第24話 泉
「おれたちが探してるのは、水じゃない。……出口だ」
—— 出口のない泉
通路は、次第に、様子を変えていった。
壁の記号はまばらになり、やがて消えていった。
拾える品もなくなっていく。
まるでこの施設の"中心"から少しずつ遠ざかっているような。
だが、通路の湿り気はもうはっきりと肌に感じられるほどになっていた。
「……なあ、気づいてるか」
アッシュが地図を確かめながらぽつりと言った。
「地図の空白地帯に入っている。……そして、おいらたちは今、この施設の"端"に、向かってる」
「端っこ、かあ」
ヴェラが少し声を明るくした。
「でも、それって、いいことかも。……だって、施設の端なら。その先に、外へ出る道が、あるかもしれないでしょ。水の流れる先が、そのまま、出口になってたり」
誰もそれを否定しなかった。
否定する材料もなかった。
そして、何よりそう信じたかった。
かすかな期待が、地図の空白地帯という不安を、束の間、上回っていた。
「……近い。すごく、近いよ」
ヴェラが声を弾ませた。
「この溝の先に、"水の満ちる場所"がある。もう、すぐそこ」
自分たちは足を速めた。
薄暗い通路のその先へ。
やがて——通路が途切れた。
そこは開けた空間だった。
自分の灯りがその奥を照らし出す。
——水が、あった。
地の底の静かな泉だった。
岩肌に囲まれた窪地に、澄んだ水が音もなく満ちている。
水面は鏡のように静かだった。
そして、その水の底からはほのかな光が——まるで水そのものが淡く発光しているかのような、柔らかな光が滲んでいた。
誰からともなく足が止まった。
息を呑む音がいくつも重なる。
光の届かないこの場所で、こんなにも静かでこんなにも澄んだ場所があるなんて。
それはまるで忘れられた祈りの跡のような——そんな厳かささえ湛えていた。
あの皮肉屋のゴードンでさえ、しばし言葉を忘れたようにその水面に見入っていた。
こんな場所で、自分たちは思いがけず美しいものに出会ってしまった。
「……着いた」
ヴェラが囁くように言った。
「"水の満ちる場所"。……台座の図が、示してた場所。ほんとうに、あったんだ」
地図をたどり、記号を読み、崩落を越え、扉を開けて。
そうして、たどり着いた一つの答え。
それがこの静かな泉。
だが、その感慨に浸っていられたのは束の間だった。
「……で、出口は、どこだ」
真っ先に動いたのはイングリッドだった。
泉の美しさに、心を奪われきってはいなかった。
その目は、もうこの空間の"次"を探していた。
自分たちは散らばってその一帯を探索した。
アッシュが岩肌を丹念に叩いて回る。
隠し扉のうつろな響きを探して。
ゴードンが泉の裏手へ回り込めないかと暗がりを覗き込む。
自分も灯りをかざし壁という壁に目を凝らした。
——次へ続く記号は。
——図は。
——あの扉のような、窪みは。
泉の水底にも目を凝らした。
もしかしたら水の下にどこかへ抜ける暗い口があるのでは——。
だが、淡く光る水は澄みきっていて、その底まではっきりと見通せた。
窪地の底はただの岩。
水が外へ流れ出ていく先はどこにもなかった。
水はこの窪地にただ静かに湧いて満ちているだけ。
行き場も、なく。
「……駄目だ。こっちは、ただの岩だ」
岩肌を叩き終えたアッシュが手を止め首を振った。
「裏に、空洞の気配もない。隠し扉の類は、なさそうだ」
「……そんな」
ヴェラが小さく声を漏らした。
「施設の端なら、出口があるかも」と、いちばん声を弾ませていた娘の顔から、その明るさがすっと引いていった。
どれだけ探しても結果は同じだった。
岩肌はただの岩肌。
泉の向こうは切り立った行き止まりの壁。
石碑も、扉も、道も。
この空間には何ひとつなかった。
あるのはただ静かに満ちる水だけ。
「……おい」
ゴードンが暗がりから戻り、低い声で言った。
その声色には隠しきれない失望の色があった。
「ここ、行き止まりじゃねえか」
その一言が静謐な空間を音もなく打ち砕いた。
「……"水の満ちる場所"。確かに、その通りだ」
