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アイテム鑑定士は頑張ってます ― 地図のないダンジョンからの脱出  作者: 智信
第二部

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第25話 静かな決意

「食料は、明日の分で、ほとんど尽きる」

—— 死のカウントダウン

 その夜、自分たちは泉のほとりで身を休めていた。

 薄暗いその場所に、水の底の淡い光だけが変わらず静かに揺れている。

 腰を下ろし、めいめいが冷たい岩肌に背を預けた。

 地の底の冷気がじわじわと這い上がってくる。


 進んだ。

 地図は繋がり、手がかりの示す場所にもたどり着いた。

 用途の分からない品も収集した。

 ——なのに、出口だけがどこにもない。

 やれることは、やった。

 それでも、見つからなかった。

 その中途半端な行き詰まりが、ただの疲れよりもずっと重く心にのしかかっていた。


 どれほどの時間が経ったのか、希望のあとの絶望だっただけに、皆、力なく俯いている。


「……今日は、ここまでにしておこう」


 力なくイングリッドが告げた。

 その言葉に、全員、無言でうなずいた。


 収納バッグから野営の道具を取り出す。

 会話もなく、ただただそうするしかないとばかりに野営の準備を行う。


 そして、残り少ない食料も取り出す。

 乏しい携行食を、ほんの少しずつ、分け合って口に運ぶ。

 それが今夜の貧しい夕餉だった。


 ずっと無言だった。

 だが、その沈黙は、疲れて眠るための沈黙ではなかった。


 いつもなら、こんなとき真っ先に口を開くのはヴェラだった。

 どんな行き詰まりでも「でも、まだ何かあるよ」と、無邪気に前を向く娘。

 だがその娘でさえ、今夜は膝を抱えてじっと泉の光を見つめているだけだった。

 その横顔からは、いつものあの明るさが消えている。

 ——そのことが現実の重さを何よりも静かに語っていた。


 ゴードンが目を閉じて、静かに考えていた。

 それは残った食料を確認するようだった。

 やがて、その目が開いた。

 ——沈黙が終わった。


「……はっきり、言っておく」


 その声はいつもどおりの揺るがない低さだった。


「食料は、明日の分で、ほとんど尽きる。……水は、この泉のおかげで、どうにかなる。だが、腹のほうは、そうもいかん」


「……三日目、か」


 イングリッドが、何かを確認するように応えた。


「ああ。……だが勘違いするなよ。食う物がなくなった途端、ばたりと死ぬわけじゃない。だが、腹が減れば、力が出ない。頭も回らん。力も、戻りが悪くなる」


 ゴードンの視線が暗がりのその先へと向いた。

 自分たちが歩いてきたあの通路の方へ。


「……あの通路を、もう一度戻るんだ。だが、戻ったとして、その先に何があるか、わからん。あの崩落のような場所も、あるかもしれない。だから、万全でなきゃならん。つまり——動けるうちに、出口を見つけて、ここを出る必要が、ある。三日目が、その最後の日だ。それを過ぎたら」


