた。
その指先が確かにわずかに震えている。
「まいったな。……こういう、しんと静まった場所は、どうにも、性に合わん」
「……だが、進むしかないからな」
ゴードンが自分に言い聞かせるように力強く言った。
「ここまで来て、引き返す道は、ない。……何が、待っていようとな」
「そう、だな。……いくぞ」
イングリッドが深く息を吸った。
そして、覚悟を決めて、その扉に手をかけ、ゆっくりと押し開けた。
その瞬間——光が、溢れ出してきた。
そこは、広い円形の空間だった。
真っ白な光が一面を覆っている。
床には、大きな円い紋様が一面に刻まれていた。
いくつもの環と無数の記号が複雑に絡み合った、巨大な陣。
その中心に……ひときわ大きな石の棺が、一つ据えられていた。
そして、その空間は、ひどく恐ろしいほどの静寂に支配されていた。
この静けさの前では、自分たちの荒い息づかいさえひどく場違いに響いていた。
自分たちは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
この異様な空間を前に、五人が五人とも言葉を失っていた。
これほどの空間が、この地の底にずっと隠されていた。
三日間、必死に出口を探して彷徨い続けてきた、その奥、その下に、こんな荘厳な墓所が存在していた。
その事実が、まず自分たちを圧倒した。
自分は鑑定士として直感していた。
この場所はただの部屋ではない。
これまで見てきたどの広間とも、どの小部屋ともまるで違う。
ここには、何か——途方もなく重い"意味"が眠っている。
「……全員、勝手に動くな」
イングリッドが押し殺した声で言った。
その目は油断なく、この広間の隅々までを探っている。
「罠か、何か、あるかもしれん。……何かいる、って気配は、ないが。……だからこそ、用心しろ」
だが、そのイングリッドの声にも、隠しきれない畏れのようなものが滲んでいた。
罠を警戒しながらも、この場所の只ならぬ気配に、リーダーである彼女ですら気圧されている。
ゴードンは床の陣と中央の棺をじっと見つめていた。
そして、太い腕を静かに組む。
「……墓、だな」
ぽつりとそう言った。
「こいつは、墓だ。……誰かを、丁重に、葬った場所だ。……長え間、誰にも、暴かれずに来た墓、だ」
数えきれぬほどの死地をくぐってきた男だった。
その男の声が、この地の底の墓を前にしてわずかに沈んでいた。
アッシュは何も言わなかった。
この三日、どんな絶望の淵でも無理にでも笑ってみせたあの男が。
いつもなら、こういうときこそ軽口の一つも叩くはずの男が。
今はその軽口をどこかへ置き忘れてしまったように。
ただ唇を固く結んで押し黙っている。
その沈黙がかえってこの場所の重さを物語っていた。
そして——ヴェラが小さく身を震わせた。
「……ここ、変だよ」
その声は掠れていた。
「地脈からの力が……この部屋に、渦を巻いてる。……あの泉のときより、ずっと、強い。……ぜんぶの流れが、この、真ん中に……あの、棺に、吸い込まれてる、みたいなの」
ヴェラの顔は青ざめていた。
地脈を肌で感じ取れるこの娘にしか分からない、何か。
それがこの部屋には満ちているのだ。
地脈の力が棺に。
その言葉に、自分はあらためて中央の石の棺へと目を向けた。
人の背丈ほどもある大きな石の棺。
その表面には、この世の美を尽くしたような装飾が施され、丁重に据えられていた。
自分はゆっくりとその棺へと歩み寄っていく。
冷たい空気が肌を撫でた。
一歩近づくごとに、その静けさがまるで重さを増していくようだった。
「……待って、ライル」
背後からヴェラが追いついてきた。
そして……棺の側面を指さす。
「これ。……見て。……ここに、記号が、彫ってある」
言われて、自分は初めてその場所に目を向けた。
——確かに、あった。
装飾に隠れるように、棺の側面にいくつもの記号が刻まれている。
幾度も目にしてきたあの記号たちが刻まれていた。
「……ヴェラ、よく気づいたな」
「だって、ウチたち、さんざん、これを読んできたんだもん。……こういうの、目が、勝手に、探しちゃうの。それに、魔法使いの勘、というか、ささやき、というか、そういうのもあるんだよ」
はにかみながら告げるヴェラを横目に、その記号にしっかりと視線を固定した。
石碑を読み解いた今の自分になら、これも、きっと読める。
自分は静かに鑑定をかけた。
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【鑑定】記号の刻まれた石の棺
種別:石で造られた、大きな棺。ひどく古い。
容量:一体の亡骸が、納められる。
記号:側面に、記号が刻まれている。「異界より来たりし者」「人々のために、祈りし者」「聖女」。
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自分は、息を、呑んだ。
「……これは」
乾いた唇から、その言葉がこぼれる。
「聖女の……棺だ」
「聖女?」
ヴェラが目を見開いた。
「聖女、って……異界から呼ばれて、みんなのために、祈るような……あの、聖女?」
「ああ」
自分はうなずいた。
「この記号は、そう言ってる。……"異界より来たりし者"、"人々のために、祈りし者"、"聖女"。……その人の、亡骸が、この中に、眠ってる。……ここは、遠い昔に召喚された、一人の聖女が、葬られた場所なんだ」
誰も、しばらく何も言えなかった。
冷たい静寂が、この円形の空間に重く垂れこめている。
「聖女様の、墓……」
イングリッドが低い声で繰り返した。
その声に、先ほどまでの警戒は、もうなかった。
ただ、深く、静かな驚きと——そして、畏敬だけがあった。
「そんな、尊いお方が。……なぜ、こんな、地の底に、独りで」
その問いに答えられる者は、いない。
聖女。
この誰もいない地の底に、たった独りで眠り続けてきた人。
いったいいつの時代の誰なのか。
なぜこんな場所に封じられるように葬られているのか。
問いばかりが次々と胸の底に湧いてくる。
分かるのは、ただ一つ。
遠い昔、聖女と呼ばれた人物が、この棺の中に納められ、そして、ここに葬られたということ。
その事実の重さだけが、静かに五人の胸にのしかかっていた。
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