アッシュが苦く笑った。
「だが、それだけだ。……この先には、何もない。道も、扉も。……出口も、な」
イングリッドは何も言わなかった。
ただ泉の縁に立ち、その水面をじっと見下ろしている。
その横顔からは、いつもの迷いのない鋭さがふっと抜け落ちていた。
——このリーダーが言葉を失っている。
それがこの状況の重さを何よりも雄弁に物語っていた。
自分はあらためて泉の水に目を落とした。
これが、自分たちが希望を込めてやってきた場所。
手がかりがあれほどはっきりと"来い"と示していた場所。
なのに——ただの水。
せめてこの水に何か意味はないのか。
自分は泉の縁にかがみ、その水に鑑定をかけた。
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【鑑定】泉の水
種別:水。澄んでいる。
状態:清らかで、汚れがない。
価値:不明。
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「……ただの、清らかな水だ」
力なくつぶやいた。
「毒でも、薬でもない。……ただ、綺麗な水。それだけだ」
「水、か」
ゴードンが、鼻を鳴らした。
「……まあ、飲み水には、困らなくなった。それは、悪くない。……だが、ライル」
その目がまっすぐ自分を見た。
「おれたちが探してるのは、水じゃない。……出口だ」
その言葉に返せる言葉はなかった。
進めた。
地図も、繋がった。
手がかりの示す場所にも、たどり着いた。
用途の分からない品も、収集した。
——だが、出口はどこにもない。
自分たちは、確かに前へ進んでいるはずだった。
しかし、また行き止まりに突き当たっている。
あの石碑の前で味わった絶望。
だが、あのときとは、どこか違った。
あのときは、何も分からなかった。
今は、いろいろと分かってきた——分かってきたのに、出口だけが、見えてこない。
これまで、拾い、読み、繋いで、積み上げてきたそのすべて。
その一歩ずつには確かに意味があったはずだった。
なのに……その積み重ねの果てに待っていたのがこの静かな行き止まり。
ここまでの道のりは、無駄だった。
その事実が、じわじわと身体の芯を冷やしていった。
「……まあ、そう気を落とすなよ」
沈んだ空気を払うように、アッシュが、あえて軽い調子で言った。
「水が手に入っただけでも、儲けもんだ。心配がひとつ減った。……それに、地図も記号も、これだけ読めるようになったんだ。まだ、手が尽きたわけじゃない」
軽口だけれど、しかし、そこにはいつもの切れはなかった。
誰も笑わなかった、笑えなかった。
張りつめた沈黙だけが静かな泉の水面に重く垂れこめていた。
「……少し、休もう」
イングリッドの、その声にも、隠しきれない疲れが滲んでいた。
いつも皆を引っ張ってきたイングリッドでも、だ。
誰も異を唱えなかった。
異を唱えるだけの気力は、もう残ってはいなかった。
水だけはあった。
飲み水にはもう困らない。
——だが、それがいったいなんの慰めになるだろう。
出口はどこにもないのだ。
ふと、ヴェラが泉の水面をじっと見つめていた。
「……ねえ。この泉」
その声が少し掠れている。
「なんだか……地脈の流れが、ここに、集まってきてる気が、する。……ううん、うまく言えないんだけど。この水、ただの水じゃ、ないような……」
そうして泉に手を沈める。
「……ううん、なんでもない」
言葉にはならなかった。
誰もしばらく口をきかなかった。
泉の水は変わらず静かに淡く光っている。
その光が今はどこかよそよそしく見えた。
二日目が終わろうとしていた。
水は見つけられた。
しかし、食料はもう残りわずか。
そして、自分たちはまだこの暗闇の中にいる。
たどり着いた先は水の満ちる美しい泉。
だがそこはどこにも続いていない——ひとつの行き止まりだった。
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