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アイテム鑑定士は頑張ってます ― 地図のないダンジョンからの脱出  作者: 智信
第三部

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第26話 三日目

 眠りから覚めたとき、自分は最初にそれを感じた。


 体の芯に力が戻ってきている。

 浅い眠りであっても、一晩休息したことで、力が回復していることを感じた。


 泉の底の淡い光は変わらず静かに揺れている。

 その光の加減に変化はない。

 だから実際にどれだけの時間が経過しているかは分からない。

 だが体の感覚が告げていた。

 ——三日目の朝だ。


 めいめいが身を起こす。

 誰も、おはよう、とは言わなかった。

 言葉にせずとも全員が同じことを分かっていた。

 今日で決まる。


「……起きたな」


 イングリッドが皆を見回して低く言った。

 その声には昨夜の弱さはもうなかった。


「今日が正念場だ。しっかりと腹に入れておけ」


 残り少ない携行食、それを二食分に分け、その一食を分けあい、めいめいが口に運ぶ。

 皆が食べ終わったころ、ゴードンが全員を見渡して、告げた。


「……次が最後の一食になる」


 その太い指を握った。

 沈黙が響き渡る。

 しかし、誰も絶望はしていなかった。

 やるべきことを、できることをやる。

 その思いが、全員の瞳に宿っていた。


 イングリッドが立ち上がった。


「行くぞ。……戻る先は、決まってる」


「……あの石碑、だね」


 ヴェラが静かに応えた。

 その声にはまだ細い震えが残っていたが目はまっすぐ前を向いていた。


「ああ」


 イングリッドがうなずいた。


「あたいたちが、まだ何も掴めていない場所。……この二日で手に入れたものが本物なら、今度こそ、あれから何かを得られるはずだ」


 自分たちは泉に背を向け、来た道を戻り始めた。


 薄暗い通路を灯りを手に一歩ずつ進む。

 行きに感じた期待感は、もうない。


「妙なもんだな」


 先頭を歩くアッシュが、地図から顔を上げずに言った。


「初めて通ったときは、この通路が、迷路みたいに見えた。……今は、ただの一本道だ。同じ場所なのにな」


「それだけ、あたいたちが、この場所を知ったってことだ」


 イングリッドが応える。


「知らない場所は、迷路に見える。知れば、地図を作れる。地図があれば正体が分かる。……石碑も、同じかもしれん」


 その言葉に自分は小さくうなずいた。

 読めない記号はただの壁の装飾だった。

 だが、読めるようになれば——それは意味を教えてくれる。


 ゴードンだけは、時折、後ろを振り返っていた。

 自分たちが歩いてきた暗い通路のその奥を。


「……ゴードン?」


「なんでもない」


 低い声だった。


「ただ、時間を、数えてただけだ。……無駄にできる時間は、もうない」


 その言葉に誰も何も言い返さなかった。

 返す必要もなかった。

 残された時間の少なさは、全員が全身で感じている。


 深く眠れない夜、満たされない食事、溜まる疲労……一歩ごとに自分の身体と心が確実に削れていくのが分かった。

 それでも足を止める者はいなかった。

 止まればそれこそ時間を無駄に捨てることになる。

 誰もがただ前だけを向いて歩いた。

 その沈黙は昨夜の絶望に沈んだ沈黙とは違っていた。

 ——今日で決める。

 その覚悟が言葉のかわりに皆の足取りを支えていた。


 幾つもの三叉路を越え、やがて——通路の先が明るくなった。


 薄暗がりが少しずつ退いていく。

 行く手からあの青みがかった光が静かに溢れてくる。

 そして、通路が途切れ視界が開けた。


 あの広間だ。


 地の底とは思えないほど天井が高く広い。

 どこからともなく降りそそぐ青い光がその空間を変わらず厳かに照らしている。

 崩れかけた通路や小部屋とは違い、この広間は変わらず傷ひとつなく、そのまま保たれていた。

 昨日と何も変わらない。

 時に忘れられたような、静かに保たれ続けてきた場所——。


 その奥に変わらずにそれは立っていた。


 石碑。


 人の背丈をゆうに超える石の板。

 そこには無数の記号が隙間なくびっしりと刻まれている。

 初めてここに立ったとき、自分たちは何一つ読めなかった。