 ゴードンはそこで言葉を切った。

 その先を口にはしなかった。

 ——それを過ぎたら、この暗闇に閉じ込められて終わる。

 言わずとも誰もがそれを分かっていた。


 いつもならこういう現実をゴードンは微塵も揺らがずに告げる男だった。

 だが今夜は……その太い指を、ほんの一瞬強く握りしめたのを、自分は見た。

 この誰より肝の据わった年長の男でさえ。

 その小さな綻びが、かえって事の重さを静かに突きつけてきた。


「……はは。まいったね、こりゃ」


 重い沈黙を破ったのは、やはりアッシュだった。


「せっかく、水だけは飲み放題の、上等な隠れ家を見つけたってのにな。宿代も取られない。……のんびり長居、ってわけにも、いかないか」


 軽口を飛ばす。

 いつもならその一言で張りつめた空気がふっと緩むはずだった。

 だが今夜は……誰も笑わなかった。

 いや——アッシュ自身が笑いきれていなかった。

 その口の端は確かに笑みの形をしていたが、目だけは少しも笑っていない。

 いつもこの場を明るく照らしてきた男の軽口さえ、今夜は暗闇に吸い込まれて力なく消えていった。


「……ねえ」


 ずっと黙っていたヴェラがぽつりと口を開いた。


「ウチたち……ここから、ちゃんと、出られるのかな」


 小さな、けれどその場の全員の胸をひやりと撫でていく一言だった。

 いつも誰より前を向いていた娘の口からその言葉が出たこと。

 それがどれほどのことか、誰もが分かっていた。

 答えられる者はいなかった。

 泉の光だけが静かに揺れている。


 長い沈黙が落ちる。


 それを破ったのはイングリッドだった。


「……聞け」


 低く、けれど確かな声だった。


「あたいたちは、この二日で、ずいぶん遠くまで来た。読めなかった記号を読み、地図を作った。……できないと思っていたことを、いくつも、できるようにしてきた」


 その目が、一人ひとりを、順に見た。


「なら、まだ、残ってるものが、一つある。……あの、石碑だ」


 石碑。

 その一言に自分の胸が小さく跳ねた。

 あの行き止まりの広間の奥で、びっしりと記号を刻んで立ちはだかっていた。

 初めて見たときは何一つ読めなかった。

 このパーティーを絶望の底へと突き落とした、あの石碑。


「明日、もう一度、あそこに戻る。……この二日で、あたいたちの読める記号は、確かに増えた。ライルの鑑定も、ヴェラの知識も、あのときとは、違う。……もしかしたら、今なら」


 イングリッドはそこで一度言葉を切った。


「……あの石碑が、読めるかもしれない。あれが読めれば、きっと、道は開ける。あたいは、そう信じてる」


 根拠はなかったのかもしれない。

 だが、その言葉には、この光の届かない場所で皆を繋ぎとめるだけの確かな重さがあった。


「……石碑」


 ヴェラが顔を上げた。

 その瞳に消えていたはずの光がほんの小さく戻ってくる。


「……そうだよね。ウチ、まだ、あれを諦めたわけじゃない。あの時は、読めなかった。……でも、今は違う。読める記号が、こんなに増えたんだもん。……もう一回、ちゃんと、向き合ってみる」


 その声にはまだ震えが残っていた。

 だが、それでも前を向こうとする意志が確かにこもっていた。

 ——この娘は、強い。

 こんな暗闇の底でさえもう一度立ち上がろうとしている。


 自分は静かにうなずいた。


「さあ、みんな。明日に備えて、しっかり休むんだよ」


 イングリッドが、そう言って、その夜の話を締めくくった。


 思えばこの迷宮で自分の鑑定はずっと道を見つけていた。

 一歩ずつ、この暗闇に確かな道を描いてきた。

 ——だが。

 その道は出口には届かなかった。

 ——でも。

 あの石碑が残っている。

 自分の鑑定がまだ一度も読み解けていない、あの石碑が。


 あの石碑が読めない限り、きっと自分たちはここから出られない。

 その予感が確信に近い形で胸にあった。

 ——今なら。

 拾い、読み、繋いできた、そのすべてが、もし、あの石碑を読むためにあったのだとしたら。

 そう、ここまでの道のりは無駄ではなかったのかもしれない。


 自分はポケットの上からそっとあの金具に触れた。

 イングリッドが「絶対に、なくすな」と言ったあの金具。

 ——お前はいったい何なんだ。

 その問いの答えもあの石碑を読めば繋がるのだろうか。


 淡く光る泉をもう一度見た。

 その静かな光が今はほんの少しだけ優しく見えた。


 自分もヴェラも、いつしか灯りを消していた。

 泉の底から滲む、淡い光だけが、闇に残る。

 冷たい岩の上でめいめいが浅い眠りに身を沈めていく。

 だが本当に深く眠れた者がどれだけいただろうか。

 時折誰かが寝返りを打つ。

 微かな衣擦れの音が響く。

 その一つひとつがまだ誰も諦めてはいないという証のようにも思えた。


 ——明日で決まる。

 そう、三日目、最後の日だ。

 残された時間のそのすべてを賭けて、自分たちはあの石碑へと戻り、そして出口に辿り着いてみせる。

 この二日で積み上げてきたすべてを使って。

 その静かな決意だけが、皆の胸の底に、確かに宿っていた。

これにて第二部、二日目が終了となります。

お付き合いいただき、ありがとうございます。


希望が見えたと思ったら絶望で終わった二日目。

しかし、その絶望の中でも微かに残っていた希望を見つけ出して二日目が終わりました。

三日目、この困難に五人はどう立ち向かっていくのか、その流れは第三部で確認してみてください。

そして、明日からは、その第三部となります。

引き続き、第三部もよろしくお願いします。


今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、

評価・ブックマークで応援いただけると嬉しいです。

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