 このパーティーに行き止まりという現実を叩きつけた、あの石碑。


 だが……今は。


「……ライル」


 イングリッドが自分の名を呼んだ。

 その先は言わなかった。

 言う必要もなかった。


「ああ」


 自分は石碑の前に歩み寄った。

 この石碑にもう一度鑑定をかける。

 刻まれた記号の一つひとつをなぞるように。


────────────

 【鑑定】文字の刻まれた石碑

 種別:石碑。無数の記号が刻まれている。

 記号:「満ちる」「巡る」「固い」——などの記号が存在する。だが、並び全体は、まだ言葉として繋がらない。

 来歴:極めて古い。

 用途:不明。

────────────


 息を呑んだ。


 ——違う。

 あのときは、ただ「言葉としては読み解けない」の一言で終わっていた。

 石碑は、ただ古く、ただ黙して立っているだけの冷たい壁でしかなかった。

 だが今は、その壁の中から見知った記号を、いくつも鑑定で浮かび上がらせることができた。


 鑑定は、自分の知識にないものは、結果として返してくれない。

 あれから、探して、解析して、見つけて、覚えて、知識として蓄えてきた。

 その一つひとつが、今、鑑定の返す言葉を確かに押し広げていた。


 「満ちる」。

 「巡る」。

 「固い」。

 この二日、通路で、小部屋で集めてきた記号たち。

 それが、この石碑の中に確かに刻まれている。


 自分は静かに手を離した。


「……昨日までとは、見え方が、違う」


 自分の声が、わずかに掠れていた。


「読めない、のは、変わらない。……並び全体は、まだ、言葉にならない。……けれど」


 もう一度、石碑を見上げる。


「この中に、自分たちの知ってる記号が、いくつもある。……これは、何かを掴めるかもしれない」


「——ほんとに?」


 ヴェラが弾かれたように前へ出た。

 その瞳に消えかけていた光が一気に戻ってくる。


「どのあたり!?」


「これと、これ。それに、ここも」


 自分は石碑の面を指でなぞった。

 ヴェラがすぐ隣に並び、食い入るようにその記号を追う。


「……ほんとだ。これ、『満ちる』だ。……こっちは『巡る』」


「ああ」


 自分はうなずいた。


「こっちの、線が二本重なったのは……『固い』だ」


 自分は別の一画を指した。


「この隣のが——」


「『閉じる』」


 ヴェラが、後を引き取った。

 鑑定が示してくれた記号の箇所を、二人で石碑の上から下へとたどっていく。

 そのどれもが、この二日、暗い通路の中で一つずつ手にしてきたものだった。


「……変な気分」


 ヴェラが、掠れた声でつぶやいた。


「ウチたちが集めた記号が、ぜんぶ、最初から、ここにあったんだ。……この石碑に、ずっと」


 その声が震えていた。

 だが今度は絶望の震えではなかった。


「読める……読めるよ、ライル。ぜんぶじゃない。……でも、確かに、読める記号が、ある」


 その言葉に背後で誰かが小さく息をついた。

 張りつめていたものがほんの少しだけ緩んだ音だった。


「……なるほどな」


 アッシュが腕を組んで石碑を見上げた。


「二日、無駄に歩いてたわけじゃ、なかったってことか。……集めた記号が、ぜんぶ、ここに繋がってる」


「まだ、繋がっちゃいない」


 ゴードンが釘を刺した。

 だがその声は、いつもよりほんのわずかに柔らかかった。


「読める記号が、増えた。それだけだ。……並び全体が言葉になるまでは、まだ、遠い。時間も、ない。……浮かれるな」


「分かってる」


 自分はうなずいた。

 ゴードンの言うとおりだった。

 石碑の記号はいくつか読めるようになった。

 だが、それはまだばらばらの断片にすぎない。

 この無数の記号の並びがいったい何を伝えようとしているのか——それはまだ何も分かっていない。


 それでも。


 自分はもう一度、びっしりと刻まれた記号の壁を見上げた。

 この中に答えがある。

 自分たちがここから出るための、その道筋が。


 残された時間は、あと一日もない。

 だが、初めて光が見えた気がした。

 ——どう読む?

第三部、三日目がはじまりました。

今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、

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